004
「おりゃ!」
「いっ、て」
パシッと音を鳴らした蹴りは、素早く軽い。
ルークは手前にバランスを崩すも、体勢を戻すのは容易だった。呆れたように振り向くと、マントに袖を通した少女がその場で一周回る。
「どお? 僕のが似合ってるでしょ! おまえより、ずうっとね!」
「おい、怒るぞ。返しなさい」
叱る声色に音を下げて、ルークは制服を取り返そうと手を伸ばす。タイミングを測って少女を捕まえようとした彼が掴んだのは
後ろに体重を移した少女は「ととっ」と声を漏らし、口角を上げて笑う。
「あは。まだ怒ってないって? うっざあ。教えてあげる! そういうとこが、この展開を呼ぶんだよ」
ふわりと少女が回れば、マントの裾が
その時、短い音が鳴った。
(――銃声。外だ)
音に気を取られたルークは、反射的に外へ顔を向けた。
直後。ルークが少女へ再び視線を戻そうとしても、彼女は居ない。
視界から、少女が消えたのは数秒。屋根裏に近い窓へ、脚を掛ける少女がそこに居た。両足を窓枠へ乗せ、振り向きながらルークを見下ろす。
「これは、ハッピーエンドだねえ」
軽快に窓枠と息を合わせて体勢を整えた少女は、窓枠へ腰掛けると麗しく足を組んで見せた。まるで、影の中に潜む玉座でもあるかのように。
少女は、勝ち誇ったかのように言う。
「それでは皆様! これにて終演、お忘れ物なきようお帰りください! ということで。おやすみ、よい夢を」
「おやすみ、だと? 帰る場所があるなら、返してから帰れ!」
ひらひらと。振るは掌、
(取り返さないと。すぐに追いかけて……でも、何故
頭に浮かぶ選択肢の数々に、ルークの身体が数秒追いて行かれた。幾ら頭の中で案が出ても、身体が動かない時間の隙間は思考停止と変わらない。
少女を追う。
そう決めたルークが、裏の押戸を勢い良く押し開けると、目の前には髪を濡らした先輩の姿が
「驚いた。僕が来たって、気付いたのか?」
突然開いたドアに反応した姿を見せた彼は、ルークの身体をぐいぐいと押し、屋根の下へ入り扉を閉めた。
「グレイ」
「……誰か居た? 気のせい?」
濡れたグレイは中を伺うように目を細める。
警官の証であるケープマントを羽織らない彼は、シンプルな黒スーツ上下を身に纏う。ボタンが外されたジャケットの下に、普段は隠れたグレーのベストが見えていた。
「車の物、運んだ?」
グレイはルークの肩を叩き、人差し指を下に向ける。地面に腰を下ろしたグレイを追って、ルークもその場に
「え、一応、リュックを。グレイのも」
「他は?」
隣に座るグレイの髪から、雫が落ちる。防滴加工がされているであろう黒いジャケットを、丸い水滴が滑り落ちて行く。
「置いてある、けど
「それは
はぁ、と息を吐いたグレイの肩が、少し下がった。
「まずい?」
「うん。拳銃、携帯してるよね?」
「ああ。……外、銃声したよな?」
「うん。僕が撃った」
グレイは腰に備え付けた拳銃を取り出すと、
「は!?」
「牽制と、
「……はっ?」
壁の影から外を覗くと、少し先に停めた車へ群がる三人が見える。雨の音に掻き消されず、二台のエンジン音がルークの耳に届いた。
一人は斜め方向に銃を構えて、もう二人は車から奪った物を運び出している最中。バシャバシャと地面に溜まった雨を踏みつけて、彼らは荷物を積み終えると二台のバギーにそれぞれ飛び乗った。
じっと彼らの行動を見ていたグレイが、ぽつりと言う。
「ダメだな、追う。ここに居て」
「待っ、俺も行く」
待機命令を撤回させようと、ルークはグレイの腕を掴んだ。
「二人で、ってアルさんに言われただろ」
グレイは後部座席を覗き、
「そうだよな、僕でも持ってくよ」
運転席に座るグレイを見て、助手席に駆け込んだルークは、荷物と共に積まれていたアレックスの私物が無い事に気付いた。
「あれ、アルさんの……。あの箱も
「壊すよ」
ギアを操作し、グレイはアクセルを踏む。前を走ったバギーの姿は既に無い。入り組んだ廃街を、車は左右に揺れ進む。
運転するグレイの横顔を左から見て、ルークは聞いた。
「中身、何?」
「銃弾とか? 武器だと思う。嫌だな、
その一言で、ルークは自分に銃口を向けられたように感じた。
車を漁った三人の中に、あの少女の姿は無い。車を追って、制服まで返って来るなら万事解決だった。現状、その可能性は限り無く低い。
(今、言うべきだ)
「グレイ、あの」
「ごめん、先に聞いて良い?」
「あ、あぁ。何?」
「君、弾数設定いくつ?」
警視庁から支給されている自動拳銃は、鉛を弾丸としていない。
カードリッジに溜め込まれた「水分」を、凍らせて弾丸としている。
それぞれで設定した「水分」の重さを、自動拳銃内で氷の弾丸として精製。使用者の腕や、照準の合わせ易さによって「自動弾」の軽重を変更できる。
最多弾数は“20”だ。二十発撃てる。その代わり、弾は軽く、威力は弱い。
「“13”」と、ルークは答えた。
自動拳銃の初期設定は“17”。その数字が、安定した重心と軌道を保てる平均。数字の少なさは、銃弾扱い者の実力を示す。
弾数が少ない程、「水分」を重く含んだ「自動弾」を扱うことになり、威力が増した「自動弾」は正確な射撃を求める。
「軽めか。精度はどれくらい?」
「かっ!? ……静は“12”、動は“10”」
新人警官の中では、ルークは重い設定だった。
「わかった」
「グレイは?」
「“7”。でも気にしなくて良いよ。装填得意だし、
「精度は?」
「
そう言うと、ガタッと車が揺れた。下り坂に差し掛かり、直線上に車荒らしの姿が見える。アクセルを強く踏んだグレイが腰の拳銃を抜くと、窓を開けて身体を外に乗り出した。
「は!? 何してんだよ!」
「窓、意図的に割るとアル怒りそうじゃない?」
左手でハンドルを操作し、右手で拳銃を構えるグレイに、ルークは反論の声を上げる。
「いや違くて! 撃つのか!? だったら、なんで俺が助手席なんだよ!?」
「俺も行くって言うから」
「そうじゃなくて!」
「少し、大人しくして」
加速する車内。下り坂を走り降りる隙に、グレイは前を走る目標を狙っていた。左目を閉じて照準を合わせる姿を見て、ルークは『本当に撃つ気だ』と理解する。
「バランス考えろ! なんで俺は助手席に座ってるだけで、グレイは運転と射撃なんだって聞いてんだよ!」
「君、運転できるの?」
「射撃もできるが!?」
バンッ ―― バンッ ――
雨の中を、銃弾が飛んだ。
「今、止まる。降りるよ」
腕を負傷したらしい運転手の一人は落下。もう一人は、運転を誤り壁に激突。
彼らの傍でキィ、とブレーキが踏まれる。三人は武器を手にしようとするも、手先をグレイに撃ち込まれていた。
「……一般市民だろ。撃って良いのか」
「一般市民、ではあるけど。特区にいる間はあまり考えなくて良い」
「殺さないよ。――命と代償に、僕に情報をくれるなら」
それは降り続ける雨のように、酷く冷たい声。
微笑んだグレイが、恐くなる程に。
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