散るから

 

 最近はどうも暖かくなってきた所為か、昼頃まで眠ってしまうことが多い。君はいつも僕を起こすような事はしないので、今日も伸ばした手の先に君が居ないことに気がついて目を覚ました。体を起こすと、春風に煽られたカーテンが頬を撫でた。

 そうだ、今日は桜を見に行くんだった。先週、神社の前の桜を訪れた時にちょうど五分咲きくらいだったから、もうそろそろ満開だろうって。階段を降りてリビングのドアを開けると、髪を一つに束ねた君が皿を運んでいた。

 「おはよう」

 君は僕にそう言って軽く笑った。

 「顔洗ってきな。ひどい顔してるよ」

 「ひどい顔って、ひどいな」

 「ほら、もう少しで準備できるから早く」

 君に言われるがままに部屋を出る。洗面台の鏡を見ると、確かにひどい顔をしていた。


 朝食を摂りながら、桜のことについて少しだけ話した。

 「今日が満開かな」

 「どうだろう、分からないけど、もし違ったらまた明日行けばいいよ」

 「満開かなと思って行ってちょうど満開なのがいいのに」

 「君は桜を運試しか何かと思っているの?」

 君はふふんと笑った。


 朝食を摂り終えた僕らは、各々ゆっくりと出かける支度をした。

 外に出ると、先週よりもまた一段と暖かくなっている気がした。


 並んで川沿いを歩いている時に君がこんなことを言った。

 「ねえ、ここの紅葉が全部桜だったら綺麗だと思わない?」

 「確かに綺麗だろうけど、紅葉が見られなくなるのは嫌だな。」

 「まぁ、確かにそれはそっか。うーん、そうだな、春には桜が咲いて、秋には紅葉が成る様な木があったら良いのにね。」

 なんとなくではあるが、君らしいなと思った。


 まだ緑色の紅葉を眺めながら、僕らは神社の前にある桜を目指して歩いた。春の日が暖かい。手を握ったら汗ばんでしまいそうだけれど、それでも僕らは手を繋いで歩いた。川沿いの道から小さな橋を渡って大きな道へ出た途端に君が、

 「桜の木に先に着いた方が勝ちね!」

 と言って走り出しだ。おい、一体何メートルあると思ってるんだ。

 「早く!負けたら今日の夜ご飯抜きね!」

 それだと君が負けるデメリットが何も無いじゃないか。

本気であそこまで走り続けるのか半信半疑になりながらも君の後を追った。案の定、五十メートル位走ったところで君は膝に手をついて立ち止まっていた。

 「初めから絶対に無理だって分かってたでしょ。」

 「いやー、おっかしいな。大丈夫だと思ったんだけどな。まぁ、ほら、やっぱご飯は二人で食べた方が美味しいでしょ?」

 息を切らしながらも、笑いながら君は言った。やっぱり君が負けた時の罰ゲームは用意されてなかったのか。

 「よし、行こっか」

 「もっと休まなくて大丈夫なの?」

 「へいきへいき。ほら、急がないと桜散っちゃうよ?」

 「そんなに直ぐには散らないと思うけど。」

 また、君らしいなと思いながら、後ろに伸ばされた君の手を握って僕らは歩き出した。


 一つ、風が吹いた。

 

 急がないと、と言っていた本人が疲れ切っていたので随分と時間を掛けて桜の木へと辿り着いた。

 「やっぱり、今日が満開だったね。」

 君の言う通り、桜の木はもう蕾など一つも残っていない位に花を咲かせていた。

 不意に、君がこんなことを言った。

 「今は満開だけどさ、もう一週間も経たない内に花はどんどん散っちゃって、葉っぱの方が多くなるんだよね。折角綺麗に咲いたんだからさ、もっと長い間見せびらかしちゃっても良いのにね。春なんだし、もっとのんびり咲いてさ。」

 きっと何気無く放った言葉だったのだろう。だけど、その言葉は少しだけ僕の心を刺した。そうだ。だから僕は春が好きじゃないんだ。この、暖かく、のんびりした季節に咲いては慌ただしく散っていく桜の所為で。怖くなるんだ。それがまるで幸せの中に予告も無く訪れては全てを終わらせていってしまう別れの象徴のように思えて。僕は少しだけ君の手を強く握った。

 「どうしたの?」と君は言ったが、

 「何でもない」と答えた。


 「そうだ、いつか二人で散らない桜を探しにいこうよ」

 「はは、なにそれ、でも良いね。いつか行こう」


 それから暫く桜を眺めた後、僕らはいつも通りに神社へ行った。この日は君よりも長く手を合わせていたと思ったのだけれど、僕が目を開けても君はまだ目を閉じ、手を合わせていた。君の願いが僕と同じであるようにと、もう一度願ってから目を開けたところで、丁度君も顔を上げた。

 「よし、行こっか」と言った君の手を握り、僕らは帰路に着いた。階段を下りて桜の木の下を通りかかったところで君が、

 「まだ散りそうにないね」と言った。僕は笑って、

 「そうだと嬉しいな」と言った。






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