第2話 光の崩壊

 多くの人々であふれる昼の市場、太陽がゆっくりと昇りはじめ街に活気が広がっていく。一人の老人がのんびりと街路を歩いていた。


「昨日の地震、大丈夫だった?」

「あれ、地震だったのかしら。うちの子が森が光るのを見た―、だなんていうんですよ」

「そういえば『光』が降ることも増えたわね」


 そういえばそうねぇ、とゆったりとした世間話が街を埋め尽くす。過ぎ去った出来事を重く受け止めるような人は、あまりいないようだ。


「ローさん、今日はあの子一緒じゃないんです?」

「どこか道草を食っているのようでの。これから迎えに行くんじゃ」

「シェムちゃんももう大きくなったからねぇ。そうそ、これ今日の朝鳥なんです。どうかしら?」


 市場の人々が意気揚々と老人に話しかける。商人魂旺盛というところか、ひとりの女性が商品をおすすめしたあとをついであれもこれもと沢山の品物が差し出される。


「ほほ、またあとでシェムと一緒にきますよ。あぁでも、朝鳥だけ頂いていこうかの」

「毎度!」


 市場を抜け、購入した朝鳥の足を掴んで奥にある森へ向かっていく。背後には世界樹がそびえ立ち、その雄大な姿を全世界に見せている。


「……そろそろか」


 ぼろ、ぼろ、と光の粒が頭上から降り注ぐ。それはまさに世界樹の枝であって、崩壊が進んでいる証でもあった。老人の目に映る世界樹は、枝葉の密度がどんどん下がり、ギラギラと照り付ける太陽に今にも押しつぶされそうな姿だった。


「いつまでもつか……」


 そう呟いて足早に森の奥へ進む。深い森の奥、100年前に封じた魔物が目を覚ますころだ。


――――――――――――


「離しなさいよ」

「自力で抜け出てみろよ」


 ムキーっと黒煙の中で暴れる少女。黒煙はといえば何の意にも介さないように悠々と枝葉を貪っている。


「あの『アンノウン』がこんなムカつくやつだったなんて、あーもう最悪……」

「その『アンノウン』ていうのやめろ。ヤなこと思い出すんだよ」

「じゃあ何て呼べばいいわけ!?」

「……unknown……uno、『ウノ』でいい」

「あんまり変わらないじゃない!!」


 ガミガミと大声を上げる少女に、黒煙の魔物──ウノはため息をついた。


「お前、ずっと怒っててつかれねぇのか? そもそも、今お前の命は俺に握られてんだぞ。"非常食"」

「だーれーがっ、非常食よ!! いつかあんたを討伐するためにここにいんのよ!」

「おーおー、がんばれがんばれ」


 棒読みでそう答えれば、非常食と呼ばれた少女──ジェルはまたじたばたと暴れだす。

 昨晩あれだけの激戦を終えたばかりだというのに、なんとも元気が有り余る小娘だとウノはぼんやり考えた。貪る枝葉からさらさらと光がこぼれる。


「まじぃな。100年で光の精度めちゃくちゃ落ちてねぇか?」

「光の精度? ……あぁ、多分世界樹が原因よ。最近光の強さがどんどん下がっているもの」


 抜け出ることは諦めたのか、ウノの中に身体を埋めるよう座りなおしメモをパラパラとめくるジェル。細かにかきこまれたメモの中には、一日ごとの日照時間、強度、降る『光』の量、その他さまざまな情報が記録されている。


「わかってて動かねぇのか、お前は」

「なんでよ。世界樹を守るのは『大魔法使い』の仕事じゃない。まぁ、いつかはあたしがなるんだけど」

「その前に食ってやるよ」


 やいやいと言い合いを続けながら大きな洞窟の前までたどり着く。ぐわんと視界が揺れるような波動、ジェルは少し眉をしかめて、その先を見つめる。


「ここ、あんたが封印されてるんじゃないかって目星つけてたとこのうちの一つ。昨日寄ったときは何もなかったのに」

「……古い連絡経路だ。最近誰かが通ったらしい」


 ずい、と洞窟の中に身を投じた。暗闇の中に黒い体が溶け込み、はたから見れば大きな目玉が二つ浮いているだけのように見える。青と赤の瞳孔がぎょろりと動きながら洞窟の内部をじっくりと観察する。藍色のとんがり帽を深くかぶりなおしたジェルは、注意深く洞窟の内部を見つめていた。少しの変化も見逃さないように。


