003


 ルークは、雨が遠いように感じていた。外は、普段通りの雨が降り続く。それでも彼がそう感じたのは、グレイに『留守番』を頼まれたこの廃墟の所為だ。


 見上げれば、屋根裏が剥き出しだった。天井が抜けたのか、初めから無いのかは、定かでは無い。だが、そのお陰で錯覚する。狭くて薄暗いこの場所が、縦に背が有るように見え、雨から距離を取ってくれるように感じるのだ。


 脱いだケープマントを机に置くと、埃が動く。

 車へ積んだ荷物は少ない。各々リュックがひとつに、水と食料、寝袋。元々積まれて居たアレックスの私物の殆どは、ルークたちの荷を乗せる際に降ろされた。


 荷積みという名の荷降ろしを途中で、グレイは言っていた。

 

『おそらく、僕ら二人でも丸一日での報告は不可能だ。計画的に行くなら、丸三日。 頑張れば、二日かな』


(もし、丸一日で終えられたら。あの人、俺を見直すかもな)


 ルークが照準を合わせるはグレイ。

 彼はいつも、気付くと姿を消していて、一人で何処かに行ってしまう。ルークは置きざりが常だ。六班に配属された初日も、ルークはグレイに着いて行く事で精一杯だった。


(同じ、はずなのに)

 

 薄暗い廃墟の中ひとり。どさっと地面に腰を下ろしたルークは、無意識に右手を握る。その手の動きをぼんやりと眺めながら、グレイと車内で交わした会話を反芻していた。


  ☂


「グレイと俺は、同じだと聞いた」

 

「誰に?」

「アルさん」

「同じ? 僕と君が?」

「同じ、……孤児だと」

「それか。この国じゃ、そこまで珍しくないだろう」


「グレイは、Valバルせいじゃないんだな」

「僕はじゃないよ」


「だとしても。俺はグレイに、何か近しいモノを感じるんだ。年も同じ、警官を志した、そして六班へ配属になって。お互い、孤児だ。共通点、結構在るだろ?」


  ☂

 

 違う箇所を探し出したら、そんなモノは腐る程在る。そんな事、ルークは知っていた。それでも、それを理解した上で、ルークは『グレイと自分は同じ』と言う。

 明らかに違うのは、経験の差。警官になったタイミングの違う二人が、『同じ』であるはずが無い。


 それでも、ルークは目指す。

 偶然が重なって出会った彼と、同じ時を過ごすからには。

 彼の隣に並び立つ事を、ルークは諦めない。

 


(アイツ、遅くないか。どこまで見回りに行ったんだ? また単独行動か?)


 待機だけを命じられたルークにとって、時間の流れが遅いようだった。忙しなく過ぎる街の警官業務と異なり、見慣れぬ特区での時は遅い。

 同じRAINレインのはずなのに、空気ですら新鮮に映る。雨の匂いですら、香るようだ。

 

 立ち上がったルークは、雨の匂いに誘われたかのように、ふと外を見た。

 硝子の無い窓枠には、小さい影がひとつ。


 当たり前に雨が降る中、傘は無い。フードを深く被ったその影は、雨に打たれながら真っ直ぐこちらを見ているようだった。


 ただひたすらに、雨に打たれ続ける小さい身体。大きなフードがついた上着は、身体を覆うようにゆるく、雨が当たれば弾くように裾へ流す。


 濡れ続ける姿が、ひどく絵になった。

 

 

「おーい! ずっとそこに立ってんのか?」


 いつから居たのか、ルークは分からなかった。顔を出して声を掛けても、その子供は動かない。


「行くところがないのかー?」


 大きく声を発する。この雨で、音が届いていない可能性を踏まえたからだ。それでも、じっとこちらを見つめるだけで、動かない。


(少なくとも、グレイが出た時には居なかった。そうでなければ不自然だ。あの人はきっと、子供を素通りして見回りには行かない。グレイは、子供を助けるはずだ)


 動かないのであれば、動かすまで。

 ルークが雨に入り子供へ駆け寄ると、小さく見えたそれは、子供と言えるほど小さくなかった。やけに大きい上着が錯覚を生み出しただけ。ホンモノは、十は越えたであろう少年だ。

 

「こっち来い! 冷たいだろ!」


 抱えようと少し屈んだルークを避けて、少年はルークが居た廃墟へと走り抜けた。

 ルークは、黙って後を追う。その子が濡れなければ、なんだって良かったのだ。

 

 

「なんで外に立ってたんだ? これ、合羽カッパ?」


 雨をはらおうとルークが手を伸ばすと、その手はパシッと叩かれた。

 

「――触んないで」


 ピシャリと線を引いたのは、少女の声だ。フードから覗いた瞳は青、ショートカットの青髪が目を惹くようだった。冷たい視線が、ルークを刺すように向けられる。

 

「なんだよ、喋れるのか。良かった」


 声の高さから、ルークは少女と認識を改めた。

 触れるのをめたルークを確認した少女は、自らの手で雨をはらう。適当に雨を落とした後、狭い廃墟をくるっと見回し、ある物を見つけると、それを掴んでルークに言った。


「ねえ。これ、ちょうだい?」


 それは、警察官の象徴。

 何気なく机に置いた、警察官が一番上に纏う制服。

 

「コラ。それはあげられない。それに他人ひとの物に、勝手に触らない。返しなさい」


 一喝したルークの返答も届いていないのか、少女はそのケープマントをぎゅっと抱きしめる。そして、首をかしげてと笑って見せたのだ。


「君には〜、僕は捕まえられないと思うなあ」

「え? 何言ってんだ」


 くすくすと口を抑えて笑う彼女に、ルークは不気味さを覚える。ちらりとルークに向けられる青い瞳が光るようだった。次第に、笑い声が抑えられなくなったのか、彼女は大きく「あはは!」と笑う。それはもう、奔放に。


「これ、ずうっと欲しかった!」

「……だから、それは大切なモノだ。君には渡せない」

 

 ルークの口から出た静かで低い声は、警戒を含んだ音だ。外の雨は、もうルークには聞こえていない。

 天井を見上げてと笑った彼女はマントを広げると、上着の“上”にバサッとそれを身に纏う。


 そうして、フードの下から覗く青い目を、三日月のように細めて言った。

 

「奪い返せば? ――おまえには、ムリ」


 舞うように、少女は跳ねる。

 高く。くるり、るり、跳んで回った。



 一瞬だった。


 ルークの膝裏に痛みが走るまで。

 彼女に背後を取られ、蹴りを入れられた事に気付くまで。

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