006


「グレイさん? 何閉めてるんですか」


 グレイによって素早く確実に閉められたドアの向こうには、六班の上司・アレックスが居る。彼を見たグレイは、反射的に動いていた。

 


 表に貼り付けられた笑顔の仮面。

 その奥に忍んだ怒りの感情。



 それは、グレイにとって唯一の“苦手”という感情を引き出す姿だ。しかし、本日配属のルークには、アレックスのまとった怒気を察することは難しい。


「いや、けない方が良いと思う」


 片方の掌をドアに付けると、グレイはドアノブから手を離し、体重を乗せるように体をドアに傾けた。

 すると、向こう側からひらかれようとするドアは、小刻みに揺れ始める。外と内から力を与えられ、あいだに挟まれたが壊れてしまわないのだろうか、とルークが心配になる程だった。


 次第にアレックスが優勢になり、少しずつドアに隙間が生まれる。アレックスの腕が差し込まれ、その腕はグレイがドアを押す腕を掴んだ。


 たった一音。グレイが「げ」と発してからは、速かった。


 問答無用でドアが押し開かれ、腕を掴まれたグレイは、そのままズルズルと部屋の中へ引き摺り込まれる。


 

「ルークも、入りなさい」


 捕まったグレイは、応接用のソファに放り投げられると諦めたように溜息を吐く。殴られても平然としていたグレイが、何故かアレックスに抵抗する姿を見せた。何事もなかったかのように、優しく笑うアレックスの声に、ルークは戸惑いを覚える。

 何も知らないルークでも、部屋への一歩が重いのだ。



 ルークがグレイの隣に座ると、アレックスはテーブルを挟んで二つ並んだ一人掛けのソファへ座って言った。

 

「グレイ。俺がお前に言いたいことは、ふたつ。わかるか?」

「いいえ」


 アレックスからの問いに、グレイは食い気味で返答する。

 やれやれと呆れたようにアレックスは「ふたつだ」と言うと、指を二本立ててグレイの目の前に腕を伸ばした。



「ひとつ! ルークを放り出すな!

 ふたつ! いい加減、窃盗癖を直してくれ」

「ひとつめは、そんなつもりなかったんだけど」


 少し声を張って話すアレックスに対し、グレイはうんざりしたように返答する。


「ふたつめは、そんなつもりだったんだな?」

のお陰で、誘拐は阻止できました」


 二人の話すスピードが速くなっていく。グレイが、アレックスが話す言葉の途中で、重ねるように返答するからだ。


「ああ、よくやった。だが――」

「彼が、きちんと回収してくれたので問題な」


 グレイが返答を重ねたタイミングで、アレックスは言葉を止めた。

「ふー」と長く息を吐き、深く腰掛けて足を組む。顔に手を覆った指の隙間から、グレイをと見て、アレックスは言った。

 


「お前。俺と話す時に“時短”しようとすんな、って言ってるよな?」


 少し、トーンを落としたような。少しの荒さを含んだその声と態度。温厚そうなアレックスの印象から外れるその仕草。

 静電気のように、瞬間的にピリッとした場の空気を、ルークでも感じることが出来た。

 

「……すみません」


 グレイが口元を手で覆う。姿勢を正すように座り直したグレイを見て、アレックスは足を組むのをやめる。

「はーぁ」と呟くと、咳払いをしてルークへ軽やかに言葉を投げた。


 

「ルーク、現場まで到着できたようで良かった!」


 笑顔を見せるアレックスに少し安心を覚えたルークは、ハキハキと答える。

 

「はい! アレックス巡査部長からの指示通り、途中で、バイク……を……」


 思い出すにつれて、語尾が弱まっていく。港では、息を止めるほど必死になっていたルークも、あの嫌な音は耳に残されていた。何かとの衝突音も、地面に擦れて傷付く音も。

 ルークが言葉を止めてしまったあたりで、アレックスは微笑んで言った。



「壊した、らしいね?」

「……も、申し訳ありませんッ!」


 笑みを浮かべるアレックスに恐さを抱いたルークは、反射的に謝罪。座りながらも、出来る限り頭を下げる。

 


「幸い、バイクあれは廃車には、ならないそうだ。次からは気を付けてね! ルークにも期待しているから、後先考えない……グレイみたいな行動は、今のうちに改めて欲しい」


 そして、アレックスは繋げてこう言った。

 


「心配するからね。ちゃんと、俺のところに二人とも帰って来てくれ」


 先程のピリッとした怒りの空気が、気のせいだったかのように感じられる。

 ルークが頭を上げると、アレックスは呆れたように、それでいて優しさも含むような視線を、グレイへ向けていた。グレイが「何」と言い返すほど、見つめ続けていたらしい。


(期待と心配、か。今後は絶対に気をつけよう)


 ルークが心に決めていると、アレックスが「そうだ!」と声をあげた。


「ルーク。俺の事は『アレックス巡査部長』だなんて堅苦しい呼び方じゃなく、もっと気軽に呼んでくれて構わないからね」

「え、あ、はい。……アル巡査部長」


 ルークは、グレイが『アル』と呼んでいたのを思い出し、そう呼んだ。すると、アレックスは「アル、で良いよ?」と笑う。


「えっ!? はい! いや、流石に……」

「あはは、君のペースで良いけどね! あと、グレイへの呼称も変えようか。先輩・後輩という関係性より、“バディ”というか。


 ……できれば、ルークにはグレイの手綱を握ってほしいんだ」

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