第1話 出会い

「あーもう! うざったい!」


 深い森の中、一人の少女──ジェルは顔に身体にとまとわりつく植物をブチブチと引きちぎりながら進んでいた。植物に守られているこの世界において、なんとも罰当たりな行動である。むっとした不機嫌な表情を隠そうともせず、進行を邪魔する植物を一通り片付けるとはぁーと深いため息をついた。


「一体どこに封印されてるっていうのよ、『アンノウン』!」


 ────太陽が空のど真ん中を陣取るほどの時間帯。

 魔法学校に通うジェルは進学のための「成果」を求めていた。いわゆる卒業試験のようなのもので、これまで学んだ知識を文章にまとめるだとか、研究をするだとか、そういったものでかまわないのだがこの少女はより高みを目指していた。

 100年ほど前、この辺りに封印された魔物──アンノウンの完全討伐である。


「欠片も全ッ然反応してないし、ここじゃなかったらどこだっていうのよ」


 チャラ、とチェーンで繋がれた小さなしずく型の水晶を取り出す。暗い青のような不思議な液体で満たされたそれは、かつて出店で買った怪しいものなのだが、本人は本物だと信じている。


 「魔物」が現れはじめたのは、人々が「魔法」を使えるようになってからすぐのことだ。魔法によって性質を変えられた動植物の暴走。それが始まりであり、全世界で干ばつの次に大問題となった。急ピッチで進められた研究によって、人々は四苦八苦しながらも次々と魔物を封印していくことに成功した。しかしそれは未だ不完全なものも多く、数十年か数百年に一度、魔物が封印から復活してしまう。復活を阻止するためには「完全討伐」を行わねばならない。端的に言えば、「元の性質に戻す」ことだ。性質を変えることは簡単であっても、元に戻すためには長年の研究と多くの人々の協力が不可欠であったが、この少女はそれを一人でやってのけようというのである。


「カザミドリ、寮母さんに帰りが遅くなるって伝えといて」


 鶏のような意匠が施された、回転するおもちゃのようなものを取り出すとふっと息を吹きかける。くるくるとその回転が早まったかと思えば、それは瞬く間に本物の鶏の姿へと変え、ばさりと空へと羽ばたいていく。羽ばたくというよりも、風を切ってまっすぐ走っていくといったほうが表現としては正しいのかもしれないが。


「あー、どうしよう。帰りが遅くなるどころか、このまま見つからなかったら帰れないわよ」


 カバンから分厚いメモを取り出すと、そこに書かれている内容と今自分のいる地形とを見比べながらぶつぶつと何かをつぶやく。深い森の中では方向感覚を失いがちなため、定期的に確認しながら道を進むのだ。赤いインクでメモの中の地図にバツ印をかきこむと、また歩きはじめる。付箋や貼りつけられた写真など、元の厚さよりも数倍の厚みになったそのメモ帳には、すでに50個ほどのバツ印がかかれている。そして目星がつけられているのであろう場所が書かれたペーシは残り2,3ページしかのこされていない。


「これで全部だめだったら……また調べなおしかな。まさか『アンノウン』自体が偽の伝承なはずないし……」


 あまり考えたくない予想をつぶやいて、顔を曇らす。これで伝承が嘘であったらどうしようか。

 100年前このあたりに突如として沸いた魔物。これまでのどの魔物とも似つかず、元になった存在が一体何なのかもわからなかったそれを、人々は「アンノウン」と呼んだ。それが起こした事件は病原体によるパンデミックだとか、人々の精神に干渉して紛争を巻き起こしただとか、魔物の黒い体で人々を飲み込んで食い殺しただとか、とにかくあらゆる恐ろしい伝承が残されている。まるで作り話のように大きな被害をもたらした魔物が簡単に封印されることもなく、未だにその呪いの名残のようなものが全世界にぽつぽつと残されているらしい。その存在を証明するかのように残されたものが「アンノウンの欠片」であり、ジェルが持っているしずく型の水晶におさめられているものだ。


「封印されてるのは嘘で、体がこの『欠片』にバラバラにされて全世界のどこかで保存されているって説もあるし、これがダメだったら欠片探しに目標を変えようかなぁ……一体いくつあるっていうのよ、これも」


 どろりと今にも溶け出しそうなそれは、特に返事をすることもなくジェルの手のひらの中におさめられている。この「欠片」をめぐる伝承も多々残されており、それらを調べ上げたときの大量の書物を思い出して、ジェルはまた大きなため息をついた。


 ────カチン

 何かがひび割れる音。ハッとして手元の水晶を見つめる。水晶自体には何も変化がない。しかし、その中の液体が今にも飛び出さんとごぽごぽと荒れ狂う様子が見て取れる。そしてそれが向かおうとしている先は、メモ帳の中にもかきこまれていた、この先にある開けた場所。


