第3話 約束

「嫌よ」


 冷たい空気がながれる。軽く伏せられた瞳に嘘はなく、呆れたと言わんばかりに目の前の老人を見つめる。


「あたしは他にもたくさんやることがあるの」


 世界樹の再生を手伝って欲しいというブローの言葉に、ジェルは拒絶をかえした。ブローはしわがれた表情でにこにこと笑いながら、そうかと一言呟いた。


「それならばしょうがない。他をあたるとするかの」


 そういって斜めに杖を掲げると、ジェルの背後にいた黒煙の魔物に矛先を向けた。その動きに反応するかしないかといったタイミングで、ごぽんという嫌な音が鳴り響き、魔物の姿がその場から消滅する。


「こやつは昔わしが封印したものでの、再封印に参ったのだよ」

「……ちょっと、人の獲物とらないでほしいんだけど」

「誰が獲物だ」


 何もない空間からひどく不機嫌そうな声が響く。ジェルはといえば、腕を組んだままブローを見つめている。どうやらその場から動く気がないようだ。


「ただ姿を消しただけじゃない。消えたと思ってあたしが動揺するとでも?」

「いいや、こいつは封印の前にひとつ働いてもらおうと思っている。あの約束はまだつづいているのじゃろう? アンノウンよ」

「……」


 一時の静寂のあと、その場をぬるい風がすーっと通って行った。どうやらウノがため息をついたらしい。


「これだから捕まる前に身を隠そうと思ったんによ」

「約束……?」


 ジェルが怪訝そうに言葉を繰り返す。今まで調べ上げてきたどの書物にも「約束」にまつわる伝承は残されていなかった。


「『完全討伐』をしない代わりに、この世界と共に生き続ける。端的に言えばそういった約束じゃ」

「はぁ!? それじゃあ完全討伐できないってこと!?」


 憤るジェルをよそに、ふっと体を覆っていた光の膜が消える。ブローはもう一度トンと杖で地面をたたくと、ジェルの周りを取り囲む空気が音を立てて風に変わっていく。


「ではこやつは借りていく。世界樹を立て直したあとに封印の手伝いくらいはさせてやろう」


 淡々とそういえば、ブローは踵を返したように「レディバグの穴」の中に戻っていく。


「待って」


 ぴた、と歩みが止まる。握りしめた拳がより強く握りなおされたかと思えば、ジェルは声を張り上げた。


「手伝えばいいんでしょ、手伝えば! 『世界樹の再生』を!!」


――――――――――――――


「……はぁー、よかったぁ。ようやく見覚えのある道に出たよ……」


 汗をぬぐいながら、シェムは舗装された森の小道を歩いていた。ローブの中から薄い円盤を取り出すと、その中心にある穴にふっと息を吹きかける。するとぷつ、という音と共に何かが空間に投影され始めた。深い蒼のローブ、大きな水晶球のついたとんがり帽をかぶった老人だ。


「──シェム、森の中にある『アンノウンの遺跡』へお行き。あとからわしもおいつくでの。もし封印がとけていても戦おうだなんてせずに、その場に留めておけばよい。健闘を祈る、愛弟子よ──」


 円盤をくるりと回転させて再生をとめると、またしても深いため息をつく。結局見つからなかったのだ、「アンノウンの遺跡」が。とぼとぼと道を歩きながら、先ほどの映像の続きの文言を思い出す。


「──もし見つからなかったとしても気を落とすでないぞ。実はわしもどこに封印したのか忘れたのだ。ほっほっほ──」


 ほっほっほじゃないよ、と心の中で悪態をつきながら歩く。もうしばらくいけばいつもの市場までたどりつけるはずだ。森の中は木々の光によって位置が分かりづらいが、光が多少抑えられた街のほうが、自分も相手も探しやすいと考えたのだ。


