第6話 翌朝。新しい人生が始まる。

 ――翌朝。


 コンコン――。


 ベッドで寝ていたユーリは、ノックの音で上体を起こす。

 つい先ほど、目を覚ましたばかり。

 ちょうどいいタイミングだった。


「入れ」

「ユーリ様、おはようございます」

「うむ」


 すでに身支度を終えたクロードが盆を手に現れる。

 盆の上には水差しとコップが乗っていた。


 クロードはユーリより先に起きていた。

 前世から身体に染みついた習慣だ。


「昨夜、余は変なことを口走ってなかったか? 酔っていたせいか、どうも記憶が曖昧だ」

「いえ、お変わりありませんでしたよ」


 クロードは水差しからグラスに水を注ぐ。

 氷魔法でキンキンに冷えた水だ。

 ユーリはひと息で飲み干すと、ふぅと息を吐く。


 その瞬間――彼女の心の中で竜巻が生まれる。

 グラスが手を離れ、布団に落ち、弱々しい音を立てる。


 自分になにが起こったのか、ユーリはわからない。

 初めて経験するなにかだ。

 ただただ、感情の奔流ほんりゅうが、自分の中で暴れている。


 ユーリでなければ、たまらず絶叫していた。

 だが、前世で感情をコントロールする方法を習得している。

 布団をキツく握りしめ、嵐が去るのをじっと耐える。


「ユーリ様、大丈夫ですか?」


 クロードの声が上擦うわずる。

 ユーリは答えない。答えられない。

 ただ、首を横に振るだけ。


 クロードが不安げに見守る中。

 やがて、嵐が収まる。


 ユーリは息を吐き出す。

 嵐の残滓ざんしを絞り出すように。


「大丈夫だ。心配するな」


 そして、クロードを安心させようと、彼の目を見た。


「ユーリ様っ」


 しかし、クロードは安心するどころか、今まで以上に狼狽する。

 なぜなら、ユーリの頬を涙が一筋、伝ったから。


 それをきっかけに、涙が次々とこぼれ落ちる。


 前世でユリウスが最後に泣いたのは、十二歳のとき。

 父である前皇帝が身罷みまかったときだ。

 それを最後に「決して泣かない」と誓い、生涯守り通した。


 悲しい思い。

 苦しい思い。

 寂しい思い。


 ――すべてを押し殺し、蓋をして隠した。


 記憶の奥底に封印されて気持ちが、今、長い時を超えて現れた。


「ぅっ……ぅっ……」


 少女の喉から嗚咽おえつが漏れる。


 幼気いたいけな姿が、クロードの心を鷲掴みにする。

 その心中で、ふたつの心がせめぎ合う。


 主君に対して恐れ多いという気持ち。

 目の前の少女を抱きしめたい気持ち。


 勝ったのは――後者だった。

 ダメだという思いに反して、身体が勝手に動く。


 両手を前に伸ばし、華奢な身体を抱きしめる。

 鍛え上げられた腕と胸板に、幼い身体がすっぽりと収まった。


 小さく、か細く、弱々しい――ユーリの身体。

 不屈で、強靭で、確固たる――ユリウスの心。


 器と中身は正反対。

 それが、今の彼女。


 両者のせめぎ合いが、クロードの胸を濡らす――。


 しばらくそのまま時間がたち――――ユーリはクロードから身体を離す。


 窓の外を見て告げる。

 ちょうど窓から朝日が差し込んだタイミングだった。


「身体を動かしたい。少しつき合え」


 涙を拭ったその顔からは、幼女の儚さは消えていた。


 二人は裏庭に移動する。

 前世の王宮の裏には比べるまでもないが、模擬戦を行うには十分な広さだ。


「剣を貸せ」


 自信と威厳に満ちた――クロードの知っている話しぶりだ。


 クロードは彼女の意図を探る。

 わざわざこう言うのなら、彼女の【虚空庫インベントリ】には入っていない剣を所望しているのだ。

 一流鍛冶師による名剣、過去の遺物である聖剣、呪われた禍々まがまがしい魔剣――そのようなものは求められていない。


「こちらでよろしいでしょうか?」

「うむ」


 クロードが自らの【虚空庫インベントリ】から取り出したのは数打ち品のなんということのない直剣だ。


