Melody of Memory

福山慶

Melody of memory

 大学合格が決まり、上京するための引越し作業を自室でしていた僕は小さな棚から一枚のCDを見つけた。

 少ししゃがんで手に取り、ケースをなぞる。

 埃が被っていて指が汚れた。それをフッと吹き飛ばし、僕は哀愁を覚えながらジャケットを見る。雨の中、白いワンピースを着た女性が傘を差して立っている。そんな写真だ。

 中学時代、なけなしのお小遣いを叩いて買った、僕が唯一持つCD。あの頃は些細な出来事で心を動かされるくらい多感だったなと思いながら、僕は当時を懐かしんだ。


 五年前、動画配信アプリで適当に時間を潰しながら自室でくつろいでいたときのことだ。これから僕の心を振り回すことになるアーティストの歌がおすすめに出てきた。

 僕はその歌のアーティストを知らないし音楽にも関心はなかったが、どこか陰鬱な気配を醸し出すサムネイルと『ゆめ』というたった二文字のタイトル、そして一〇〇万再生という決して少なくない数字に心惹かれ、気がつけば再生していた。それからはすっかりそのアーティストに魅了され、毎日その人の歌を聴き続けることになる。

 嬉しいことがあった日も、悲しいことがあった日も、彼女の優しく透き通るような歌声に元気をもらうことは生活の一部になっていた。

 それから一ヶ月ほど経過したある日のこと。僕はそのアーティストについてどんどん関心が高まっており、もっと知りたいと思うようになった。というのも彼女の歌はおよそ一年ほど新曲が出ておらず、もしかして引退したのかなと疑問に思うようになったからだ。思い立ったが吉日、さっそくスマホで検索をかけてみた。そこで僕は言葉を失うことになる。

 アーティスト名を途中まで入力したところでそのアーティストの名前の隣に『死亡』という一つの単語が引っ付いていたのだ。


「えっ」


 頭が真っ白になった。

 心臓がピタリと止まったかと思うとすぐに鼓動を速め、胸を熱くする。今まで人の死に触れたことがなかった僕はこの現実をどう受け止めたらいいのかわからなかった。

 恐る恐る、死亡と簡潔に書かれたところをタッチするとそれは事実だったようで、情報が事細かに表示されていた。

 なんでも彼女は幼い頃から病気がちだったらしく、二十五歳という若さでこの世を去ったらしい。一年前のことだった。


「なんで、そんな……」


 ネットには悲しみの声が木霊していた。デビューしたときからファンだった。とても悲しい。お悔やみ申し上げます。これからもあなたの曲をずっと聴き続ける……。

 この人たちの悲しみは計り知れないだろう。僕だって今困惑しているけれど彼女を知ったのはつい最近なのだし、ずっと応援していた人に比べれば……。

 ネットには彼女の軌跡や想いも書かれていた。病気で頻繁に入院をする日々、彼女は「どうして世界は私にこんなにも冷たいのか」と苦しんだ。だがたった一つ、歌だけは救いであり楽しみだった。

 小学生の頃から歌が聴くのも歌うのも大好きで周りの人たちも歌が上手だと褒めてくれていたらしい。楽しみは憧れへ、憧れは目標へと変わり、二十歳まで生きられるかどうかと医者に言われ、彼女は死ぬより前にプロになってみせると決意した。夢を追いかける日々は楽ではなかったけど、それが生きがいになって楽しくもあったと書かれている。そして彼女は医者を驚かせるほど長い時間を生き、夢を叶えたのだ。プロになって四年と六ヶ月。彼女はその生涯を終えた。

 僕はスマホをスリープ状態にした。ゆっくりと天井を仰ぎ息を吐く。時計の針が進むに連れ、空虚感が室内を満たしていった。


 翌日。僕の心なんて微塵も興味がないとばかりに時間は動いて学校の授業が始まる。あんなことがあった次の日だ。当然僕は上の空でノートもろくに取れやしなかった。反面、部活動は気が楽だった。中学では陸上部に所属しており専門は長距離。ひたすら走ることは憂いを紛らわすのに最適だった。

