010


 

 映し出されていた女王が消え、礼をしていた依頼人が顔を上げる。


「ま、こんなもんか。今回は。お疲れ、白煙はくえん

「疲れる事はしてません」

 

 仮面を外したグレイは、知りもしない誰かの口を動かして返答した。グレイの物と言えるのは、左の眼球と声くらいだ。


 依頼人が開けた窓の隙間から、一羽のカラスが部屋に入る。もう一羽は、既に居なくなっていた。

 リクライニングチェアに座った彼は、デスクの隅をノックする。音に誘われるように、鴉が賢く飛び乗った。雨に濡れた羽根を気にもせず、依頼人は鴉を触ると、グレイへ視線を向けずに彼は言う。


「そうだね! 君は突っ立ってただけだ。しかし、君が白煙としてそこに在り続けること。今はそれに意味が在る。自分の役を果たすように」

「わかっています」


 そう言って、グレイは変装を解く。身体を覆っていたローブの下は、よくある黒いスーツ。見慣れたグレイの姿に戻ると、依頼人は笑って言った。


「良いね。我らの人形で居るからこそ、可愛く見える」

「牽制をかけなくても、逃げたりしませんよ。教育し終わっているでしょう」


「前例があるからなぁ。贔屓ひいきの人形は、何をするか解らない」

「よく言いますよ」


(弄ぶように、楽しんでいる癖に)


 口に出すべきでない言葉が、グレイの身体中を巡った。依頼人に『人形』と称される陰は、グレイ以外にも存在している。

 彼が拾い、彼に教育された陰は、どう足掻いても容易く残酷に繋ぎ止められるのだ。残酷と感じるかどうかは、陰次第。グレイは単純に、事実を心の中で呟いただけだった。


 

きみ、よく生きてるよな」

「……なんです? 貴方が生かしてるんでしょう」

 

「それはそうなんだけど。よく壊れないなー、と思う時がかなりあるよ。きみに関しては、特にね。厳しくカスタムしているし、絶望や恐怖、痛みつらみの記憶は、深く刻まれているはずなのに」

「お陰様で」


 今では存外、鈍くなってしまったそれらもゼロでは無い。痛みを感じる事も出来るし、記憶のページをめくれば鮮やかに蘇る。重い本を閉じるように、閉まっているだけで。


「壊れる事も、消える事も許されない。そう理解しているのは良いけれど、それだけか? 何かしらの理由が在ると、人は納得し易い生き物なんだけど」


 ニッコリと笑う依頼人の目に、グレイは良い思い出が無い。少し時を遅らせるように、グレイは思巡らす。過去に起きた出来事の中で、理由と言える記憶を探した。

 

 ひとつ。グレイは、同じようなシーンを何度も思い出していた。

 それは、人が命を失う瞬間。その少し前を巻き戻して、自分と対象者が相対する時間。怯えるような表情や流れる血液の匂いと共に思い出す、これが理由と言えるかもしれない。グレイはその一手を打った。



「……僕の前で、言うんですよ。『死にたくない。殺さないでくれ』って、台詞のように」


 記憶のページをめくれば、そのシーンは幾つも再生される。


「口を揃えるように、読み上げるかのように言うんです。殆どが、殺される事、死ぬ事を嫌がる。

 僕には、理解出来ないので。あの人たちが必死に求めたせいを、体感している。それだけです」


 引き金を引いた。他にも、銃以外の道具を用いて。全て、自らの手によって。無意識にグレイは、自分の手元へ目線を落としていた。



「そういえば」

「まだ何か?」


 理由として受領されたらしく、依頼人は唐突に話を変えた。何でも無いような一定の口調に、グレイは付いて行く。

 

きみ、『手綱を握られる』んだって?」

「あぁ。聞いていたんですね」


 此処へ来る前の、六班での会話が思い起こされる。アレックスの理想の話だ。ルークが同い年でも年下でも、グレイにはあまり関係が無かった。

 

「勿論。新しい首輪も、大切にしないとだね」

「その必要はないです」

 

「えー、そうかなぁ? きみも、そのことを了承してたじゃないか」

「まぁ、よ。彼に僕の行動を制限することは、不可能に近いでしょうから」

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