 ユーリの身体に合わせた刀身の短いもの。

 少し長くしたナイフ程度だ。


 その剣を受け取ったユーリは満足げに頷く。


『――【身体強化ライジング・フォース】』


 剣を構えてから魔力を全身にまとわせる。

 昨日、乗馬したときよりも大量な魔力だ。

 戦闘に使うにはそれだけの魔力が必要だ。


 そして、上段に構えた剣を――。


 ――ブン。


 風切り音が鳴る。

 並の人間なら一刀両断の鋭い振りだったが、ユーリは納得のいってない顔だ。


「この身体では無理があるな」


 全力にはまだまだほど遠いが、今の身体では負荷が大きすぎた。

 これを続けたら、身体が壊れてしまう。


 ユーリは【身体強化ライジング・フォース】を解除する。

 そして、同じように上段に構え――振り下ろす。

 空気はまったく揺るがなかった。

 それだけでなく、重心がブレて、たたらを踏んでしまう。


 一般的な八歳児には不可能なひと振りだ。

 しかし、剣士の一撃とは到底言えない。


「こんな棒きれひとつ、満足に触れないとはな……」


 ユーリとしては到底納得できるものではなかったが、それで落胆したりはしない。


 ――できる範囲の中で最善を尽くす。


 それを積み上げたことによって、大陸を制覇できたのだ。

 未熟な身体を得たことによって、逆に挑む気落ちが湧く。


 ユーリは不敵な笑みを浮かべる。


「まあいい。クロード、打ち合うぞ」


 ――それから二人はしばし打ち合った。


 そして――。


「わっ」


 可愛い声とともに、ユーリは足をからませ、尻もちをついてしまう。


「いてててっ」


 痛みのせいで、小さな口から、思わずこぼれる。


「むぅ~」


 納得いかないと、頬を膨らます。

 そして、ハッと我に返り、顔を赤くする。

 慌てた拍子に、身体の持ち主が顔をのぞかせたのだと気がついた。


「いっ、今のはナシだ。忘れろ」


 とっさに誤魔化すユーリだったが、もう遅かった。

 皇帝時代とのギャップに、クロードは戸惑いながらも、自然と笑みを浮かべていた。


 クロードを可愛らしくにらみつけ、ユーリは立ち上がる。

 お尻についた土をパンパンと払い――。


「この身体はままならん」


 不貞腐ふてくれてみるが、幼女の姿では、微笑ましいだけだった。


「それで、どうだった?」

「その身体では十分ではないかと」


 ユーリは息が上がり、汗だく、額には髪が貼りついていた。

 一方のクロードは汗ひとつかいていない。

 それだけの力量差が二人の間にはあった。


 だが、クロードは感心する。

 小さな幼女の身体でここまで打ち合えたのは、心に刻まれた剣技ゆえ。


其方そちから見て、今の余の力量はいかほどか?」

「相変わらず剣技は恐ろしい程ですね。ただ、力が伴っておりません。冒険者ランクでいうとDランクといったところでしょう。ちなみに、昨日、冒険者ギルドでからんできた男がDランクです」

「ふむ。そうか。弱いな」


 ユーリは納得したようで、クロードに剣を渡そうするが――。


「その剣はユーリ様がお持ちください。私の物はすべてユーリ様のものです」

「そうか」


 ユーリは剣を【虚空庫インベントリ】にしまう。


「この後はいかがなさいますか? 朝食になさいますか? それとも、シャワーを浴びますか?」

「しゃわー?」


 聞き慣れぬ単語にユーリは首をかしげる。


「失礼しました。身体を清める魔道具です。二百年前には存在していなかったものです」

「ふ~む。よくわからんが、便利になったようだな」

「では、一度、屋敷に戻りましょう」


 二人が屋敷に戻ると、そこには一人の少女がいた――。






   ◇◆◇◆◇◆◇


次回――『少女の名はミシェル』

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