終夜 忘れ物


夜の桜が見たいと騒がしかったから。

引きずられるようにして、夜桜祭りへとやってきた。

この地域の中では一番大きな公園で、桜並木も有名らしい。

普段はさほどねだることもないというのに、今回ばかりは折れなかった。

また次の季節に、といっても今見たいという。

では何処に行くのかと尋ねたら、この祭りのチラシを差し出された。

有無を言わせぬ瞳の煌めきに、押し流されてこの人混みだ。

どこもかしこも過剰なまでの照明で眩しくて仕方がない。

人の集まる場所が騒がしいのは、いつになっても変わらないようだ。

春の夜の夢のような、花を慈しむことは悪くはないと思うが。

「……如何せん、人が多すぎる」

夜桜を眺めるまえに、熱気で干からびてしまいそうだ。

するりと人の合間を縫って、手近な樹にもたれかかる。

一息ついて、夜空を見上げる。風に舞った花びらが目の前をひらひらと泳いでいく。

今日も良い月夜だ。もう少し静けさが欲しいところだが、たまには悪くない。

人混みをかきわけるようにして、子供が走り去っていく。

その後を追いかける親が猛ダッシュしている……あれは目を離したら大変だろう。

気がついたら視界から魔法のようにいなくなっているやつだ。

現に私の連れも、もういない。

公園につくなり人波を気にせずあっというまに先へいってしまった。

子供じゃあるまいに、と思ったがそういえば、この場所は。

彼女にとって馴染みの深い場所なのかもしれない……

思い出の場所、というものだろうか。瞼を開いても消えない記憶のような。

柄にもなく物思いにふけりそうなとき、遠くから呼ぶ声がした。

何をしているの、早くこっちだよ! と人並みの中で飛び跳ねているのが見える。

これだけの人がいても、彼女の色はよく目立つ。

「勝手に置いていったのはお前だろう」

肩をすくめて後を追う。このぶんだとしばらく連れ回されそうだ。

そんな夜も悪くはない、と感じながら。

ゆったりと滑るように歩いていった。



「未織、はしゃぎすぎてお母さんを困らせないようにね」

「大丈夫!お店、みてくるね!」

ものすごい勢いで我が子が走っていくさまを、眺めていた。

その後を追う妻が、小走りで追いかけていく。

子供は、今日の祭りを楽しみにしていたようだ。

昼じゃなくって、夜の桜がみたい!と言い出したものだから驚いた。

どうやらテレビ番組で、夜桜の特集をしていたらしい。

ポストに投函されていた、祭りのチラシが目を引いたらしい。

赤みをおびた立派な桜と夜の光景。

幸い、車を飛ばせばいける距離だったし、地元に近いから道も覚えていた。

この歳になると、昼に花見をすることはあって夜に、とはなかなかいかない。

夜桜を最後に見たのはいつだったろうか。

ゆったりと記憶を掘り返しながら歩く。左右の屋台の呼び込みが賑やかだ。

あれは、そう……妹が小さい時だったな。

華やかにライトアップされた桜並木を、きょろきょろしながら歩いて。

人が多すぎて流されるから、落ち着くまで手をつないでいた。

綿菓子片手に浴衣で動き回っていたなぁ。

おとぎ話が好きだったから、魔法みたいに鮮やかに見えたのかもしれない。

あぁ、仕事ばかりにかまけていないでもっと一緒に、何処かへ出かけていればよかったのだろうか。

足が重くなったように感じて、近くのベンチに腰掛ける。

置き去りにされた、荷物のつまったカバン。

切り取られた写真。

別れの言葉と、黒衣の姿。

あの夜の事を、忘れた日はない。

尽くせる手は尽くしたけれども、見つからなかった。

どうしてあぁなってしまったのか。もっと傍にいてやればよかった?

寂しい思いも、不安も悩みもすべて分かち合えていたら?

