005


 膠着こうちゃく状態。

 

 警察所有のバイクに乗って、ルークが遠目に見た現場は誰が見てもそう判断できただろう。

 子供に拳銃を突き付け、逃走を謀ろうとする誘拐犯。人質を取られ、両手を上げる刑事2名。遠巻きにそれらを見守る野次馬も、警察の勝利を祈っている。


 そんな状況で、ルークにとって不自然な存在は、たったひとり。

 何故か犯人へ背を向けて、近くに在る郵便バイクを漁っている姿が見える。ヘルメットを被っているが、彼こそが六班ろっぱんの先輩・グレイだった。


(何があったら、あの状況になるんだ? 刑事部は、犯人を取り押さえられないのか?)


 そんな考えが頭をぎった後、次にルークが感じたのはグレイからの視線だ。

 

 視線が交わる。

 それは、互いの存在を認識したような。

 

 決して長くない。本当に短いその隙間。

 時間ときの流れが、明らかにスロウに変わった。


 薄く微笑んだグレイが、荷台を抱えてルークに背を向ける。

 箱が、荷物が、手紙が舞って、グレイが犯人へとそれを放り投げた瞬間とき


 

 状況が一変した。

 

 

 箱が落ちる中、姿勢を低くしたグレイが犯人の間合いに入る。投げられたの数々が犯人に落ちていく一方で、それを防ぐ犯人の懐に潜り込んだのは、ほんの一瞬の出来事。

 グレイが犯人の腕を捻り、揉み合う中でも節々の動きを封じていく。

 バサバサと音を立てる封筒が視界を妨げているのか、刑事部は動きを見せない。

 

 手紙が全て落ちた。その時には既に、子供はグレイの手に渡っていた。地面へ左手をついてバランスを取り、右腕で子供を抱え、自らの体でそれを庇う。


(――奪還成功)


 人質を奪われた犯人は、体勢を崩しながらも銃口をグレイに向けようと動く。

 グレイが犯人を見上げるように振り向いた時。犯人へと伸ばした左手には、銃が握られていた。

 彼らが銃を向け合おうとする腕の軌道が、シャッターを切るようにルークに残されていく。


「グレイさん!」

 

 ルークがバイクを飛び降り、犯人に飛び掛かる。激突した衝撃で犯人は引き金を引いた。銃声が港に響くと、野次馬から聞こえるのは悲鳴とどよめきだ。

 弾道はグレイから外れていた。ぶつかった勢いのまま犯人に覆い被さったルークは、共に地面へ倒れこむ。少し先へ落ちた犯人の銃を、グレイが足を伸ばして蹴り飛ばす。

 

 さっきまでルークが乗っていた物が、向こうの方で嫌な音を立てて止まった。海へ落ちなかっただけ、まだマシだ。


 犯人を上から押さえつけたルークは、自分の息が上がっていることに気付き、少し驚いた。反射で動いたルークの体は、息を止めていたのだ。

 ハッとしてグレイを見ると、彼は頷いた。それを受け取ったルークは、警察学校での訓練通りに叫ぶ。

 

「か、確保!」


 野次馬から「おおっ!」と感嘆の声が上がる。そのままルークは、馬乗りになる形で犯人を押さえ付けた。抵抗の姿を見せる犯人も、動く程により強く力を込められ、諦めたように大人しくなっていく。

 

 取り押さえたは良いものの、現場では妙な空気が流れていた。

 

「……犯人確保!」


 続けて、グレイが強く声を発した。

 その声を合図に、刑事部が動き出す。犯人を押さえ付けるルークに「代われ」と言うと、手錠を取り出して時刻を呟く。また、野次馬に紛れていたであろう、私服警官二名が合流。

 

 救出された子供は、グレイにしがみつきながら、声をあげて泣いた。


 

