第2話


 俺はボロボロの格好で、森の中を彷徨っていた。喉が渇いていたので水場を探していたのだ。水場を見つけて水を飲んで、顔を洗ってほっと一息ついて顔を上げたら、そこに女神が立っていた。


 金の髪に緑の瞳、森の民のように美しい乙女が──。


 こんな綺麗な女性は見たことがない。俺はあんぐりと口を開けたまま見惚れていた。彼女はしばらく俺を見ていたが、そっと首にかけていたタオルを差し出した。それで俺は顔を洗ったままだったことを思い出した。

 顔を伝って落ちた雫がポタポタと俺の服を濡らしていた。


『あ、すみません。ありがとうございます』

 俺は真っ赤になってタオルを受け取ると、手早く顔を拭いた。

 タオルからいい匂いがする。


『あら、ラクロ王国の方なの?』

 彼女は俺が顔を拭いたタオルを受け取ると、無造作に首にかけた。

『はい。此処はどこでしょう?』

『ここはノイラート王国ですわ』


 ラクロ王国から3つくらい離れた、比較的大きな国だった。ずいぶん遠くまで転移したものだ。ここまで来れば、追手は来ないだろうか。

 俺は下っ端役人だし、捕まることは無いだろう。


 この大陸には大小さまざまな国があって、西と中央に高い山脈がある。国々は言葉が微妙に違うけれど、この女性は俺の国の言葉を難なく話している。

 俺も学校でノイラート語を第一外国語に選択して少しは操れる。

 こちらの言葉で話すことにした。


「実はラクロ王国が何処かの国に攻撃されて、魔法陣で逃げて来たんです」

「まあ!」

 彼女は俺の言葉にも、国が攻撃されたということにも驚いたようだ。

「俺はラクロ王国の平民です。国がどうなったのかご存知ありませんか?」

「わたくしは世捨て人同然の暮らしですの。近くの村に行ったら、何か分かるかもしれませんわね」

「そうですか」


 その村は遠いのだろうか。これから行くのはかなりきつい。この近くで、今夜の野宿ができそうな場所を探した方がいいだろうか。

 ぼんやりそう考えていると、彼女から申し出があった。


「よろしかったら、わたくしの家で休んでからいらっしゃいますか?」

 彼女はためらいながら言った。もう夕方になっていて、茜色の陽の光が木々の間から落ちている。

「とてもありがたい申し出ですが、よろしいのですか?」

「ええ、明日、村に案内しますわ」

 優しく笑った笑顔は天使の様だった。

「俺はアシルといいます」

「わたくしはフェリシア、いえフェリとお呼びください」


 彼女はこの水場に水を汲みに来たようだ。俺は彼女の桶を持つことを申し出て、桶に水を汲んで、茜色の陽が射す森の道をフェリと歩いた。


 彼女、フェリの住まいはとても小さな小屋だった。しかし、恥ずかしそうに案内した小屋の中は綺麗に掃除され、暖かくて住みよい空間が出来ている。


「これは魔法ですか?」

「はい、結界を張っておりますの」

 フェリはとても優秀な魔術師のようだ。


 小さなテーブルと椅子が一つ。壁に吊るされたハーブ。小さなキッチンと水瓶。鍋とフライパンと一人分の食器が棚に置いてあった。

 どう見ても女のひとり暮らしのようだ。ものすごく迷惑をかけていると思う。しかし、俺は疲れていて、もう外に行く気力はなかった。


 フェリが夕飯の支度を始めたので、俺はボロボロの上着を脱いで、手伝うことにした。野菜と干し肉のスープ、黒パンと森で採ったらしい木の実。

 質素な食事だったが、目の前に女神がいると、今まで食べたことも無いご馳走に思える。俺は荷物を椅子にして、食事をした。


「あちらのベッドでお休みになって」

「いえ、そんなことは出来ません。俺はここの床でいいです。部屋のドアにはちゃんとカギを掛けて下さい」

 小さな小屋には部屋が二つしかない。眠る場所でちょっと言い争いになったが、疲れていたので毛布を敷いて床に横になるとすぐに眠ってしまった。


  ***


 翌日、フェリに案内されて近くの村に行った。

 戦争の話は、村でちょっとした話題になっていた。昔と違って魔道通信と新聞で、大きな出来事はすぐに報道されるようになっている。

 ニュースの大きなビラが舞い、開戦の知らせとその後のことが書いてあった。


 新聞によれば俺の祖国ラクロ王国は、もう滅ぼされてしまったらしい。相手国はオーフェルヴ帝国。なんでも一斉に起動できる魔道装置のお陰で、隅々まで魔道兵器を撃ち込まれて、ラクロ王国の王都は瓦礫だけの焼け野原になったらしい。

