第5話 ユーリとクロードは語る。
「新しい人生に乾杯だ」
ユーリはグラスを傾けるが、クロードは戸惑う。
――恐れ多い。
その思いが身体に染みついていた。
同じテーブルにつき、ましてや、ともに酒を味わうなど、前世ではとても考えられない行いだ。
だが、そんな彼を見つめるのは鋭い覇気を纏う至上の存在ではない――幼女だ。
複雑な思いが彼の中で暴れまわり、どう振る舞えばいいか、見当もつかなかった。
顔には葛藤を出していない――彼はそのつもりだったが、ユーリにはお見通しだった。
軽く口元を緩めた淡い笑み。
年相応な可愛げのある笑み。
それと同時に、
淡紅色のくちびるが――動く。
「余はもう皇帝ではないし、
はっとしたクロードは導かれるようにグラスを口元に運び――乱れた心をとりまとめるために、グッとひと息で飲み干した。
「それにしても、よくわかったな」
短い一言だが、クロードにはそれだけで通じる。
どうしてあの場にユーリが現れるとわかったのか、という問い掛けだ。
ユーリは直感に従って、ここカティアールの冒険者ギルドを訪れた。とくに理由があったわけではない。
クロードがこの街で居を構えてユーリを待っていたのも、同じく直感だ。
もし、出会えるとしたこの場所だ、と魂が囁いたのだ。
「ユーリ様が覚醒したのは今日の昼間とおっしゃっていましたが――」
「ああ、昼過ぎだな」
「多分そのときですが、不思議な感覚がありました。虫の知らせでしょうか、あのギルドで待っていなければならない気がしたのです」
「虫の知らせか……余が現れなかったら、どうするつもりだったんだ?」
確信があったわけではない。
それでもクロードは待っていた。
「いつまでもお待ちいたします」
「待つといっても、出会える保証はなかろう?」
確信はなかったが、それでもクロードのやるべきはただひとつ。
「今生でお会い出来なければ、再度、転生してお待ちいたします」
「……忠義な奴よのう」
ユーリは柔らかい目で、前世に思いを馳せる。
「陛下――」
「ユーリだ」
「失礼いたしました。ユーリ様――」
「呼び捨ても構わんぞ」
「いえ……」
「まあ、どちらでもよい」
「ユーリ様はこれから、どうなされるおつもりですか?」
「そうだな……」
思いを巡らす。
前世の記憶を取り戻してから、ずっと考えていた。
だいたい、考えはまとまっている。
「もし、今生でも覇道を歩むのでしたら、ユーリ様の片腕となり、大陸を制してみせましょう」
「いや……そういうのは……もう十分だ」
フッと鉄臭い匂いを多い出す。
その目に映るのは血塗られた前世。
幾千幾万の死体を積み上げてできた玉座。
「そうだな……」
ユーリは細い
それはクロードにとって見慣れた光景で、彼も一緒に前世に思いを巡らす。
姿形は変われども、目の前にいるのは紛れもなく、自らが仕えるべき主君であった。
思わず
「……普通に生きたい」
長い長い沈黙の後、少女の口からつぶやきが漏れた。
その言葉の続きが出るのを、クロードは黙って待つ。
「人並みの人生……。我にも
父である先帝の崩御は、ユリウスが十二の歳だった。
その直後、兄弟での跡目争いが起こる。
それに勝利し、即位してからも、内乱を収め、隣国との戦いに明け暮れ――大陸を制覇した後は、魔王との戦いだ。
休むことも振り返ることもなく、ただ、走り続けた。
止まれば殺される。
生きるには、殺し続けるしかなかった。
ありふれた人生――。
生まれ変わった皇帝が望むのは、誰もが持っているが、大陸を制覇しても手に入れられなかったものだった。
そして、常にともにあったクロードにとってもそれは同じこと。
「余は
「御意」
クロードは雷に打たれたようだった。
前世で近衛として取り上げられ、ユリウスの側近に命じられたときと同じ衝撃だ。
その卓越したカリスマ性に魂を握られ、一生の忠誠を誓ったときと同じく。
