002


 アンモラルはい特区とっくへ移動中の車内にて。

 ルークは助手席で、端末から空気に表示した資料を読み上げる。


「アルさんによると、年に一度のペースで特区の状況確認を行っているそうだ。治安バランスの変化や人口増減について……あくまで内密に調査をしたい、らしい。丸一日特区で過ごして、報告を上げれば良いって」

「面倒事、だね。アル、押し付けられても滅多に断らないだろうし」


 警視庁からRAIN北まで向かうには、少し距離が在る。警察車両で向かう訳にも行かず、アレックス所有の車を借りることになった。本人が、自ら「貸す」と言ってきたのだ。今回は、“勝手に拝借”したのでは無い。

 


「――おい。グレイ?」


 自分を問い掛けられて、グレイは心臓が跳ねる。意識を手放していたかのように、短く息を吸ったかもしれない。今は運転中だ、景色も見えていた。只、グレイは無意識に思い出していただけだ。

 ハンドルを握る力を変えないように、グレイは答えた。

 

「何?」

「何って。荷を積んだ時とか、まぁ今もだけど。相槌は適当な癖に、動きだけは機敏で正確。それ、少し気味悪いぞ。本当に聞いてたのか? 考え事か?」


 極めて冷静に声を発したグレイだったが、心ここに在らず。残った身体が、ルークへ違和感を与えてしまっていた。

 

「あー、聞いてた。何だっけ」

「だから、行ったことあるのかって。アンモラルはい特区とっく。アルさんは、中のことはグレイが知ってるだろうって言ってたけど」


(そうだ。それだ。その事を考えて居た)


 抜け落ちるように、消し去られたような記憶をグレイは手繰り寄せる。


「昔ね。詳しくはないけど、知ってはいる」

「へえ。俺は無いよ、来たこと」

「あるんじゃないか? 君は、Valバルせいだろう」



 RAINで「Valバル」が頭に付く名前を持つ者は、孤児院出身者が多い。里子に出されず、孤児院で大人になった孤独の姓だ。


 ルーク・ヴァレンテ―― Luke Valente――、彼もそのひとり。



「俺は、赤ん坊の頃に拾われてる。記憶がなければ、それは“行ったことない”に分類されるだろ」

「確かに。それは良いね」



 数十分。車内で話した彼との会話を、グレイが記憶から消してしまえば、これも全て無かった事になるのだろうか。


  ☂


 アンモラルはい特区とっく。そこは、基本的に廃墟の集まり。集落が在った形跡を、今も残す場所。


 グレイの中でアンモラルはい特区とっくの記憶は、思い出す必要も無い、消していた方が都合の良い記憶モノばかり。

 痛痛いたいたしい怪我を今負ったとしても、あの時程の感覚は持てないだろう。グレイの中で、思い起こせるだけで。


(この辺り、か。実際来ると、確かに)


 余る程に在る廃墟は、小さければ空き家の可能性が高い。大きい建造物だったであろう廃墟の多くは、既に先住民に占拠されているからだ。

 例外はある。かつてのグレイが、そうであったように。


 「中を確認してくる。少し待ってて」


 車を停めると、グレイはルークに声を掛けて車外へ出た。そこは、朽ちた屋根、壁にはツタが這う小さな廃墟。


 グレイは、そこに人の気配を探す。入口で身を潜めれば、グレイに雨は当たらない。朽ちた屋根でも雨を凌げる。地面へ落ちる雨音と、屋根にぶつかる雨音が重なり合う。

 

 念の為、銃を手に握る。音を鳴らして、威嚇しても良い。だが、気配が感じられない廃墟に対して、それを行う必要は無いとグレイは判断を下した。

 

 身を屈めて侵入すると、そこはガランとした空間だった。廃れた少しの家具と、カビ臭い空気がそこには残る。


(問題無いな)


 グレイは廃墟を出て、ルークを置いてきた車へ向かう。彼は荷物を見張り、大人しく車内で待機していた。迅速に廃墟へ突入したのもあって、彼の待ち時間は数分にも満たない。


「此処で良いと思う。僕、周辺を一応見回ってくるから、ひとりで留守番できる? 知らない人とかれないように」

「喧嘩売ってんのか? 留守番くらいできる。行き先を告げてくれれば、俺だって別に口うるさく言わない」


 彼をなだめて、グレイは外に出た。

 外と中の気温差が無い空気を浴びて、余計に懐かしい記憶が蘇る。

 

 

 、\・。゜、\ \

 

 

「お前、まだ逃げようとすんの? ほんっとに、怠いな」

「――ッああ!!」


「痛くねえんだろ? 何故叫んだ」

「いッ、たくない、わけじゃない!!」

「そうなのか?」


「実験室では死んだように大人しかった癖に、外に出たら結構動くんだな」

「……ずっと痛くて苦しいのと、少しでも息ができるっていう違いがある」

「へえ。痛覚、“無い”んじゃなくて、鈍いが“在る”、が正か。残念だったな、無い方が楽だったろ」



「手足くらいなら、俺が言えば新しい物になる。忘れられない程度に、お前を鍛える。――グレイ、諦めろ」

 

  、\・。゜、\ \

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