 その報道に顔が青くなる。


 もしかして俺の作った装置だろうか。

 俺の所為で祖国は滅んだのだろうか。


 俺の心は、どす黒い不安と後悔で一杯になった。俺は武器を作ったわけではない。それに俺の作ったものは、皆、上司に取り上げられたのだ。理論も設計図も何もかも。


 それがどうして帝国へ?

 あれを兵器に利用できると、考える人がいるのだ。


「アシルさん、一度家に帰りましょう」

 俺の顔色が急に悪くなったのを心配して、フェリが無理やり俺を引っ張って家に戻った。


「あの起動装置は俺が作ったんだ」

 頭を抱えて呟く。

「俺が作って祖国を滅ぼしてしまった」

「あなたの所為じゃありません」


 俺は今までの仕事での無理と、罪悪感に苛まれて、高熱を出して寝込んでしまった。うなされて手を伸ばすと、優しい手がつかんでくれた。


「も、申し訳ありません……」

「大丈夫です。ちゃんと養生してください」

 フェリは献身的に看病してくれた。


 いきなり現れて迷惑をかけ通しの俺は、フェリに申し訳なくて仕方がなかった。



 動けるようになると別の心配が生まれた。

 本当に俺の作った装置なのだろうか。


 大がかりな魔道武器は連続で発射できない。強力な魔法も詠唱に時間がかかるように。だがアレを使えば、必要なだけのものを、指定した場所に、時間を決めて撃ち込むことが出来る。攻撃された方は逃げる暇もない。


「俺は郷里に帰って、親兄弟が無事か確かめなければ」

 そして、自分がかかわった物かどうか確かめて──。

「危険ですわ。あなただけでなく、一族が責めを負うかもしれません」

 フェリは俺を引き留める。

「それでも、無事を確かめるだけでも」

「分かりましたわ。じゃあ、わたくしも連れて行ってください」


 思いがけない申し出だった。しかし、危険な所にフェリを連れて行くわけにはいかない。俺は家族が無事か確かめたら、帝国に行こうとしていたのだから。


「いや、でも」

「わたくしの話を聞いて、それから仰って」

 それはきっぱりとした申し出だった。

「分かった、聞くだけなら」

 フェリは話し始める。


  ***


「悪役令嬢という言葉をご存じ?」

 フェリは話し始めた。

「最近流行っているという物語の脇役ですか?」

 そういう本は学生の時に少し読んだことがある。

「そうですわ。わたくしはその悪役令嬢だったのです」

 俺が読んだ本では、その悪役令嬢は婚約破棄され、断罪され、王都を追われたという話だったように思うが。


「わたくしは王太子殿下の婚約者でございましたが、彼は下位貴族の令嬢と仲良くなり、学校の卒業パーティの日に婚約破棄をしたのですわ」

 物語と似たような話が現実でも起こっているらしい。


「わたくしはその女性を虐めたとかで断罪され、修道院に追放される所を途中で襲い掛かられ、命からがら逃げ出したのです」


 物語があるから真似るのか。現実にあった話を物語にするのか。どちらにしても、恋に浮かれて責任を放棄する王子に対して、本を読んだときは幻滅したような気がする。


「わたくしは必死になって逃げましたが、その時に魔法が発動して、運よく逃げることが出来ましたの」


 風の魔法で襲い掛かる者たちを吹き飛ばし、逃げている内に、途中で深い穴に落ち意識を失っている間に、追手は帰ってしまったらしい。

 彼女はそれから一人で国境を越えて、隣国の外れで朽ちかけた小屋を見つけてそこに住んだという。

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