「まあ、硬くなるな。二人で毎日を楽しもうじゃないか」
「はい」
クロードが返事をすると、ユーリはにっこりと微笑み、グラスを傾ける。
短い沈黙が流れる。
心地よい静寂だ。
しばらくそれを満喫した
「ところで、どこまで覚えておる?」
「それが、どうも曖昧なのです」
「余も似たようなものだ。だが、余には
「いえ、私もユーリ様がお亡くなりになられた記憶がございません」
「ふむ。となる二人とも生きているうち、同時期に転生させられたのか?」
ユーリは考え込む。
少し顔を伏せ、左手の人差し指で右頬を
それが前世からの癖だと、クロードは知っている。
記憶をたどり、ユーリは取っかかりを見つけた。
思い出せる一番最後の記憶だ。
「魔王の記憶は?」
「魔王との最終決戦の直前まで――そこで記憶が途切れております」
「余と同じだな。余もそこまでしか覚えておらん。やはり、魔王の仕業と考えるのが妥当か……」
「そのようですね」
確証はないが、それが一番もっともらしかった。
情報のすり合わせが続く。
「余と
「他の転生者がいるとしたら、同じように感じたでしょう。であれば、そのうち出会うかもしれません」
「そうであろうな」
ユーリは前世を思い出す――。
敵も多かったが、頼りになる臣下も大勢いた。
もし叶うなら、会いたい相手は少なくない。
幾人もの顔が思い浮かぶ。
そして、誰よりも――サーシャ。
ユリウス帝がただ一人、愛し、にも関わらず、結ばれることがなかった女性。
彼女の顔が記憶の奥底からよみがえり、胸がざわつく。
だが、すぐにその気持ちを頭から追い払い、意識を現在に戻す。
「まあ、今の段階で推測しても、なにも得られん」
「そうですね」
「前世のことはおいおい考えればいい。気にならないわけではないが、それよりも、今はこの人生を楽しもうではないか」
割り切りの早さは前世と同じ――クロードは思い出す。
――なに、直感に従おうと、何時間も考えこもうと、得られる答えはたいして変わらん。
即断即決。
悩むことなく、身体を動かす。
それこそが、ユリウス帝が大陸の覇者となれた理由だ。
「一度は終わったかもしれない命だ。せっかく
「承知いたしました。全力を尽くさせていただきましょう」
「俗世のことは
「お任せ下さい」
「余は右も左も知らぬ、ただの幼女だ。守ってくれるだろ?」
ユーリはいたずらっぽく笑う。
戸惑うクロードを横目に、ひと息でワインを飲み干すと、大きく息をもらす。
直後、その身体がふらりと揺れる。
「陛下ッ!」
クロードは反射的にユーリに駆け寄り、
「その呼び方は止めろと言ったであろう」
「すみません、ユーリ様」
「うむ」
「大丈夫ですか?」
「どうやら、この身体はあまり酒に強くないようだな」
クロードを安心させるように口元を緩める。
前世では、酔い潰れることなど一回もなかった。
そんな隙を見せることはできなかった。
「……ユーリ様」
「頼りにしておるぞ。余を楽しませてくれ。都合がいいことに、余は女で、
その言葉にクロードはドキリとする。
「神の粋な計らいだ。存分に楽しもうではないか……」
ユーリは目をつぶり、クロードの腕の中で、すやすやと寝息を立て始めた。
「ユーリ様……」
クロードは同じ言葉を繰り返す。
そのつぶやきは夜風に乗って、誰の耳にも届くことなく、夜の闇に消え去る。
今の言葉は酔っ払っていたからなのか。
それとも、陛下の戯れなのか。
どちらでもあるようにも思えるし、どちらでもないようにも思える。
支えていた腕を回し、ユーリを持ち上げる。
軽く、頼りなく、儚げな身体。
クロードは優しい抱き方でベッドまで運んだ。
◇◆◇◆◇◆◇
次回――『翌朝。新しい人生が始まる。』
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