#01 He can't feel the rain.

001






  暗く紫、静かに忍び寄る白煙。

  僅かな透き間や一瞬の油断に、ご注意を。





 ――此処ここは、何処どこだ。


 上空だとすれば、真っ逆さまに急降下。

 自重で加速し続け、何層もの雲を突き破っては落ちていく。


 深海ならば、沈みゆく水の中。

 纏わり付く重い海に「藻掻きも、泳ぎもしない」と飽きられるだろうか。


 落ち尽くした先には、何が在る。

 身体を突き刺す針の山、今迄奪った命で作られた血の池。単純に、硬くて冷たいコンクリートへ叩きつけられるだけかもしれない。


 考えたところで、解らない。知り得ないのだ。

 ただ、落ちている。それが事実で、それだけが答えだ。

 

 そんな夢を見ていた、気がする。


 どちらでも良かった。

 グレイにとって現実と夢は、そう変わりないのだ。




 深夜零時。電源に繋がれたままのスマートフォンが枕元を灯す。眠るグレイを起こしたのは、着信を知らせる機械音だ。


 P――, この音を拾った瞬間に、彼は目を覚ます。覚醒した脳を動かしながら、次が鳴るまでの隙間に目を細めて画面を確認する。

 P――, 表示された数字は、見慣れた番号だ。短い溜息を漏らし、ベッドへ横になったまま通話を押した。


 

「はい。グレイ」

『やぁ。今日の仕事は、夜勤かい?』


 電話口から聞こえてきたのは、やけに快活とした男の声だ。


「違います。寝ていましたよ」

『きみ、眠ったりするのかい? まぁ良い。任務だ』


 日常だった。依頼人が時間を気にせず連絡して来る事も、こちらの生活を配慮した振りをしている事も。


『任務』と聞いたグレイは、直ぐに身支度を始める。と言っても、服装はベストとジャケットを羽織るだけ。支度に必要なのは、衣服へ仕込んだ道具達の確認だ。弾数や本数が不足していないかを、暗闇の中で流れるように確かめる。



『四時までに、殺しておいてくれ』


 その言葉に、グレイは安堵した。ちょうど一週間前に依頼された“誘拐”の任務が頭をよぎったからだ。

 あれは、彼にとって面倒な案件だった。生きたまま、という煩わしい条件に加えて、運んだ後の監視つき。助けを乞われたり、暴言を聞き流したりする事が、グレイにとって酷く億劫だった。


 特注で作られた彼専用のピアスを、右耳の軟骨に装着する。着けるだけで、今の通話も自動的にピアスへ切替わる優れ物。これが、グレイの位置情報を把握する最適解だ。


 

「後処理は?」


 充電し続けたスマートフォンを手に取り、データで送信された対象者の情報に目を通す。暗い部屋の中で光に照らされたグレイは、左の瞼を閉じ、右眼だけを眩しさへ晒して情報を追う。


 そのあいだに、左手で右手首を掴んで脈を測るのだ。



《それはこっちでやる。綺麗めに、よろしくね》


 ピアスへ切替わった途端に呆気なく切断された音声は、外に降る雨の音を際立たせた。触れた脈へ残した指から、心音が聞こえるみたいに静かな夜だ。



(あぁ、今日も生きているらしい)



 レイン――RAIN――と呼ばれるこの国は、その名の通りよく雨が降る。


 雨は良い。グレイにとっては好都合だった。雨雲は暗く、人々の視線を狭める。傘は他人との距離を測りやすくさせ、人に隙間を作り出し、影を増やす。


 何より、雨が全てを洗い流してくれる気がするのだ。


 ☂


 四時までに。そう指示された任務は、素早く終えた。後処理を逃れたグレイは『綺麗めに』という要望も叶えただろう。滞りなく任務を終え、何事もなく日々の勤務をこなすのが、グレイの日常だ。


 勤務先のドアを開けたグレイは、見慣れた顔と知らない顔のそれぞれから、太陽のような挨拶を浴びた。

 

「おはよう、グレイ」

「おはようございます! グレイさん!」

 

「おはようございます。……ボス、彼は?」


 眩しい二人の挨拶に照らされたグレイは、日陰に隠れるように適当な返事を贈る。

 すると、見慣れない顔が素早く反応を見せた。


「ボスって呼ばれてるんですか!? 自分もそう呼んでいいでしょうか!」

「いや呼ばれてないから、呼ばないで。お前も適当言わないの――グレイ、紹介するね。彼はルーク巡査。本日より『六班ろっぱん』へ配属となりました! はい、拍手! ここ大きく拍手して!」

 

 わっと盛り上がって拍手をする二人に流されて、グレイは形だけ手を叩く。


 見慣れた顔の持ち主は、アレックス。五十を超えても鍛え抜かれた肉体を持ち続ける彼は、戦闘もイケる。その癖、最前線に出るのを嫌い、柔和な見た目を備え持つ。親しげな笑みは、他人を安心させることだろう。

