#02 Luke Valente's Dream

001


 警視庁第六班。

 初めて足を踏み入れたに飾られていた歓迎のバルーンは、跡形も無く片付けられたものの、ぬいぐるみの何体かはいまだ待機命令を受けているようだ。


 雨をはらって六班へ入れば、ソファに置かれたぬいぐるみを枕にしながら、グレイが横になっていた。ちら、と彼を見るだけ。ばちり、と目が合う。聞こえてくるグレイの声を無視して、アレックスのデスクの正面に立つ。


 彼の名を、ルーク・ヴァレンテ。六班所属の新人だ。

 

「アルさん! 聞いてくださいよ!」


 口に馴染んだ上司の名を呼びながら、ルークは思い切りデスクに手をつく。それは、デスクに、と言って良い勢いだった。

 置かれていたコーヒーが振動を受けないうちに、アレックスはマグカップを持ち上げて、デスクを揺らしたルークへ笑顔を向けて言う。


「……おー、荒れてるねぇ!」

「荒れますよ! そりゃ! あの人、なんなんですか!?」


 ルークに『あの人』と称された本人を見たアレックスは、もう一度ルークへ視線を戻して答えた。


「何って……。グレイ・アシュリーとしか」

「アイツ! 今日も俺を置いて単独行動……! 一緒に現場へ向かっても、気付いたら居なくなってるんですよ!? 結局、俺がひとりで掃除して、近隣住民への対応して! 戻ってきたら! なんて言ったと思います!?」


 微妙に出来た沈黙をアレックスが埋めないでいる隙に、当の本人がもう一度同じ台詞を繰り返す。


「ルーク、遅かったね」

「――って言いやがったんですよ!? なんで六班ここに居る・今迄どこへ行っていた・何故俺を置いて行く・俺とお前はバディだと言われてるのに!」


 アレックスが「聞こえてた聞こえてた」と言うあいだにも、ルークはグレイに詰め寄っていた。


「遅いって!? あんたが連絡を無視して居なくなったからじゃないか! そもそも、今時スマホ使ってる二十二歳って何だよ!? お陰で端末への強制接続もできない!」


 横になっているグレイの肩を掴んで、ルークがぐらぐらと身体を揺らしても、グレイはその力に身体を委ねたままだ。


「制服濡れてるんだったら、ずっと此処にいたわけじゃ無いよなあ! どこ行ってたんだよ!」

「まぁまぁ」


 荒れの元凶がやっと答えたと思えば、なだめるような台詞を吐いた。その状況に、ルークは怒りのような呆れのような“なんとも言えない”感情から溢れ出る震えを隠せない。


「あああああ! ムカつく! いっつもそうだ! 適当にかわして居なくなりやがって!」


 限界とばかりに大声を出すルークを、グレイとアレックスは静かに眺めていた。ルークが土砂降りでも、二人は静かな曇空の下だ。

 

「可哀想に、お前のせいだぞ」

「そう言われても」


 肩をすくめるグレイは他人事だった。局所的大雨だったのか、少し落ち着きを取り戻したルークに、アレックスは言う。


「ルーク、無理に“手綱を握ろう”としなくても良いんだよ? あれは、理想でしかないし」

「いえ……。すみません、取り乱して。ですが、ご指名されたからには、やらせて欲しいです」


 例え理想でも、それに向かって走るのがルーク・ヴァレンテ。

 アレックスへの答えを聞いて、一番に口を開いたのはグレイだった。


 

「無理しないで」

「あああああ!! 『ルークをよろしく』って出て行った時だけだ! あんたが俺を気に留めたのは!」

「そんなことはない、と思うけど」


 グレイは身体を起こして反論して見せる。顔が隠れるように頭を押さえていたルークには、グレイのその姿は見えていなかった。

 すれ違うような二人のあいだに、アレックスが入り込む。


「ほらほら、落ち着いて! ……そうだなぁ。毎年恒例、六班に押し付けられた仕事が一件あるんだけど、に行って来てもらって良いかい? 今迄は俺が行ってたけど、二人なら行けるんじゃないかなぁ。それが良いね、そうしよう!」


