非常食少女

イーニ/おいよ

プロローグ

 世界中に広がる美しい植物の数々。

 そこから溢れ、降りしきる、透明でみずみずしいそれを人々は「水」と呼んでいた。


 世界から「雨」が失われたのは随分と前のことだ。おそらく、1000年かそれ以上も昔の出来後。今では御伽噺として言い伝えられている「空から降る水」。それは植物から湧き出るそれよりも豊富で、この世界の7割以上が水で満たされた「海」となって世界に存在していたという。

 世界が干上がったのはそれよりも少し後の話。「大干ばつ」は神の怒りとも呼ばれ、人々は滅びを覚悟した。


 しかしその絶望を塗り替えるように、「世界樹」が全世界に根を張り始めた。

これまでの「植物」とは確実に違うそれは、この世界に新たな「水」と「光」をもたらしたのだ。

 そうして現在、世界は細々と生きながらえている。


「ジェルー!もうでるわよ、準備はいい?」

「できてるー! お父さんはやくしてよ!」


 白いリボンのついた大きな帽子。それとは対照的に小さな体をマリのように弾ませて、少女は車に飛び乗った。


「ちょっと待ってくれよ、今日の依頼は随分量が、おお、くてっ!おっと!」


 その後を大量の荷物を抱えた父親が転びかけつつも追いかける。先に車に乗っていた母親は軽やかに笑い声をあげて、一度車から降りた。


「しょうがないわね、ほらこっち持つから」

「あぁ、悪い……ふぅーそれにしても水祭りかぁ、懐かしいなぁ」


 二人がかりで大きな荷物を車の荷台に乗せると、両親は改めて車に乗り込んだ。


「水祭りって隣町のでしょ? どんな屋台が出るのかなぁ」

「ジェルは初めてだったわよね。ほとんどが植物だけど……可愛いアクセサリーなんかもあるんじゃないかしら」

「魔石の原石とかがあればいいんだけど」

「あっはっは、流石に小さな町のお祭りだからなぁ、どうだろうね」


 ごとごとと車が揺れる。木々の青さが鮮やかな森の中を軽快に駆け抜けるその車は、「魔力」というものを燃料にして走っていた。


「でも、今日はこのあと学校に入学届を出しに行くんだよね?」

「そうよ、まぁジェルなら簡単な手続きなんてすぐ終わらせちゃうわよね」

「あたりまえでしょ!あたしを誰だと思ってるの!」


 ふん、と鼻を高くして胸を張るその姿は、まさに未来を夢見る幼い少女だった。

森を抜け、華やかに彩られた隣町が姿を現す。浮かぶ風船、カラフルな旗飾り、そして色とりどりの花々。


「お疲れ様です。こちら納品物として確かに受け取りました」

「いえいえこちらこそ。偉大な水祭りにうちの帽子が出せるなんて夢みたいだ」

「ジェームスさんとこの帽子、最近はより魔力の精度が上がってるって評判なんですよ。こちらこそありがたい限りです」


 父親が依頼人に荷物を預け渡すかたわら、少女と母親は立ち並ぶ出店をうろうろと物色していた。まだ店はどこも準備段階で、めぼしいものは特に見当たらないようだったが、そのうちのひとつに少女は目を惹かれた。暗い青のしずく型の水晶、その中にはとろりとした不思議な液体が満たされている。


「これ、何?」

「お目が高いねえ、嬢ちゃん。それは『アンノウンの欠片』だよ。どうかな? 綺麗だろう」

「ちょっと、『アンノウンの欠片』なんてそうそうお目にかかれるものじゃないでしょう? 幼い子供だからって騙そうとするなんて……」

「あたしこれ欲しい」


 くわんと揺れる水晶中の液体をぼうっと見つめて、そう呟いた少女に母親はため息をついた。


「偽物ではないですぞ。わたくし秘蔵のルートで入手した特別な品ですからな」

「本物か偽物かなんて、お母さんにはわからないわよ」

「うん、あたしお小遣いで買うから大丈夫」


「いいや、これは嬢ちゃんにあげようか」


 店主はまさに怪しそうな真っ黒なローブの隙間から細い腕を差し出して、少女にその水晶を渡した。それは一瞬、若い男の腕に見えたような気がしたが、すぐに老人のようなしわがれた細い腕に戻った。


「……いいの?」

「それは君を呼んでいるみたいだからね、正しい持ち主のもとへ力を渡せるなら悪いことじゃないよ」

「流石に怪しすぎるわよ、まさか呪いの道具なんてものじゃないでしょうね」

「はっはっは、そんなこたぁございませんよ。嬢ちゃんにはわかるだろう? それは恐ろしいものでも何でもないって」


 受け取った水晶を見つめて、少女はこくりと頷く。そしてぺこりとお辞儀をすると、自分の持っていた財布の中からジャラジャラと金貨を取り出した。


「正しい道具は、正しい手順で手に入れるべきでしょ? これ、足りないかもしれないけどあたしの全財産。お代に取っといて」

「おや……まったく律儀な子だね。マダムもよろしいかい?」

「はぁ……ジェルがいいならいいけど……もしおかしなことになったら責任取ってもらいますからね」


 そういってぴっと小さな書類を取り出す。薄く魔法陣が書かれたそれを店主に差し出すと、名前を書くようにと促した。


「おやおやこれは……召喚術ですか。マダムも念入りですねぇ」


 ははは、と乾いた笑い声をあげながら店主はさらさらと署名する。インクは紙に吸い込まれていくように書いたところから消えていった。


「これはあなたが持っていなさい。そのしずくによって何か問題が起こったら、すぐにこの紙を燃やすのよ。そうすれば簡易的にこの人が呼び出されるようになってるから」

「ふふふ、この程度でしたら霊体かつ10秒程度ですかね。保険にはちょうどいいでしょう」

「多分大丈夫よ。おじさんも間違えて呼び出しちゃったらごめんね」

「いえいえ、お気になさらず。いつでもどうぞ」


 怪しい風貌の店主は、よいしょとその身を起こすと準備があるからといって店の奥へ戻っていった。


「買い物はすんだかい?」

「えぇ、そっちも落ち着いた? そろそろジェルの入学届だしにいかなきゃ」


 各々のやるべきことを終えた両親たちは次の目的地へと行くべく車に乗り込んだ。そのあとを小さな少女も続いていく。

 家族三人を乗せたその車は、隣町を抜け、その先にある「魔法学校」へと道のりを進んでいった。


 この世界で「魔法」が力を持ち始めたのは世界が干上がり始めたころとほぼ同時期。一人の男が水と光によって成長する植物を、「水と光を生み出す」現在の姿へかえたことがきっかけだった。物体の本質を根本から変えてしまうその力を恐れなかったわけではないが、水が失われ絶望に染まった世界を一気に希望に引き戻したその力を、人々は最後の救いとして信じたのだ。

 そこからは全世界で「魔力」を持つ人間がひとり、ふたりとその数を増やしてゆき、今では10人に1人は魔法が使えるまでに広がった。ただし、のこりの9人は今までの人間と何ら変わることがないため、魔法の使える人材は非常に貴重な存在として重宝された。そして魔力の保有は遺伝ではなく、完全に運であることがこれまでの研究で明らかにされており、そういった新たな「魔法使い」を育てる組織が「魔法学校」である。

 「魔力」や「魔法」に関して良いことばかりがあったわけではないが、今は魔法を使えるものも使えないものも支え合って生きている。ある程度平和な世界が広がっていた。


 この世界を守る、世界樹が枯れ始めるまでは。

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