 グレイにとって、直属の上司は彼だけだ。


 アレックスの隣で笑う知らない顔は、逞しく、引き締まった身体を持っていた。若々しいながらに備えたそれは、おそらく訓練による筋肉モノだろう。新人特有の礼儀正しく爽やかな彼を見て、グレイは『同い年くらいか』と推測した。

 金髪は、雨の街では明るい部類だ。茶色の瞳を細めながら笑う彼の存在は、グレイや六班にとって新鮮な光景だ。


(どっちもデカイ) 


 グレイが二人の横をそのまま通り過ぎようとすると、アレックスに力強く腕を掴まれ、入口まで押し戻される。


「違う。グレイやり直し。ここは、もっと盛り上げて。もっと大歓迎! はい! 最初から!」

「アル……、朝から元気だな」

「グレイ以来の新人だぞ。四年ぶりだ! もっと喜べ! 君にとって初めての後輩だぞ!」


 ルークの肩に手を乗せ、「どうだ!」と目を輝かせるアレックスは、新しい玩具を買い与える親のようだ。


「うん、喜んでる。――僕はグレイ。ルーク、よろしく」

「はい! グレイさん、よろしくお願いします」


 グレイが差し出した右手を、ルークが両手で握り返す。喜んでいると口にした通り、微笑むグレイはルークを歓迎する感情を持っていた。二人の握手を見たアレックスは、安心したような笑みを浮かべた後に文句を声に出す。

 

「あぁ! もう! 俺は、もっと派手に歓迎したかったのに!」

「派手にって……」


 グレイが改めて辺りを見回すと、部屋の中はバルーンやで装飾されていた。床には、クラッカーを鳴らしたであろう形跡。もう既に、一度派手に歓迎した後と判断できる。


 アレックスの不満を聞いたルークは手を離し、掌をグレイへ向けると申し訳なさそうに首を大きく振った。


「もう充分嬉しいです! ――あ、他の方はいつ来られます? 交代制でしょうか?」


 そう言って、爽やかな笑顔を見せるルークを見て、グレイはアレックスへ視線を送る。


 グレイからの視線を逸らし、窓の外を眺め始めた彼が、ルークに何も説明していないことは明らかだった。「今日も頑張ろう!」と、適当な意気込みを口にするあたり、自分で話す気は無いようだ。


 変わらず期待の眼差しを向け続けるルークへ、グレイは重い口を開く。


「……ルーク」

「はい!」


「これで全員だ」

「はい?」


此処ここ、アレックス巡査部長率いる『警視庁 第六班』は、“地域密着・情報管理”を主に――。

 まぁ要するに、雑用。他の班がやらないような事も、六班うちはやる。そして、メンバーはアルと僕。以上だ」



 RAINレインの警視庁には、刑事部や公安部など様々な部署がある。そんな中、何処の部署にも所属しない班――それが『第六班』。

 一から五班は存在せず、メンバーはたったの二名。



『面倒事は六班ろっぱんへ』



 この国の警察官は、誰もが知っている常套句。


 それをルークが知ったのは、今この瞬間。グレイに軽く説明されるまで、ルークは何も知らなかった。

 これは、警察官だけが知っている事実。一般市民は知り得なくて当然。勿論、警察学校 訓練生においても知る訳がない。――関係者が血縁に居るなら、話は別かもしれないが。



 その事実を突き付けられたルークが放心しているあいだに、グレイは動く。

 無線・警棒・手錠、そして拳銃。ガチャガチャと、それらを慣れた手付きで自らに装備する。


 元々着用していたベストにジャケット、その上から羽織るケープマントこそが警察官の象徴だ。一番上に羽織るべきそれは、市民に安心を与える。加えて、警察官を雨から守る役割も果たすのだ。



「アル、じゃあ行ってくる」

「はい。いってらっしゃい」


 装備を整えたグレイは、アレックスに声を掛けると足早に部屋を出た。


「え! ちょっ……、私も行きます!」


 焦って追い掛けてくる彼は、前もって指示を受けているのだろう。どうせ“共に行動”するように、程度が定石だ。

 部屋の扉の向こうから「気を付けて、いってらっしゃーい!」と言うアレックスの声を、グレイとルークは背中で聞いた。



「グレイさん、仕事って一体何を」

「今日はとりあえず、怒られに。僕ひとりでも大丈夫だよ」


 ルークを振り返らずに淡々と答えたグレイは、飾りなく事実を伝える。それでも、本日配属の新人に与えられた選択肢はひとつだけ。


「一緒に行かせてください!」


 そう答えたルークは、後に起こる悲劇を未だ知らない。六班に配属されなければ。彼と出会わなければ、知らずに済んだ感情も多く在っただろう。


 この出会いは偶然か、必然か。

 

 初仕事の内容も知らないまま、ルークはグレイの背中を追いかけた。



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