 ……まさか、


 その呟きを口に出すか出さないかといった勢いで体が動く。木々の隙間を抜け、その先へと向かう。パキン、バキンと続けざまに何かが割れる音がする。深い森を抜け、パッと光で満たされた広い場所に辿り着いて、目を見張った。


「封印が、解けてる……」


 手の中の欠片が元の体に戻ろうと暴れる。光を吸い込むような漆黒の塊が、森の中でぞわりぞわりとその姿を整えていた。そばには、割れた石板がゴロンとその役目を手放して横たわっている。


――――――――――――


「うわーーーっったすけてーーーっっ」


 大きなコウモリに襲われている、一人の少年が慌ただしく洞窟から抜け出してきた。バタバタと体を動かし、まとわりつくコウモリを引きはがしながら光ある外までたどり着くと、どさりと倒れ込んだ。洞窟の外まではコウモリも追いかけてはこないらしく、そのまま中へと戻っていく。


「ひー、びっくりした……コウモリさんもいるならいるっていってよお……」


 ごろりと仰向けになるようにねころぶと、涙で滲んだ瞳を眩しそうに細める。空には輝く大きな世界樹の枝が広がっている。世界樹がそびえたつようになってから、枝のない純粋な空を人々は見たことがない。世界を覆うようにその枝を伸ばす世界樹は、その枝の隙間からのぞかせる太陽の光と同等の光をこの世界にふりそそいでいる。その奥にはこの世界を囲む薄い膜があるそうなのだが、そこまでたどり着いた人間は今のところ存在しない。

 ひゅう、と風を切って木の枝が少年のそばにおちてきたかと思えば、地面にぶつかる前にさらさらと光の塊となって消えていく。少年はびくりと体を震わせるものの、その消えゆく光を見惚れるように見つめていた。


「あぁ……師匠が帰ってきちゃう……もどらないと……」


 斜めに傾きかけた太陽をみつめて、体を起こす。マントについた汚れを落とし、とんがり帽をかぶりなおすとキョロキョロと周囲を見渡した。


「……ここ、どこ……?」


――――――――――――


 「っなんなの? こいつ」


 滲む汗をぬぐいながら、少女は目の前に出現した魔物と対峙する。既に役目を終えた壊れた道具達があちらこちらに散らばり、少女の劣勢は誰の目にも明らかだった。魔物は液体か、気体かもわからないその黒い体を、ぐねぐねと動かしては眠りを妨げた小さな少女を捕獲しようと伸ばしている。


 バラバラと落ちている小道具の中には、入手困難なレアものやら、何年もかけて錬成した秘薬なども含まれていたのだが、どれもこれも目の前の魔物には通用しなかったらしい。相手の動きをとにかく抑えようと、魔法依存の攻撃も、物理依存の攻撃も、少女ができることはなにもかも手を尽くしたが、どれもこれもこの魔物の前では無意味と言わざるを得なかった。太陽はとっくに沈み、森の木々がほのかに光る以外に頼りとなる灯りはなく、夜の闇は魔物の力を増大させているかにも思える。


「……なんだ、騒がしい。目覚まし時計なら早く止まってくれ……」


 どろりと夜の闇が溶けだしたような塊が、ひどく眠そうにそう一言呟いた。


「……だ、れ、が、目覚まし時計ですって?」


 少女は短気だった。

 魔物の言葉が琴線に触れたのか、膨れ上がった怒り……いや、苛立ちのようなものを増幅させるように、「最後の道具」へと魔力を込め始める。


「目覚まし時計じゃないのか……それよりも、ここは……いや、俺は?」

「言葉が理解できるなら話が早いわ、あんたの『オリジナル』を教えなさい」

「『オリジナル』? あぁ、そうか……俺は、」


 球状の道具を纏うようにばち、ばちと電撃がはしる。ぐにゃりと空間が歪み、今にも崩壊しそうな均衡を保っていた。


「俺は」

「この中に納まりなさい! 『アンノウン』!!」


 閃光。

 昼間の光にも似たその輝きが夜の森の中で広がったかと思えば、あたり一帯を吹き飛ばすような爆発が巻き起こった。






「……目が覚めちまったじゃねぇか。どうしてくれんだ、小娘」


 片足を掴まれてボロボロの体をぶらりと揺らしている。森の中はまた夜の闇に支配され、その中心かとも思えるような漆黒が少女を捕らえていた。ぎょろりと見開かれた二つの瞳が、気絶している少女の顔をまじまじと見つめる。

 パチン、と少女が目を開いた。


「…………」


「どこ触ってんのよ、変態!!」


 夜の森の中、一つ、二つほどの振動に木々が揺らめいたが、それきり世界は静かになった。

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