夏の夜は

 

 僕たちは二階のベランダに居た。木製のベンチに腰を掛け、丁度真正面に在る月を眺めていた。ここ最近は暑さも大分酷くなってきて、クーラーで体が痛くなって仕舞う僕達にとっては苦しい夜が続いていた。ただ、苦しいと言っても寝苦しいだけで、寧ろ、こうやって夜風に当たりながら君とぼうっとしていられる夏の夜は好きだった。


 「そういえば今日は満月だね。」

 僕の方を見ないまま君は言った。

 「そうだね。なんか、知ったように言ってるけど、昨日も同じ台詞を言って『明日だよ』って言われて恥ずかしがってたの忘れたの?」

 「やめてよせっかく良い感じの雰囲気にしたかったのに。いいから黙って月に見惚れてて。」

 こっちを見て君は言った。

 「昨日あんなに笑われてもまた同じ台詞を堂々と言える君の心の強さに見惚れているところだよ。」

 「お、私ってそんなに魅力的?」

 「からかわれてることに気付いてない?」

 「気付いてるよばか」


 怒ったような笑ったような顔をして君はまた正面に顔を向けた。そのまま、また暫く無言のまま二人、ぼうっと月を眺めていた。夜風が気持ちよかった。


 そのまま五分くらいそうしていただろうか。突然君は立ち上がり、サンダルを脱ぎ捨てて部屋へと戻っていった。窓は開け放たれたままだったので、戻って来る積もりなのだろう。


 暫くすると、君は片手に少しの水が入ったバケツを、そしてもう片方の手には、手持ち花火のパックを持って戻ってきた。

 「じゃーん。久しぶりにやらない?花火」

 さっきの会話はあれで終わりなのだろうかと疑問に思ったけれど、それはとりあえずベンチの脇に置いておいて、

 「いいね。というかそんなの買ってあったけ。」と言った。

 「買ったよ。多分もう去年だけど。私がどうしてもやりたいって言って買ったけど、その夜に雨が降って結局やらなかったの。朝起きたらもう花火のことなんてすっかり忘れてたけどね。」

 「そう言えばそんなこともあったね。買った翌日にはもう花火なんて言葉を君の口から聞かなかったから、君の『どうしても』の価値を疑ったよ。」

 「あの日はどうしてもやりたかったの。」

 「今日は?」

 「まあまあ」

 君はべりべりと音を立てながら袋をあけ、ベンチの上に花火をばらして置いた。ざっと四十本はあるだろう。その中にはロケット花火もあった。

 「これ、全部やるの?」

 「もちろん」

 「かなり時間かかりそうだね」

 「風情の無いことを言うねぇ。どうせ起きてたって何もしないんだからいいでしょ。あ、マッチ忘れた。」

 「確かにそれもそうか。じゃあ僕はこのロケット花火をもらおうかな。」

 「だめ!それは私がやるの!」

 片足を家の中に突っ込み、体を少し仰反らせながらこっちを向いて君は言った。

 

 一分も経たない内に君はマッチ箱を持って戻ってきた。

 「よーしそれじゃあやりますか。私はこれ。」

 君は先っぽにヒラヒラとした紙がついたカラフルな花火を取った。僕は火薬が剥き出しになったような無機質な灰色がかった花火を手に持った。

 マッチに火を灯し、花火に火をつけると、しばらくしてから勢い良く火花が散った。

 「わぁ!すごいすごい!」

 はしゃぎながら君は僕の持っている花火に火を移した。僕の花火は直ぐに金色の火花を飛ばし始めた。

 「久しぶりにやったけど凄いねこれ!わあ!色も変わってく!」

 「そうだね。こういうのって、大人になるとつまらなくなる物だと思ってたけど、意外と楽しいもんだね。」

 「ね! あ、やばい私のもう消える。」

 そう言うと君は空いた左手で新しい花火を取り、一本目の花火の火を移した。僕も君に続いて火を移した。そうして僕らは、一本のマッチから始まった火で、何本もの花火を消化した。バケツの中は役目を終えた花火でどんどんと満たされていった。


