002


 動く街並を背景に、警察車両の窓に流れる雨粒をルークは目で追っていた。気付けば太陽は身を隠し、いつも通りの雨雲が空を覆う。街中を走る車は、また何処かの邸宅に停まるだろう。運転席後ろの座席に詰め込まれたルークは、ロードと警備部他二名と共に『巡回』を繰り返していた。


 ――お土産に貰った菓子を孤児院に送り付けたら、あいつら喜ぶんだろうな。


 裕福と丁寧を重ねると、揃って気品が漂うのだろうか。警備部の巡回は、そういう御宅への挨拶回りだった。

 

『後ろに控えて、微笑んでいれば良いから』

 

 そう笑っていたロードは、何処の家でも歓迎される。お喋り好きな「ご婦人」も、寡黙を顔に貼り付けたような「旦那様」も、気を許した友人のように彼を招き入れるのだ。ルークは、そんな彼らの後ろで和やかに微笑むだけ。


 これは、そんな仕事だ。

 


「次が最後ね」

 

 車体に当たる雨がパラパラと鳴る中、ロードの落とした言葉が響く。窓へ向けていた視線をロードへ移すと、彼は車に揺られながら目を閉じていた。


「退屈?」


 薄く瞼を開いたロードが、視線を流すようにルークへ問う。


「……いえ」

「いーのに、ホントの事言って。六班は何でもするもんなぁ。でも今日は誰か必要だったからさ」


 実際、面倒事の多くは雑用だ。誰かが避けた仕事を六班が引き受ける。痛みを伴う事もあれば、身体を酷使する事も少なくない。

 だが、確実に誰かの負担を軽くしている。六班の存在は、誰かに求められた結果だ。

 

「最低四人。それが絶対条件だから」


 ――数合わせ。本当に誰でも良かったんだな。

 

 ブレーキを掛けた車が止まる。車が最後の目的地に着く。



「ロード! 待ってたよ」


 暖かい橙色が灯る邸宅は、玄関前に雨避けが設置されていた。出迎えたのはひとりの男。この家の当主だろう。

 

「本当? また来たよとか思ってるんじゃないですか?」

「何故ひと月置きにしか来ないんだ、とは思ってるかもしれないな」


 三十代半ばに見える彼らは、おそらく同年代なのだろう。見知った仲をルークが確信したのは、当主が「そこ、段差気を付けてくださいね」とルークだけに声を掛けたからだ。

 当主が誘うままに応接間へ招かれる。雨が制服を濡らす事は無かった。


「見ない顔じゃないか?」

「他部署の者で。 、よろしいですか?」

「勿論」


 どの邸宅でも、ルークとロード以外の二名は何処かへ案内される。ロードは当主と他愛ない会話をし、ルークは後ろで微笑むのだ。


 紅茶が入り、茶菓子を勧められる。ロードの分しか用意されないのは、いつも通りなのだろう。


 ――ロード隊長は、ずっと何かを口にしている。身体の線が細いのに、結構食えるたちなんだろうか。


 午前に警視庁を出発して、既に夜が深まっていた。何軒もの御宅で、彼は出されたものを遠慮なく口にする。そうしている間、相手の話をただ聞いているのだ。



「おや、ロードじゃないか」


 開かれた扉の向こうから、声が掛かる。廊下から此方こちらを覗く声の元を確認したルークは、目を見開いた。


「大叔父さん」

「オーガスト伯爵。お邪魔しております」


 それは、いつかの秘密。

 廃特区の湖で会った老紳士がそこに居た。


 杖を使い、ゆっくりと歩み寄る老紳士へ、ロードが起立して礼をする。


『大叔父さん』『オーガスト伯爵』と呼ばれた老紳士は、ルークにとっては『隠してしまった月夜の亡霊』だ。そんな男が、目の前に現れた。


「今日も武器庫の確認か?」

「はい。それと、美味しいお菓子を頂きに」


 そう言って腰掛けたロードは、再びお菓子に手を付ける。

 警備部は、各家の武器庫を確認していたようだ。他二人の仕事内容を知っても、ルークはそれ以外に動揺の種がある。


 ――覚えて、いないのだろうか。


 ルークが視界に入っても、オーガストは何も言わなかった。

 あんな短時間。月に照らされていたとはいえ、深夜の出来事だ。暗く雨が降る中、湖を映した銀縁の眼鏡に、ルークは映らなかったのかもしれない。


「折角来たなら、私とチェスでもしないか?」

「えー? 伯爵、わざと長引かせるじゃないですか。今日はあまり長居できないんですよ」

「君が接待しないからだろう? そうしたら……、後ろの彼を借りるのはいいだろうか」


 きらりと眼鏡の銀に、この家の灯りが反射する。指名されたルークを見上げるように振り向いたロードは、一瞬だけ微笑みを消したように見えた。


「あー。チェスどう? できる?」

「あまりやった事はないですが」

「じゃあ丁度良いかな。すぐ負けていいよ」

 

 杖をつき、ルークへ歩み寄ったオーガストは「私が教えてやろう」と目を細める。

 ルークとオーガストの間に、ロードが掌を差し込んだ。


「時間になったら、彼を解放する約束をしてください。それを条件に彼を貸しましょう」

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