 部活動を終え、同じ陸上部であり同じクラスでもある友達、カズヤくんといつものように帰路につく。どんよりとした雲が空を覆っており、汗を流したのも相まって少し肌寒い。


「なあ、今日のお前、なんか元気ないけど大丈夫か?」


 唐突なカズヤくんの言葉に僕はドキリとした。人目からでもわかるくらい顔に出ていたのか、僕は。

 嘘をつく必要もないので素直に昨日のことを話した。カズヤくんはずっと静かに聞いてくれた。


「なるほどなあ、今日のお前はそれで落ち込んでたのか」

「うん……」


 やはり変だろうか。とっくに亡くなっていた人のことを想って悲しくなるのは。

 不毛だなと思う。それと同時にこの感情の置き場がわからなかった。


「でもまあ、そんだけ落ち込んでるってことはその歌手がよっぽど好きだったんだな、お前」

「そう、なのかな」


 カズヤくんは真っ直ぐな目を向けて話す。


「そうだよ。好きな人が死んだらそりゃ悲しいだろ」

「でも僕はその人のことを知ってまだ日は浅いし、その人が亡くなったのだって一年も前のことだし……」

「お前、意外とメンドクサイのな」

「なっ!?」


 カズヤくんは快活に笑ってみせた。僕はそれを見て無性に腹を立てる。


「悪い悪い。そんな怒るなって」

「別に怒ってなんかない」


 プイと視線を外すとカズヤくんはまた笑った。それから少しして、思い立ったようにカズヤくんは声を上げる。


「そうだ! それならさ、その歌手のCD買おうぜ!」

「CD……高くないの? あと、僕はCDプレーヤーとか持ってないけど、あれ含めたら結構な額になるんじゃない?」

「アルバムで三〇〇〇円ぐらいだな。あとCDプレーヤーじゃなくても聴く方法はいろいろあるぞ。まっ、それは俺んちに使ってないラジカセあるからそれをやるよ」


 三〇〇〇円。中学生には手痛い出費になる。でもカズヤくんがラジカセをくれるって言うし……。

 僕が悩んでいるとカズヤくんはもう一押しとばかりに続ける。


「それにな、そういうのって実物として残して置いたほうがいいと思うぜ。お前がその歌手のことを好きだったって証にも、その歌手がこの世にいたって証にもなる。思い出として残るからさ」


 決め手だった。僕はカズヤくんに買うことに決めたと伝えた。カズヤくんは嬉しそうに笑った。


「それじゃあ俺がラジカセ持ってお前の家まで行くからさ、一緒にCDショップに行こうぜ」

「え、今から!?」

「おう!」


 それから僕は家に帰り制服から着替えた。カズヤくんは数分もせずに僕の家に来ていた。玄関でラジカセを受け取る。


「ほら、早くそれ置いて金持って来い。買いに行くぞ」

「うん!」


 僕は勢いよく廊下を走って自室まで向かった。ラジカセは少し重かったけど、そんなことで僕の速まる足は止まらなかった。

 ラジカセをゆっくりと置き、財布をガシッと掴む。お金を使うことはあまりないのでこの中には五〇〇〇円くらい入っているはずだ。玄関まで戻り、待ってくれていたカズヤくんと家を出る。

 僕は心が浮き立つままにCDショップまで向かった。その間、カズヤくんといろいろな話をした。アーティストのことであったり学校のこと。カズヤくんがおじいちゃんの影響でCDショップによく行っていたこと、そのおじいちゃんが亡くなってから行かなくなったこと。どうやら僕にくれたラジカセもおじいちゃんのものだったらしい。それを聞いてカズヤくんに返すよと言ったが「ラジカセもCDプレーヤーもたくさんあるからいいよ。使わないやつが持ってるよりも使ってくれる人が持ってたほうがラジカセもじいちゃんも喜ぶからさ」と言って聞かなかった。

 そうこうしているうちにCDショップまでたどり着いた。僕が初めて訪れたCDショップに気圧されていると、カズヤくんは慣れた様子で行くぞと先行する。僕は後を追った。


「多分この辺にあると思う。よし、探すか」


 カズヤくんが棚にびっしりと敷き詰められたCDの前に立ち止まる。この中から探すのか、と少し遅れを取りながらそれでも彼女のCDが欲しい一心で探した。そして、


「見つけた……」


 雨の中、白いワンピースを着た女性が傘を差して立っている。そんな写真がケースの彼女のCD。

 カズヤくんが駆け寄る。


「それか?」

「うん」

「そっか。見つかってよかったな」


 CDを手に取ると不思議な気分になった。

 嬉しくて悲しい。ドキドキして安堵する。早く買いたいけどここから動きたくない。この感情を表す言葉を僕はまだ知らなかった。

 CDをじっと見つめていると、少ししてからカズヤくんが「買って帰るか」と言った。僕は茫然自失のままレジに行き、会計を済ませ店を出た。

 帰り道、カズヤくんと話していたと思うけどあまり覚えていない。気づいたときには電気がついていない、暗い自分の部屋にいた。


「CD、聴こうかな……」


 無意識にこぼれた言葉に従う。

 床に置いたいたラジカセを机の上に置き、CDを入れた。

 暗い室内、寂しく優しい歌が響き渡る。メロディーは凪いだ海のように穏やかだ。僕はカズヤくんの言葉を思い出していた。

「お前がその歌手のことを好きだったって証にも、その歌手がこの世にいたって証にもなる。思い出として残るからさ」

「好きな人が死んだらそりゃ悲しいだろ」

 優しい歌に包まれながら、僕は彼女を知って以来初めて涙が流れ落ちた。


 カーテンが開け放たれた窓から太陽の光が差す中、僕は埃を拭き取ってCDを棚に戻した。


「もう五年も前のことか」


 あの出来事は少なからず僕の人格に影響を与えただろう。あれから真面目に生きようと思った。

 あの頃、僕はただ悲しみに支配されていたけど今では彼女の生涯を羨ましく思う。夢を持って、叶えて、たくさんの人に惜しまれながら亡くなったのだ。彼女の人生は幸せだった、とは言わない。けれど僕には眩しく見えた。

 棚の横にラジカセがポツンと置いてある。僕はCDと一緒に、直接新居に持っていくことに決めた。新しい家についたら久々に曲をかけよう。

 僕は彼女の歌を鼻歌で奏でながら引越し作業を再開した。

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