008



 雨雲の向こうに居た太陽は落ち、そこに在るのは月ひとつ。

 辺りは暗い。雨の音が続くこの国で、時刻を告げる時計塔は、夜闇でもRAINレインへ時刻を告げる。


 時計塔内から照らされた盤面にかげるは、二本の針。時を刻む光を、真下から見上げるものは少ないが、国民にとっては“当たり前”にずっと昔から、そこに存在しているものだ。


 


 時計塔機械室。そこは、文字盤の裏へ繋がる唯一の部屋。

 

 

 グレイは窓際に置かれたデスクを乗っ取るように、勢い良くリクライニングチェアに座る。両足をデスクに上げて足を組むと、デスク上に置かれた紙類がはらはらと床へ落ちた。


(あと三十秒、ってところか)


 グレイが目を閉じて、三十秒後。

 セキュリティーキーが解錠される音が鳴り、グレイは目を開ける。自動でスライドされたドアから機械室へ入って来た彼は、すぐにスーツのジャケットを脱いだ。視線が交われば、目を弧にして軽く笑って見せてくる。


「お、もう居たの。速かったね」

「急かしたのは、そちらでしょう」


 さほど驚きもせず、グレイを急かした張本人は言った。

 ピアス越しにグレイを操るKie shade。その一員であり、グレイへの依頼人である彼は、時計塔を軸にして活動している。


「あの、居たかい?」


 デスクの正面に立つと、依頼人は言った。白いシャツを着た彼は、袖口のボタンを外して、くるくると腕捲りをする。グレイの体勢を気にもしない相手ゆえ、グレイは脱力したまま天井を眺めていた。

 

「どうしてがしたんです」

「逃げちゃったんだよ。気付いたらいなくてさ」


 袖を捲り終わった両腕を、腰に置いて「はぁ」と空気を吐く依頼人の、白々しさは彼特有の個性と言える。演技のように見えるその仕草は、依頼人に染み付いた昔からの癖だ。

 

「逃げられるようにしておくのが悪いと思います」

「あんまり閉じ込めておくのもなー。ま、きみのところに現れるだろうし、捕まえておいてくれ」


 面倒臭そうに言い放つ依頼人へ、グレイは目線を向ける。

 

「現れたら、でいいんですね?」


 確認を取るようなグレイの態度に気付いた依頼人は、デスクに両手を置くと、しっかりとグレイの目を見つめて言ったのだ。

 

「いいよ。きっと、近い内に現れるよ。あのは、きみにご執心だから」


 グレイは冷たい目を依頼人へ向け、一呼吸置くとデスクから足を下ろす。「わかりました」と言って立ち上がり、チェアから数歩進んで窓からRAINの街並みを見下ろした。

 

 夜闇の先で灯された景観を、窓を濡らす水滴が邪魔をする。景色をぼやかすように、光を反射するように。静かに聞こえる雨音は、きっと今日も地面に水溜まりを作っているのだ。



中は、仮面をつけるようにね」


 次を誘導するように、依頼人はグレイの行動を操る。

 グレイが窓から目を離し、依頼人の方へ振り向くと、彼は穏やかに言った。


仮面下そのした、きちんと変装しておくように」

「わかっています」


  ☂


 部屋に灯された照明を落とせば、暗いと感じていた窓の向こうが明るく見える。月明かりを漏らさない程の分厚い雨雲が、RAINを覆っていた。


 グレイが立つ場所に、強く光が当てられたのは突然。全身に光を浴びたグレイは、反射で左目を閉じていた。上から注がれた眩しく白い光は、グレイの影を極めて小さくさせる。

 

 一拍置いて。

 依頼人が割り込むようにグレイの前に立ち、深々とお辞儀をして見せた。


「お待たせいたしました。かげが参りましたので、ご挨拶をさせて頂きます」


 白い光に包まれるグレイを背景に、依頼人の影だけが相手へ届く。

 映し出されたのは、ひとりの女性。白いベールに顔を隠された姿は、国民が見慣れた女王の装飾だ。



白煙はくえんか?」



 ゴールドの指輪やネックレスをきらめかせ、彼女はベールをずらした。長い睫毛に、綺麗に重ねられたアイシャドウ。麗しい瞳を覗かせて、女王はグレイに問う。

 

 グレイが変装の上に重ねた仮面は、目元を隠す。口元は、網目の粗いレースに施された繊細な刺繍が、を見えなくさせる。は誰のでも無い、造られた顔だ。

 

 片足を引き重心を下げたグレイは「はい」と答えた。丈の在る白いローブの裾が床に触れる。この衣装を身に纏うのは、こうして映像越しに顔を合わせる時だけだった。


 

「この前もそう答えていたが、偽者だったな」


 そう言った女王の声を遮るように、依頼人は笑い声を響かせる。天井を仰いで掠れるように笑いを止めた彼は、女王の目を惹きつけた後、姿勢を整えるように襟を正す。

 依頼人の出した次の台詞は、嘘のように落ち着いた声をしていた。


「この仮面は、複数ある内のひとつですので」


 依頼人の後ろ姿しか見えていないグレイでも、彼が目を細めて笑っている顔が見えるようだった。

  

「まぁ良い。報告を」


 “どうでも良い”とばかりに、女王は先を求める。

 依頼人が了承の意を見せるように、左胸に手を当てると、浅く礼をした。



「それでは私から、順を追ってご報告いたしましょう。

 ――チェックメイトまで」


 白い光が落とされ、グレイは闇に包まれた。

 


 

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