012


「見つけた」


 その声と同時に、ルークの肩に手が置かれる。右に顔を向けると、隣へ探していた男が立った。

 

「……グレイこそ、どこ行ってたんだよ」


 風が通って、湖に落ちる雨が少し傾く。振り向いた拍子に、毛先を流れ落ちた雫がルークの視界に入る。


「眠れなかったんだ。少し夜風に当たって、戻ったら君が居ないから。探したよ。――君は?」

「またひとりで見回りに行ったんじゃないかって。俺もグレイを探してたんだ」

「行き違いか。まさか、湖を眺めてるとはね。君が傘を差してないの、珍しいな」


 老紳士が居なくなってから、長い時間は経っていない。ルークは『雨を含んだ服が少し重い』と感じたが、偶に味わう微かな重みを、わざわざ重く感じた自分に違和感を得た。

 傘を差し忘れていた事も、湖を眺めていた事も、不自然に思われるのではないか。反射的にルークは自然を装い、傘を出す。

 

「こんなに降ってなかったんだ。ほら、入れよ。どうせ持ってないんだろ」

「僕はいいよ。――何かあった?」


 隣で雨に打たれる彼の眼を見て『重いのは服じゃなく身体だろう』とルークは思った。雨じゃない、疲れでもない、心に何か重さを飼っている。その正体は、亡霊に勧められた秘密と、彼に対しての劣等感だろう。

 黙ったまま、ルークは映し出した傘を見上げた。同じようにグレイがそれを見上げたのを察して、ルークは口を開く。


「――月を、見てたんだ」


 ぽつり、と言ったそれは事実だ。それを聞いたグレイは、打たれる雨を気にもせず雨空を見上げる。


「月? あぁ、成程。傘が邪魔だったのか」

「そういうこと」

「僕も、一緒に見られたら良かったな」


 ルークは耳を疑った。グレイの発言とは思えなかったからだ。湖を眺めるグレイを見つめて、ルークが停止すると、怪しむようにグレイは問う。


「何?」

、なんて思えるんだな」

「君が『二人で』を大事にしてたんだろ。嫌って程、聞いた台詞だ」


 確かに、ルークは『二人で』の行動に拘っていた。だが、グレイは違うだろう。彼は普段から、ルークを置いて単独行動をとる。

 今回は二人に与えられた仕事だ。それでも、グレイは常に先陣を切る。先輩だから、経験豊富だから。ルークは、その言葉にいつまでも甘えていたくはなかった。


 並び立つバディで在りたい。彼の隣に立つ仲間で在りたい。

 理想だけが先行して、現実が心に劣等感を満たす。

 


「なぁ。……俺は、足手纏あしでまといか?」

「え?」

 

 足りない自分と、先を走るグレイ。似た境遇の彼との差から、ルークは目が逸らせなかった。

 そんな彼が『一緒に』と言った事を皮切りに、ルークは言葉を漏らす。

 

「撃たれて、怪我をして。俺は、グレイに助けて貰ってばかりだ。手綱を握るなんて言って、明日も、明後日も俺はグレイに助けられるのか?」

 

 出会った日から、幾ら追いかけても、グレイに置いて行かれてしまう事実がある。一度あふれた思いは、静かにグレイへとこぼれていく。

 ルークはグレイの視線を感じながら、湖に落ちる雨粒を見ていた。顔を合わせられなかっただけだ。


「何を言ってる?」

「二人での仕事に拘ってるのは俺だけで、冷静に考えたら足手纏いだと思った。俺は、グレイに置いて行かれる事も多いし、隣で役に立ててないのを此処で実感したっていうか」


 ベラベラと、口が速く回る。言う必要のない言葉も出てきてしまいそうだった。老紳士に問われた『此処で得たモノ』への回答を、グレイにぶつけたって彼が分かるはずも無いのに。心に飼った重さの両方を、ひとりで抱えていられなかった。

 

