010
ニアと呼ばれた少女は、隠された道や扉を知っていた。
察知能力が有るとルークは想定したが、おそらくは違う。壁に“猫耳じゃない方の耳”をぺたりと付けて音を確認する姿を見て、城の仕掛けに詳しいと判断した。
やけに上下する階段が、城の何処に納まっているのか。ルークが考える事を
「外だ……。思ったより暗くなってるな」
「ニアのおかげ!」
「城から出ただけで、まだ特区内だ。車を回収して、市街へ戻ろう」
そう言ったグレイが発言を撤回したのは、車を回収した後。彼は適当な廃墟に入ると「帰るのは明日にしよう」と言った。
「俺は構わないけど、戻らなくていいのか?」
「夜遅く、無理に戻る方が神経を使うだろ? 君の怪我は応急処置になるけど、僕が見るよ」
グレイは車から持ってきた救急箱を漁ると、ルークの腕を縛っていたネクタイを解く。新しい包帯を巻かれると僅かな痛みを覚える。
「
「薬、切れたら痛むかもね」
「えっ、マジ?」
「どうだろ。まだあるし、明日までは飲めばいいよ」
そう言ったグレイは、錠剤を
「二錠?」
「ひとつは疲労回復効果。アルの箱に入ってた」
同じ錠剤を口に含んで、グレイは水を飲む。続くようにルークも水を飲み、薬を喉の奥へ押し流す。ルークはひと呼吸すると、膝に手を回して小さく座る少女へ声を掛ける。
「なぁ、ニア」
「なんでお前が僕を呼ぶわけ?」
「制服、返してくれよ。俺の大切な物なんだ」
「もう僕の大事なんだけど?」
じとり、睨むニアは頭に三角形の山をひとつ作る。おそらく、片耳だけ上げているのだろう。ルークへ向けられた視線は数秒で奪われた。
「じゃあ、ニアには僕のをあげようか?」
「え! グレイの!?」
「おい」
身代わりを請け負おうとするグレイへ『簡単に言うな』と、ルークは言葉を続けようとした。それより先に、グレイはさらりと言う。
「別に良いよ。怒られて、謹慎するだけだ」
「……ニアのせい?」
「まぁ、そうなるけど」
淡々と事実を述べているのだろう。優しく笑うグレイに、嫌味は感じない。
(処罰を受ける事を、何とも思っていないのだろうか)
「グレイが怒られるのヤダ!」
「そうなの? ルークがそれを失くしても、おそらく僕も怒られるよ?」
「何それ! コレが隙だらけな所為なのに!? じゃあいらないんだけど!」
「隙だらけって、まぁ、そうか……」
ルークは、頭の重みを感じていた。うつろに聞こえる彼らの話し声が、ルークと距離を取るように遠ざかっていく。
「返してくれるなら、それでいいよ。……なんか、安心したのかな。ちょっと、眠いかも」
怪我をして動き回った負担が大きいのか、眠気がルークを襲う。頭を支えた
「起きてる理由も無いし、休んだら?」
「そうしようかな。あ、そうだ……。ニアに言いたい事、あって」
「僕に? 何?」
「あの時、俺を助けてくれたんだよな? ――ありがとう、ニア」
遠のく意識の中で、ニアが隣に座ってくれたような気がした。
☂
静寂の夜中、ルークは目を覚ます。冷たく暗い空気が深い夜を知らせていた。右肩に感じる重みと温かさは、ニアの物だ。
(グレイが居ない)
ガランとした部屋の中に、彼の姿は無い。気配や物音を求めて耳を澄ませても、聞こえるのは馴染みの雨音と、少女の規則的な寝息。
彼女を起こさないよう、静かに端末を取り出せば衣服が擦れた音を立てる。ニアにかけられた布を落としてしまい、手を伸ばしてそれを拾い上げる。それは、グレイのケープマント。ルークにかけられた制服は、彼女が返してくれた誇りだった。
端末を触れば、空気中には“4:16”のネオングリーンが浮かび上がる。
曖昧な時間。夜に取り残されたような、朝を待ち焦がれるような狭間に置かれたルークの耳に、雨音が沁みていく。この音に包まれると、ルークは静寂を体感するようだった。