 この世界の『光』とはただの光子ではない。太陽から降り注ぐそれはただの光子であるのだが、植物から生み出される光は魔力を内包している。細かく言えば人間のもつ魔力とはまた異なるのだが、「物体の性質」に影響を与える点ではあまり変わりがない。この世界の人々は魔力を持って生まれてくる人間と、植物から生み出される光という力を巧みに使って生きている。これまでに出てきた「カザミドリ」や「レディバグの穴」もそういった魔力や光で生み出された人間の道具である。植物から溢れる光は、道端に生えているものよりも世界樹の近くにある植物の方が強い。この森は世界樹からさほど離れていない場所にあるため、他の場所よりも光が強いのだ。そして、光はそのまま魔物たちの隠れ蓑にもなる。魔力を探知する道具や魔法はいくつかあるが、やはり森の中ではその精度が鈍る。明かりの少ない暗い夜は星が綺麗に見えるが、明るい陽の光の中ではどこにもその姿を現さないことと同じだ。


「あらシェムちゃん、朝にローさんが迎えに行くって森に向かっていったわよ」

「おばさん、こんにちは。じゃあすれ違っちゃったのか」


 市場の女性が一人、声をかけてきた。朝ブローに朝鳥を売ったその人である。この街の人々はブローとシェムの正体を知らない。街の人々にとって、彼らは街はずれで暮らす魔法使いの師と弟子であり、魔法道具を作って売り買いをしてくれるお得意さんだ。


「カザミドリとかで連絡とったほうが良いんじゃないの?」

「あの子たちはは相手のいる場所がわかっているときにしか使えないんですよ」

「あらそうだったの。じゃあたまに迷子になって帰ってきちゃった子たちはそれが原因だったのかしらね」


 シェムは女性の言葉に苦笑で返すと、市場を出て裏路地に抜けていく。行き止まりになっている道の一角で小さなレディバグをとりだすと、指先に登らせて空へと離した。ある程度の高さまで飛び上がると、どこかの壁にピタリととまるように空中で動きを止める。ジジと体を揺らしたかと思えば、三つの青い光が浮かび上がりぐんと勢いをつけて大きな穴となり広がった。シェムがその穴に潜り込めばしゅると穴がふさがり、微かな青い光を弾けさせて何事もなかったかのようにその姿をくらませた。


――――――――――――――


「え……君、誰?」


 高く細い木の幹に囲まれた隠れ家のような森の中。一部屋ほどの広さがあるそこには木でできた椅子と机、簡易的なベッドなどがおかれ生活感の溢れる場所になっている。そこに橙の制服を着たふてくされた少女が頬杖をついて座っていた。


「その制服……魔法学校、の……?」

「なによ。大魔法使いの弟子なんていうのに、こんなちんけなガキだとは思わなかったわ」


 目の前の状況が理解できず、シェムはしぱしぱと瞬きをする。この場所は自分専用の休憩所なはずで、昨晩寝泊まりしたのもこの場所なのだ。そしてここに入ることができるのは自分の師であるブローのみであり、特定のレディバグを利用しなければ入れないはずだった。


「お前だってちんけな小娘だろうが」

「あんたは黙ってなさいよ」


 何もないはずの空間から、そう低い声が聞こえる。思わず後ずされば、背後からにょきと黒い触手が出現しシェムの頬を撫でた。


「あぁっ!?うわぁあっ」


 腰を抜かして思い切り前に転げる。バッと回転して体を後ろに向けなおせば、じんわりと黒煙が姿を現しはじめ、その中央で赤と青の光を放つ瞳が爛々と輝いている。


「あたしはジェル。こいつはウノ。あんたは大魔法使いの弟子、シェムで間違いないわよね」


 少女が立ち上がって尻もちをついたシェムを見下ろすように立ちふさがった。思わずこくこくと頷きながら謎の少女と謎の魔物を見上げる。その時、肩の上で何かがからからと回る音が聞こえた。ぱっとそちらを向けば、小さなカザミドリがシェムの肩で回転している。そしてくわっとそのくちばしを広げると、大魔法使いである師匠、ブローの声でがなりはじめ、


「親愛なる愛弟子よ。目の前にいる少女と魔物は『世界樹の再生』に協力してくれる者たちだ。お前を連れて旅に出てもらえるよう頼んだから、これもひとつ、修行だと思ってがんばってきなさい──コケッ」


 鶏の鳴き声でそう締めくくられた。カザミドリは回転をやめてその場にはたと落ちる。


「え、え、えぇぇえ!?」


 目の前の少女と魔物、そして地面に落ちた鶏の置物を交互に見比べて、シェムは混乱の悲鳴をあげたのだった。

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