009


 牽制の弾は遅く、グレイへ剣が振り下ろされようとしていた。

 青年が撃った弾丸は、真っ直ぐにルークへ向かう。


 ――撃たれる。


 ルークが状況を理解しても、身体がどうしても遅れるのだ。

 思考は速い。命を危険に晒した結果、脳が猛スピードで“死”の解決法を探し回る。


 『弾に当たらなければいい』


 グレイの言葉が頭に響く。それは理にかなった解決策。ルークの脳も、一番に身体へ指令を送っていることだろう。だとしても遅い。思考が速い程、肉体が遅れたように感じてしまう。


 彼の身体が動き出すよりも先に、黒く小さい陰がその場を駆け抜けた。

 ルークに猛スピードで激突したその影は、一目散に駆けた唯一の存在。


 「な゛ッ!!」

 ――黒いフードに、小さな身体。


 ルークの腹に与えられた衝撃は、影が駆け抜けた速さを物語る。息が止まりそうな衝撃は、倒れ込むだけで終わらない。ルークの耳に残るのは銃声と、地面に落ちた砂埃をまといながら滑る音。ルークに乗った勢いは、二人がぶつかった廃材の壁に消える。

 

「……いッて、え」


 砂埃の煙に包まれながら、ルークが痛みを溢す。撃たれていない。この痛みは、衝突によるものだ。その瞬間、グレイの声がハッキリと聞こえた。


 

「ニア! 下がれ!」


 ルーク以外にグレイの指示が飛ぶ。すると、ルークに衝突した張本人。腹の上で丸まった痛みの原因が、ぴょこんと頭の上に猫耳を立てて起き上がった。

 ばちり、目が合う。

 青色の瞳が猫目だと言っても、人間だ。瞳よりも暗い青髪のショートカット。頭にふたつ、黒い猫耳が生えていたとしても。


「立って立って! ほんと遅い!」


 ルークの胸に手をついて馬乗りになった少女は、地面にしっかりと足を付けて踏ん張ると、ルークの腕をぐいぐいと引っ張り上げようとする。少女に力を借りて、ルークは立ち上がった。

 

「何何何!?」

「こっちきて! デカい癖に遅い奴から死ぬんだぞ! ほらほらほら!」


 煙の向こうで、剣が交わる音と青年の笑い声が聞こえる。


「仲間がいたとは! でも、おにーさんはここで死んでもらう。そっちは、その後だ」


 複数人の応戦の声、ルークの手を引く少女が急かす声。グレイの声がルーク達に通ったのが嘘のように、辺りは騒がしくなった。

 

「待て! グレイは!?」

「グレイは強いから死なない!」


 弾道を見ていたかのように、庇ったかのように。

 ルークに激突した少女が彼を救ったのだ。



 渦中から離れた二人は、青い廃材の山に身を隠す。廃れた青は、原色の青よりずっと灰の色に近い。ルークが腰を下ろしたのは、数分前。それまでに、グレイを助けに戻ろうとするルークと、戻そうとしない少女の攻防が幾度となく行われていた。


「なんで死なないって言い切れるんだ」

「グレイは死なないもん。おまえが近くにいるほうが心配なんだけど!」

「はぁ? ……いい加減、腕離せ」

「離したら、助けに行くとか言うからイヤ」


 ルークが何度振り払っても、少女はルークを捕まえる。戻らせない少女の意志と、実際に彼女が居なければ撃たれていた事実が、ルークをその場に座らせた。


 ――というか、この子は。

 

「お前、俺の制服は?」


 大きなフードがついた服。それを被った姿を、ルークはマントを奪われた際に見ている。雨に撃たれていた少女、ルークで遊ぶように誇りを奪って姿を消した犯人は、彼女で間違いない。

 

「もう僕のだし。この下に着てるの! いいでしょう!」


 自身の身体を覆った上着をバサリとまくり、下に着たルークの制服を見せびらかす。

 