それは大抵、ルークが孤独を感じた時に訪れる音色。散らばる音を吸収した雨が、この世界に“ひとりきり”かのような錯覚を流し込む。
少女からそっと抜け出して、敷いた制服の上に寝かせる。特別寒くはないけれど、ブランケット代わりの制服を少女へかけ直す。
(外、だろうか)
疲労回復の薬が効いたのか、身体に疲れは残っていない。此処に居ない彼の単独行動が
地に落ちた雨が跳ね、土と混ざった雨が裾へ飛ぶ。辺りを見回っても、グレイの姿は無い。雨に打たれる程、耳に響く雨音が増す。それを掻き消すように、ルークはグレイを探した。
廃墟の隙間を進み、並木道を誘われるように歩む。道の終わりに在ったのは湖。遠い対岸には小さく霞む廃城。視界を薄い白が霞ませながら、雨粒が真っ直ぐに落ちる様子は、まるで大きな湖を形成する最中のようだ。
「止まれ! そこを動くな」
「――ッ!」
湖畔に響いた男の声が、ルークに緊迫感を与える。即座に傘を消し、ルークは声の方角へ警戒を張った。城で
杖をつく老紳士と、彼に傘を差す男。老紳士のふくよかな体型に
先程の声は、付添人の物だろう。
「その傘、警察か?
銀縁眼鏡の奥で薄められた瞳が、笑みだと気付くのにルークは少し
(知っている? 何を知っていれば正解なんだ?)
迂闊な事は言えない。言う必要も無いと、ルークは口を噤んだ。
「見ない顔だが、私の家に来る連中は顔馴染みばかりだから、知らなくても当然だろう。どれ、此処で顔見知りになるのも一興。もっと、こちらへおいで。市街の、ましてや警察を、取って食ったりはせんよ」
「この辺りは治安が悪いです。こんな夜更けに、どうされましたか?」
「警戒を解かないな、立派な警察官だ。職務質問は随分と久しぶり――あぁ、これも良い思い出になるね。おい、傘を少し
付添に傘を避けさせた老紳士は、ルークへ声を掛けると眼鏡を取って上を見る。釣られるように雨を見上げると、在ったのは月だった。
「運が良い。月と薄い雨雲が重なって、雨の中でも月が出る。この儚さを感じる景色が私は好きでね。ほら、湖に揺れた月が映る。雨に打たれて形を変え続ける月が、なんとも美しいと思わないか?」
水面に映る月は、歪だ。そこに無い月は、雨の跡に揺れて湖に滲む。ルークに見える景色も美しく、儚い。ただ、雲の向こうに在る月をルークは美しいと感じていた。
「長く生きてると、愛すべき景色が増えてゆく。忘れ難い記憶を鮮やかにするように、何度も足を運んでしまう。今日の収穫は、コレだな。君は、何か収穫はあったのか?」
「収穫ですか?」
「……君が此処で得たモノだ。若い警察官がアンモラル廃特区で何を見て、何を得たのか」
見たのは実力主義の世界。油断が命を奪う、隙を見せられない日常。得たのは劣等感だ。グレイの近くで過ごして、彼に圧倒された。隣に立てば、己の力不足が際立って劣る。これでは、あの病院で立ち尽くした傍観者の自分と、何も変わっていない。
「興味深い眼をしているな、君は。真っ直ぐで美しい」
視線を感じ、ルークは老紳士から目を逸らす。隠した綻びが透けるようだったからだ。そして、此処で目を逸らす自分が、またひとつ嫌になった。白む霞に劣りを隠しても、何も変わらない。
月は隠れ、湖へ静かに雨が落ちる。
返事は要らないとばかりに、彼らはルークへ背を向け去って行く。一度だけ振り向いた老紳士が、ルークへ枷を残して。
「君、私に会ったことは誰にも話さない方が良いだろう」
「何故ですか?」
「私は亡霊とも言われるからね。秘密を持つ事を、お勧めしておこう」
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