 ペラペラと話を進めるアレックスを、ルークとグレイは黙って見る。二人の視線を集めたアレックスは指を二本立てて、にっこりと笑う。

 


「――アンモラルはい特区とっくへ、で行って来てくれ」

 

 

  ☂



「へぇ、グレイを彼処あそこに」


 依頼人はグレイの音を覗いていた。勿論、右眼とピアスを介して。

 デスクに置かれたチェスの駒を手に取る。硝子製のナイトは、向こう側の景色を屈折させていた。


 、\・。゜、\ \

 

 世界に知られる奇跡の国。それがRAINレインだ。


 何故。RAINには、奇跡の雨が降る。天にもたらされた雨は、よごれやけがれを洗い流すとされる。憂いを落とす、醜さをぐ。

 何も無かった。たみは飢え、草花は枯れ果て、世界に見放された国に在るのは、世界へ平等に与えられる太陽の光。それしか無かった。



 そんな捨てられた国に、雨が降った。降り続けた。

 随分と昔の話だ。


 現在、RAINが他国へ誇る財産はふたつ。雨雲と、人だ。

 

 何故。際限なく上空に生まれる雨雲は、世界へ輸出される資源と成った。

 何故。雨を浴び、空気からも雨を自然に享受し続ける国民は、温厚で染まりやすい国民性を、陶器のような艶やかな肌を、免疫力や回復力が高い身体を手に入れ、世界中から愛された。


 それと、RAINには雨雲と共に存在する“陰”が在るから。

 これは、世界各国の限られた者だけが知っている理由のひとつ。



 今となっては、恵まれた環境と立ち位置を保持し続けているRAINだが、雨との共存や美しい街並み、平和的で豊かな生活が揃っていても、闇を蓄えている。

 失くす事は不可能。それなら、一箇所に集めて囲えば良い。

 

 

 アンモラルはい特区とっく

 RAIN北に位置する廃墟を残した特別区域。そこは、実力主義が容認された道徳から遠い場所。

 

 奪われる方が悪い。捨てられる方が悪い。騙される方が悪い。


 殺人も、――殺される方が悪い。


 隙に付け込む悪よりも、隙を見せる方が悪とされる。



 、\・。゜、\ \


 笑みを浮かべる依頼人の目は弧を描く。


「はー……、良いねえ。弱肉強食・優勝劣敗・自然淘汰、幾世いくよせいも強きが正義とされてしまう。そうせざるを得ないんだよなあ」


 光と景色を屈折させ続ける騎士の駒を、弄ぶように手の中で回す。近くに在った王様を手に取って窓へかざしても、雨は瞳に映らない。


「グレイは記憶力が特別良いわけじゃ無いけど、どのくらい幼少の事を覚えているのかな。キングの方は、記憶力良いんだけどなぁ。だから、壊れたのかもなぁ」

 

 これは独り言。音声はグレイに届けられていないし、六班の音を聞いていることもグレイには知られていない。依頼人が勝手に彼らを覗く事は、日常茶飯事と言えるだろう。


「グレイにとっては、動きやすいだろうなぁ。彼処あそこは、全てが自己責任をうたってる……まぁどこで生きようとなんだけどね!

 他人への信頼、友情や愛情、いわゆる綺麗で美徳とされているものは、彼処あそこには無い。元々それらを知らないグレイは、有利だよなぁ」


 コト、と音を立てて、二つの駒をデスク上に置く。


「新しいご主人様はValバル姓だったか。……じゃあ、少し不利か?」


 駒を見つめる依頼人は、思考を巡らせる。キングを触れば、ゆらゆらと光がきらめく。


「まぁ良い。どこまで彼を上手く使うかな、俺のグレイは」

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