 ほとんど止んでいた雨が、次第に強くなっていく。

 子供に動きを制限されたグレイへ、ルークは傘を貸した。


 グレイから「郵便物の回収」を指示されたルークは、地面に散らばる郵便物を搔き集め、投げられた箱に仕舞い込む。

 防水加工無しのブランド紙をハイセンスに使用した便箋の幾つかは、雨を吸収して駄目になってしまった。


 辺りは直ぐに刑事部の管理下に置かれ、応援が到着。野次馬は散らされ、犯人はパトカーに押し込まれる。

 六班も、被害者と共に警視庁ゆきとなった。


  ☂。六班がそれぞれ手を振り返していると、背後にひとりの男がゆっくりと立つ。


 グレイは男の気配を察し、何も言わずに数歩前へ移動。肩に手を置かれたルークが振り向くと、男はその低い声で、小さくもハッキリとルークに言った。


「このバカ野郎が。なんで捕まえてんだ!」

「え、えぇっ!?」


 子供の愛らしさに油断していたルークは、突然現れた刑事部の存在と、その言動に驚いた。ルークの肩に力を込め続ける刑事に、ルークは「いっ!?」と痛みから生まれた声を零しながらも、それを受け続ける。

 

「あー、すみません。彼、六班うちの新人で」

「ろ、っぱん所属、ルーク・ヴァレンテと、申しま……す!」


 振り向いたグレイは、刑事の手を退かすように、自らの手をかざして彼へ歩み寄る。ルークは痛みに耐えながらも、名乗りを最後まで言い切った。

 

「刑事部、ギルバートだ。……お前も現場を混乱させやがって! 囮捜査ってわかってただろ」

「えっ、。もうひとり犠牲にするつもりだったんですか? 僕、ちょっと前まで殴られていたんですけれど」


 ルークとギルバートに距離を取らせ、あいだに入ったグレイは、自らを囮としていた。

 グレイは直前に“刑事部の面倒事”を請け負って、目に遭っている。微かに残る殴打痕や刑事部が六班に依頼をしたという点から、この痛みは事実といえよう。


「その件は、病院から聞いている。すまなかったな。酷く殴られたと聞いたが……、肌が白い癖に痕が残りにくいのは相変わらずだな? 港ではそこまでわからなかった」


 じろりとギルバートに見られたグレイには、病院で手当てされた時ほどの外傷はもう残っていない。ルークに覗かれた顔にも、多少赤みや口元の傷が確認できる程度しか傷は無いだろう。

 

「グレイさん、治るの早くないですか?」

「治ってない。そう見えやすいなだけ。普通にから」


 グレイが言うは台詞でしか無い。種を知っているのは、この場でグレイただひとり。演技パフォーマンスを魅せられる観客には、知る必要がない真実だ。


「本当に殴られたのか?」

「殴られてました。それはもう、地獄のように」


 ギルバートがグレイに確かめた質問を、ルークが即答した。他者からの証言を、本人の申告よりも重要なとして集めることが多い“刑事”ギルバートにとって、最も信用できる反応だろう。


「依頼したのは刑事部そちらでしょう。何故なぜ疑うんです?」


 冷ややかに笑うグレイへ、ギルバートは「そう、だな。悪かった」と頭を下げる。


 グレイは「いいえ」と声を掛け、顔を上げるよう促した。ギルバートは顔を上げ、ルークへと一喝する。

 

「おい、新人。面倒事は解決するだけで、増やすなよ!」

「は、申し訳ありません!」


 反射的に敬礼をするルークに、グレイは笑いを零した。

 

「はは、すみません。アレックスにも伝えますので」

「アレックスさんに任せっきりじゃなく、お前も何とかしろよ。グレイ」

「お任せを」


 グレイはルークを真似て、敬礼をして見せる。並んでギルバートの背中を見送ると、ルークは言った。


「……グレイさん。あの時、俺に『確保しろ』って目線送りませんでしたか?」

「送ったね」


 そう言って、グレイはギルバートと反対に歩み始める。廊下を歩んで、一番端の部屋に『警視庁 第六班』は設置されていた。


「確保、しちゃ駄目だったんですか」

「してよかったよ。子供は、助けないとね」


 六班と書かれたプレートが掛かるドアを、グレイが開く。

 そこには、にこやかに、かつ怒気を帯びたアレックスが、仁王立ちをして二人の帰りを待っていた。


「二人とも、おかえり。ちょっと話があ――」


 グレイは、ドアを閉めた。

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