「あった」


 ウノがそう呟いたかと思えば、耳障りな虫の羽音のような音と共に空間に亀裂が入る。七つの穴が継ぎ合ったような不思議な形状のそれは、節々に綻びが生じているようで今にも消えてしまいそうだ。


「……『レディバグの穴』、もう使い物にならなさそうだけど」

「何言ってんだ。こいつはまだ使える」


 ツン、と一閃の光が灯る。どうやらウノが穴に触れたらしい。その光が広がると同時に、穴の綻びが一気に修繕されていったかと思えば、7つの穴それぞれの半径が急激に広がり、一気に大きな道をつくった。


「何、したの……今」

「『アブラムシ』を食わせた。100年前にも希少なもんだったが、今じゃもう残ってないのか」


 そういって中に進んでいく。ワープ空間といえばわかりやすいだろうか、流動的な不思議な魔力の層が両側に広がり、唯一歩ける光の上を進んで向こう側に待つ出口へと向かう。暗闇を抜け、光の中に抜け出ると同時にバサバサと穴からコウモリが飛び出した。細い木の幹が周囲を埋め尽くすように深い穴を覆っている。穴の中央には青緑の苔に覆われた古い井戸があり、こぽこぽと水を湧き出している。コウモリたちは井戸の周りをくるくると回ったかと思えば、その水を飲むように降り立った。


「……少ない」

「もうここまでたどり着いたのか、アンノウン」


 バッと眼球が背後へと移動する。その動きに合わせて、ジェルも後ろを振り向いた。

 大きな水晶球がついたとんがり帽、その中身の黒い液体はごぽごぽと激しく脈動している。蒼いローブを身にまとった老人が、その場に立っていた。


「……まだくたばってなかったのかよ、クソジジイ」


――――――――――――


「ここ、どこぉ」


 ぐずぐずと情けない声をあげながら、一人の少年──シェムは森の中を歩いていた。


「結局帰れなかったし、昨日の光で全然眠れなかったし、師匠~はやく迎えに来てよ~……」


 メソメソと泣き言をつぶやきながら、世界樹から零れ落ちた枝葉の光を小瓶に詰めていく。手のひらほどの大きさの小瓶の中身は、すでに光であふれかえっておりこれ以上は入らなさそうだった。


「世界樹の綻びも増えたなぁ……街の人を心配させないように、って数年前の姿を投影してるけど……そろそろバレちゃうよ」


 ため息をつき、少しひらけた場所にあった割れた石板に腰を下ろす。カバンからパンを取り出して丁寧に切り分け、先ほど採取した光を少しだけ小瓶から取り出すとパンの上にのせた。


「ん、あんまし美味しくない……なんかスカスカだ」


 光のせパンを頬張りながら微妙な顔をする。太陽は昨日と同じく頂点を陣取るように昇り詰めている。あれが傾き始めるまでにはこの森を抜けたいと考えながら、シェムは立ち上がった。


――――――――――――――


「……大魔法使い、『ブロー』……」


 その名を呼んだのはジェルだった。ハッとした表情で目の前の老人を見つめる。


「おや、わしの名を知っているとは。……ほっほ、君は魔法学校の『ジェル』くんだな?」


  名を呼ばれ我に帰ると、ジェルはきっと老人──ブローを睨んだ。


「ねぇあんた、何してんの。世界樹があんなになってるの、あんたのせいでしょ! ちゃんと仕事しなさいよ!」

「世界樹の綻びまで見えるとは。流石、噂に違わない御仁だ」


 ブローの手に握られている杖がトンと地面をたたいた。その動きに気づいたウノがぐわりと体を広げ、ブローを捕らえんと体を伸ばす。伸びきった鋭い黒い触手が老人の首を貫く直前で動きを止める。じわ、とその先がほどけるように解け始め、風を切るような音を立てて触手は本体へと戻っていく。ブローの周囲には、ぼんやりと薄い光の膜が張られ、気づけばジェルの体の周りにも同じような膜が張られていた。ぶわ、とその光の膜を避けるようにジェルを捕らえていた黒い塊が後ずさる。


「……これって、『空の皮』と同じ光……」

「うんうん、よく勉強しているの。あまり激しく動かない方が良い、『空の皮』は人間をも融かす」


 ウノは爛と光る両の目を見開いてざわざわとその体を縮めた。


「わしは今、世界樹の再生に協力してくれる人を探しておるんじゃ」



「君は適任だと思うんだがね、ジェルくん」

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