「返せ」

「ヤダ」


 強く腕を掴まれると、傷が痛む。当然だ。新たに与えられる痛みまで消し去るような痛み止めは、危ない薬と言っていいだろう。

 

「グレイっ!」


 突然叫んだ少女は、立ち上がると同時にルークを突き飛ばす。「いッて!」と漏れた声も、地面に倒れ込んだルークの姿も少女の目には映らない。地面から視線を上げたルークの目に入ったのは、廃材をくぐるグレイと、彼に抱き着く少女の姿だ。

 

「ニア」

「グレイグレイグレイーっ!」

「わかった、わかったから」


 怪我も無く、普段と変わらない姿で現れたグレイに、ルークは安堵の息を吐く。

 

「あいつらは? 大丈夫だったのか?」

「大丈夫」

「……殺したのか?」


 僅かに流れた変な間は、静電気のようだ。無意識にルークが放った言葉を、彼は和らげた。


「殺してないよ、殺されてないし。撒いてきた」

「ねえね、ニアのおかげ? ちょおっと危なかったんじゃない?」

「そいつ、知り合いか?」

「少しね」

「えーっ! 少しー? 危なくなるまでずーっと待ってたのにい!」


 ――少しとは思えないほど懐かれている様子だけど?


 グレイのどちらとも取れる返答に、ルークは戸惑いを覚える。目を合わせているのがルークでも、グレイから離れない少女が会話に混ざるのだ。

 そんなルークを察したのか察していないのか、グレイは彼女に視線を移す。

 

「やっぱり、ずっと居たね? 現れなくても良かったのに」

「会いたかった、って言って欲しいんだけど! それから、ニアのおかげで助かったって言って欲しい!」

「おい――」


 ――聞きたい事が、多々あるんだが。


 ルークの言葉が追う前に、グレイが言った。


「少し、知り合いなんだ」

「その耳、本物?」


 少女の頭に付いた猫耳は、グレイが来るまで警戒のごとく三角形を描いていた。垂れたその耳は今も尚、存在感を放っている。


「これは飾り! 機能してません、聞こえません!」


 猫耳を隠すようにフードを被った少女は、布越しに警戒を見せた。やけにゆるい上着は、耳を隠す為のゆとりらしい。

 

「飾り?」


 グレイを盾にしてルークからの質問に答えない少女の代わりに、グレイが答える。

 

「うん。これ自動のヤツ、らしい」

「機械ってことか?」

「そう。それより、君が制服を盗られたのって」

「……そうだ。今も、下に着てる」


 グレイとルークの視線が向くと、彼女はぎゅっとグレイにしがみついて顔を隠した。


「とりあえず、もうここを出よう。君、傷は? 結局撃たれたのか?」

「そこの猫耳のお陰で。調査は?」

 

 腰に備えた銃を取り出し、グレイは弾丸の残を確認するような素振りをする。その間も少女はびったりとグレイに抱き着きながら、グレイのスーツに顔を埋め「感謝して欲しい!」と主張していた。

 

「充分だろう。痛み止め、まだ効いてるよね?」

「あぁ。また、あいつらと鉢合わせにならないように」


 グレイが撒いたとはいえ、危ない状況に変わりはない。『敵陣地を隠れながら進み、戻らなければ』そう思うと同時に、ルークは妙な感覚を得た。


 ――敵、って。同じRAINの国民に間違いないのに。


 “アンモラル廃特区”に影響を受け始めていた。数日の経験がルークの思考を揺らす。此処は、そういう場所だ。

 グレイは廃材の山から外を覗き、周辺を見回す。


「大丈夫。この辺りは湖の中――」

「グレイ!」


 グレイをさえぎるように、少女が言う。

 

「ニアがいるから、安心でしょ!」

「――うん、そうだった」


 少女の一言で、グレイは高い位置を見るのを止めた。遅れてルークが目線を上げても、在るのは年季を感じる壁と数か所から流れる水だけだ。

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