008
数階降りると、ある一層に辿り着く。
湖の水が至る所から細く流れ落ち、溜まった水が川を作る。此処は天井が高く、城の外観よりも広い。アンモラル廃特区に住まう大半の人間が拠点とする場所だ。
広間で穴に降りた以降、グレイとルークは長く走り続けていた。同じ色で組まれた廃材の山は、誰かの住まいだ。一定の距離で色がガラリと変わるのが、地下の特徴だった。
「結構動いたけど、腕はどう?」
グレイは、腕に銃弾を
「問題無い。アルさんの箱から持ってきた痛み止めが効いてるのかもな。でも、もうやめろよ! 蹴っ飛ばされた時、お前が狂ったかと思った」
「狂わないよ。あれが嫌なら、弾に当たらなければいい」
「無茶言うなよ。……あいつら、追ってきてるのか?」
「
この層を
色が途切れるタイミングは、身を隠せる障害が少ない。廃材の隙間に道のような間隔が空き、離れた距離からでも見つかりやすくなる。極力走り抜けて、やり過ごしていたのだが、その手前でグレイは殺気に反応した。
(壁の切れ目にひとり。追い付かれたな。いや、
『敵対心』だと、青年は言った。廃特区侵入者への報復を目的としているのなら、広間で撃ち殺してしまえば良かった話だ。
青年が撃った二発は、試し撃ちとばかりにグレイを素通りし、高い音を鳴らしていた。避けるまでも無い、意志のない発砲。
その
(彼らは、僕らを殺して何を得る?)
グレイは視察の業務として、攻撃の理由も知るべきなのだろうと判断していた。行動の根底には、理由が眠っている。対話に応じない場合、こちらが勝手に把握する他に無いが、これはグレイの苦手分野だ。
「スピード落として。僕が先に行く」
グレイは、ルークのスピードが落ちたのを視界の端で確認し、壁が切れる前に息を吸って吐く。体勢を低めて廃材の影から出ると、殺気の正体が姿を現す。
死角に潜んでいたのは、剣使いの男だった。筋骨逞しい腕で振り下ろされる剣が、グレイへ影を落とす。ジャケットの下に備えていた短剣を握ったグレイは、取り出す勢いと相殺するように攻撃を受けた。
キンッ ――
背後で、ルークが「剣……!?」と驚く声がした。銃を持った右手を短剣に添えたところで、男の重い力を受け止める事は出来ない。男が持つ剣の半分も無い短剣で、グレイは滑るように威力を殺す。
男の顔に入ったタトゥーは、他国における大罪の証。好んでアンモラル廃特区に住まう凶漢、というところだろう。
「言葉は、わかりますか?」
「勿論。RAINの警察官なんだって?」
剣先から離れた短剣が、手元で鋭い音を鳴らす。男とグレイは、互いに距離を取った。
「警察?」
(その情報は、まだ与えていない)
グレイは肯定も、否定もせず、男の反応を促すように言葉を止める。
「嘘じゃねぇだろ? おにーさん達!」
広間で一度聞いた声が辺りに響く。廃材の山から身軽に降りてくる彼は、此処を熟知しているのだろう。
「そうだよなぁ? あんたら、
パァン! ――
青年がグレイへ撃つ弾は、意志を持っていた。廃材の山を下りきる前に発砲されたそれは、牽制では無い。グレイの肩を狙ったであろう弾は、地面へ着弾した。
ルークが物陰に身を潜めた気配と、何人かの足音をグレイは察す。身を潜める壁の位置を、ルークはグレイと角度を変えて隠れたようだ。
「次は当てる、って言ったのになぁ」
笑いながら「残念」と肩をすくめる彼は、広間で当てる気がなかった事を証明した。
「当たる必要性を感じない」
「あ、やっぱ見切ってんの? あれだけ撃っても当たってないもんなぁ! それはかなり、
軽薄に笑う青年の言葉は、グレイが数え切れないほど聞いた台詞だ。
「何故撃った?」
「お前らが逃げ回って、面倒になったから!」
「回答になってない」
「どっちも、此処で死んでくれ。お巡りさん」
青年が柔く微笑んだ時。
男がグレイへ接近し、もう一度剣を振りかざす。
牽制の意か、ルークがグレイを呼ぶ声と共に、発砲音が聞こえる。
青年の銃が、ルークへ照準を合わせて弾を撃つ。
(避けても、間に合わない)
多くの出来事が一瞬で起こった。
スローに流す時間の中で、ルークの的確な位置取りが
(彼は当てる。今度こそ)
男の動きに集中した弊害で、グレイはルークの弾道を見ていない。
目先の攻撃を
『
グレイは、万能ではない。
彼の存在は、
(間に合わない)
グレイが彼を最優先としていれば。或いは、一目散に駆け抜けることが出来れば。彼を、もう一度蹴飛ばした可能性が在った。彼に弾が放たれぬよう、立ち回ったかもしれない。
時間を巻き戻す事は、不可能だ。
いま出来る事を、やり遂げなければならない。
グレイは、瞬く隙にルークを放棄した。
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