 僕が思っていたよりもかなり早いペースで花火は無くなっていった。残るのは一本のロケット花火と、四本の線香花火だけだった。

 「思ってたよりも早かったね。」

 「うん、ちょっとまだ物足りないくらい。」

 「どうする?先にロケット花火やる?」

 「もちろん!あ、そうだ、今日は丁度満月だし、月に向かって打っちゃおっかな。」

 「いいね、ちゃんと届けるんだよ。」

 「任せなって。はい、じゃあ私構えてるから、火つけて。」

 言われて、僕はマッチの火を導火線に移した。


 「まだ?まだ?もうそろそろ?ねえどうしようなんか急に怖くなってきた!これって結構音大きかったっ、」

 言葉を遮るように、けたたましい高音を辺り一体に響かせながら、火花が線を描いた。君は驚いて、丁度後ろにあったベンチに腰を抜かしたように座っていた。残念ながら月まで届いたかどうかは見えなかった。

 「はは、は、ははは」

 「意外と音が大きかったね」

 「あははははは!」

 「大丈夫?」

 「なに今の!ねえすごくない!?ロケット花火ってあんなに飛ぶの!?あんなうるさかったっけ!?いやーびっくりしたよほんとに、腰抜かすかと思ったよ」

 「抜かしてたけどね」

 「はーまだ心臓バクバク言ってる」

 座ったまま月の方を見ている君の横に、線香花火を挟んで座った。

 「あとはこれだけだね」

 「そうだね、こりゃもちろん勝負するしか無いね」

 「君みたいに心の底から騒がしい人は指の先まで震えちゃうんじゃないの?」

 「お、挑発ですか?いいねいいね。じゃあ負けたら明日の夜ご飯抜きね。」

 「だからそれじゃ君にデメリットが、」

 「細かいことはいいのー」

 言いながらマッチを取り出したところで、君が、「あ、水変えてくる」と言った。「なんで?」と訊くと、

 「水に映る線香花火って綺麗そうじゃない?このままだと使い終わった花火が邪魔して見えない気がして」と言った。

 暫くして君は、四本の線香花火のためにしては多すぎる水が入ったバケツを、両手で持ちながらよたよたと歩いてきた。

 「だいぶ入れたね。」

 「多いほうが多分綺麗でしょ」

 「よーし、じゃあやりますか!」と言うと君は、線香花火を二本取って、そのうち一本を僕に渡した。

 「じゃあ先につけて。」

 先に僕がマッチに火を灯して、後に君が続いた。せーののタイミングで同時に火をつけると、二人とも、夜と同化するようにじっとしていた。

 パチパチと枝分かれをしていく火花を飛ばす花火は、宛ら金色の花を咲かせた桜の木のようだった。

 数十秒後に、僕らの線香花火は全くと言って良いほど同じタイミングで落ちた。

 「っはぁー!」

 「息止めてたのかよ」

 「どうてんだね。もうすこし、もつと、おもったん、だけどな」

 「これ以上は君の方がもたないよ」

 

 暫くして息が戻ると、

 「よし、最終決戦といこうじゃないか」

 と、君が言った。

 「臨むところだ。」

 僕らは互いの花火に火をつけた。また暫くして火花が枝分かれし始めると、僕の方の花火が呆気なく落ちた。君は喜びの表情を見せると、一回目とは打って変わって安心しきった表情で花火を持っていた。ふと君が、何かに気がついたように持っていた花火を少しだけ上に掲げた。君の方に寄って目を同じ方に向けると、線香花火が眼前の月と重なっていた。暫く月が金色の桜を咲かせたかと思えば、それはバケツの中の水にじゅっと音を立てて消えた。

 「やったね、私の勝ちだね」

 こっちを向いてにかにかと笑う君の横顔が、月の明かりに照らされていた。どうしてか、急に君のことが可愛くて仕方がなくなって仕舞った。愛おしくて仕方がなくなって仕舞った。それが顔にまで出ていたのだろう。

 「負けたのに何笑ってんの」

 と言われたけれどそれでも僕の表情はきっと変わらなかった。

 「いや、綺麗だなと思って」

 「なに?私が?」

 「いや、月が」

 そう言うと君は、嬉しそうに笑った。




 「ねぇ、もう眠い?」




 「いや、全然」




 「少し歩こうよ」




 「良いね」


 神社からの帰り道、僕らはロケット花火の残骸を拾った。君は、月に届かなかったことを心底悲しそうにしていた。

 帰ってから僕らはバケツを片付けて、二人でベッドに横になった。そういえば、ベンチの脇に置いておいた疑問は、風に吹かれてどこかへ飛んでいってしまったようだ。窓の外を見ると、もう空は明るみ始めていて、月も見えなくなっていた。


 


 次の日の夜、僕らは二人でカレーライスを食べた。






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