「気にしてない。何、いつも傍にいろって話?」

「違う。……俺が、使えない新人って話。バディの癖に、グレイの足を引っ張ってるって話。明日もそんな俺で居る自分が、情けねえって話!」


 ルークは話している内に語気を強めて、声を張っていた事に気付く。言葉の後に、ザーザーと降る雨音が続いて、静寂を感じる。少しの時間を置いて、グレイは言った。


「足を引っ張られた記憶は無い。使えない新人って、誰かに使われてたのか? 君を好きに使ってるのは、ルーク本人だと思ってたんだけど」


 気を遣って返した言葉ではなさそうだった。彼は首を少し傾げて、不思議そうな声を出す。

 誰かに言われた訳じゃなくても、ルークが自分でそう感じていた。グレイが言うように自分を動かしているのは、自分自身だ。噛み合わない会話の中で、ルークは当たり前の事をグレイに突き付けられたように感じる。


 何も返さずにいると、ずっと感じていた視線から解放された。グレイが一歩、湖へ歩む。雨音に掻き消されてしまいそうな声で、彼は言う。

 

「そんなに君を助けられてないよ。君が勝手に助かってるんだろ。明日、君を助けられるか分からないし、……僕は一秒後でさえ予想出来ない。君は、未来を見据えてるのか。すごいな」


 ルークに言い聞かせるには静かな声。それでも、ルークの耳にグレイの言葉は届いていた。薄く笑みを浮かべたような声で呟いた言葉が、ルークの心に渦巻く劣等感を軽くする。

 グレイはきっと『使えない新人』だなんて思っていない。ルークという『ひとりの人間』を見ているように思えて、どうしようもなく気が抜けた。

 

「勝手に、って……。 あー、ださ。俺、めちゃくちゃ弱音吐いてる」


 座り込んだルークの視界に、グレイの靴が入り込む。

 

「弱ってるのか? 未来より、明日より、今この瞬間だろう。明日に何かを求めて、何になる? 明日生きている保障も無いのに」


 上から落ちてくるのは、雨とグレイの声だ。ルークは堪らず傘を傾けてグレイと目を合わせた。


「グレイ、君はそんな事を考えてるのか?」

 

「明日とか言われても、今が僕は気になる。だから、考え込むなよ。まだ仕事中で、特区内だ。泣く暇があるなら、自分を変えたらいい」

「泣いてないだろ! ……はぁ。俺を、俺が上手く使うようにする。吐き出して、悪かったな。ありがとうございます、先輩」

 

 敬う言葉を使うと、グレイは居心地が悪そうな顔をする。その顔を見て、ルークはもうひとつ心を軽くする事が出来た。

 

「泣いてないなら、良かったよ」


 新たな未来に踏み出せる確信を、ルークは常に持つ。悔しさや悲しみを、自身の成長に昇華できる強さを持っているのだ。



 ニアが眠る廃墟へ戻った二人は、各々が夜明けを待つ。朝日は此処を照らさないだろう。雨の音が、それを伝える。

 静かだった。ニアの寝息、雨が降る音。目を開ければ、グレイの姿がそこに在る。


 グレイがひとりで何処かへ行ってしまうなら、自分が追い掛ければいいとルークは思った。

 この体は、自分の意志で動かしている。役に立っていないとか、グレイよりも劣っているだとか、その事実を飲み込んで今の自分を動かす。彼を追い掛ける事も、追い掛けずに待つ事も、好き勝手に決めていい事なのだと気付いた時には、孤独感も彼への焦燥も消えていた。

 

「あのさ、って、もう思ってないから。グレイが単独で動こうと、俺はいつでも追えるし、待つ選択も出来る。結果的に、この国で誰かを救えれば、何も悪い事は無い。明日、誰かが悲しい思いをしないように、俺らが出来る事は全部する。――俺とグレイで、何かを守れればそれでいい」


「……思ってたんじゃないか。もう少し寝なよ。僕は寝る」

「なんか、目が冴えるんだ」


 豊かな感情、真っ直ぐな意志。当たり前にルークが持っている物を、誰もが持っているとは限らない。

 

が明けたら、此処を出よう」

「また明日、グレイ」


 グレイからの返答は無かった。

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