しばらくは、夜は眠れなかった。

また、ひょっこりと姿を表すのではないかと思って。

その後は心配が尽きなかった。どこにいて何をしているのか、ひとりで凍えてはいないだろうか。

後悔ばかりが日毎に募っていく。

けれども、最初に彼女をひとりにしたのは自分だ。

大事にしすぎて、遠ざけてしまった。どう接していいのかわからなかった。

突然の悲劇で両親を失った妹に、どんな言葉をかけるべきか。

自分の両親は健在だったから、なおのこと、理解ができなかった。

想像することはできても、その先までたどり着けなかった。

年下の妹を見て、自分が働いたからにはしっかり面倒を見なければとも思った。

寂しい思いをさせないようにしたいと、願っていたはずなのに。

気づけば仕事に忙殺されて、多感な時期にひとりにしてしまった。

それがすべての原因かはもうわからないけれども。

最後に姿を見た夜。彼女がひとりきりではなくて、誰か……と一緒だったのが

せめてもの救いだろうか。

どこの誰とも、なにともしれないものなのに。

あの瞬間は殴りかからんばかりだったというのに。

それにすがるなんて、と自分がバカバカしくなってくる。

今日みたいに、満月の夜になると特に考え込んでしまう。

「あなた、疲れちゃった?」

ふと顔をあげると妻と子が目の前に佇んでいた。

「あぁ、大丈夫だよ。せっかくのいい夜だからね、ゆっくりしたくって」

「それならいいけど……広場に行きましょ?」

「美味しそうなものがいっぱいあるよ!」

今にも子は再び走り出していきそうだ。

「そう?じゃあお父さんを案内してね」

小さな手を握りしめて、賑やかな道を歩いていく三人で。

妻は仕事の同僚で、妹のこともよく話していた。

恥ずかしながらしばらく荒ぶっていた時期があるのだが、

そんな自分でも見捨てずに傍にいてくれた。

胸の中の後悔を、己への愚かしさを吐き出しても受け止めてくれた。

行方のしれなくなった妹の、無事を祈っていてくれるような人だ。

このひとがいなかったら、どんな行動をしていたかわからない。

時折半狂乱になった自分に、張り手をかましてでも止めてくる人だ。

自分も、迷わずに飛び出せていたのならば。

感情のままにでも、追いかけていたのならば。

また、別の結末になっていたのだろうか――なんて。

心に、夜風がつめたく吹き込んだ。


感傷に浸る間もなく。散々連れ回された。子供の勢いは恐ろしい。

あれが欲しい、これが食べたい、さっきからいくつ食べた?

晩ごはんは食べた後なのに、なんでそんなに入るんだ?

あぁ、惜しくはない、惜しくはないけれども、花見じゃなくて食事にきてないか。

それにうっかり目を離すと、あちらこちらへとはやいはやい。

桜にあわせて華やかな服装をしている人も多いから、カラフルで気になるようだ。

先程から付き添っている妻が疲れ始めたので、少し休んでてもらおう。

「変わるよ。少し休んでて。荷物、まだ増えそうだから少し置いてくね」

「えぇ、ありがとう。すばしっこいから、気をつけてね」

目を離すとあっという間よ、とからから笑っている。

広場を一周したら戻ってくるね、と告げて急いで子供の後を追う。

「ねぇねぇお父さん、あっちにきれいな色が見えたんだよ」

「これだけ明るいからな、さぞ色んな色があるだろう」

桜並木を指さして子供がはしゃぐ。

あそこは今の時期桜の美しさに圧倒される場所だ。後で見に行こう。

子供は次から次へと動き回る。光る輪っかにかわいいキーホルダー。

小さい紙袋がどんどん増えていく。

そのうちに、少し夜風が強くなってきた。

「なぁ、そろそろお母さんのところに一回……」

「あっ!!さっきのきれいな色の人だ!ちょっと見てくるね」

おい、ちょっと待てともごもごしている間に、子はかけてゆく。

そのタイミングで人の波が通り過ぎて、見えなくなる。

慌てて走っていった方向へと追いかけていく。

たしか、もうじき別の場所で花火が上がるっていってたな。

少し進むと、人混みの中で子供が立ち止まっていた。

見つけた安堵感と、急いだせいか息が切れて足が止まる。

遠目だが、誰かと話しているようだ。

うん……?なにかもらっているようだ。息を整えて、お礼を言いに行かないと……

深呼吸をしているうちに、子供がこちらへと戻ってきた。

「お父さん!これ、もらったんだよ! 買いすぎたから、おすそわけだって」

小さい紙袋を頭上にかかげている。

「おや、ちゃんとお礼はいったかい?」

「うん、おにーさんとおねーさんにちゃんと言った!」

あのね、やっぱりきれいな色だったよ、と飛び跳ねてはしゃいでいる。

「あとね、これはお父さんにあげてねって」

ゴソゴソと小さい手が紙袋の中から何かを掴みだす。

お菓子かな、と思って手のひらを覗き込んで、固まった。

見覚えのある、金色のチェーン。

少し錆びてはいるけれども、記憶の中と同じ形のもの。

手に取り開いた中にあるのは、少し歪に切り抜かれた――

「ごめん、先にお母さんのところに戻ってて!!」

ニコニコしている子を置いて走りだす。

子供がさっきいた場所を探す。周囲を見渡す。

どこか、まだどこかに……赤い色はないか。あの子の色。

見覚えのある色を探して、視線がさまよう。

ちら、と似た色が遠目によぎる。

桜並木の方向。考えるより先に足を動かす。

ちょっとすいません、と人波をかきわけて進む。

広さのある桜並木。左右には満開の桜が彩る夜道。

何故か人がいない、その道の先に……

月光に照らされた、赤と黒を見つけた。

記憶の中と寸分違わぬ、妹の姿。傍らに佇む青年は静かにこちらを見ている。

夜の月を背にして。

まるで、あの夜に戻ったかのようだった。

自分は、こんなに老いたというのに。

「澪」

「ロケット、ちゃんと受け取ってくれた?私は、もう大丈夫だから 届けにきたの」

強く握りしめている物をみやって妹が言う。

言葉が詰まる。吐息だけがもれる、なに、を……何を伝えれば。

「ずっと、忘れ物があったの。ちゃんと、言えてなかったから」

くるり、とひと回りして。いつかのようにまっすぐに視線を合わせて。

「勝手に置き去りにしてごめんなさい。置いていかれる辛さは、わかってたのに」

「それはっ……俺のほうこそ、お前をひとりにして」

「私ね、もう独りじゃないから大丈夫なのよ。

 黄昏時も夜も、夏も冬もへっちゃらよ。彼がいるから寂しくないわ」

だから、だからね――と言葉は続く。

「さようなら、兄さん」

なんで、どうしてだなんてもう言えない。

「私のことは忘れて、自由になってね」

「忘れられない。なかったことにもできない」

「ただのひとりよがりなわがままよ」

きっと答えは求めていない。

「今はね、色んな所を旅してるのよ。色んなものを見てきいて触れてるの。

 アリスみたいに……とってもいい時間を過ごしてるの」

 妹は歌うように、けれども凛とした声で続ける。

「私はもうこれっきり、振り返らない。兄さんも、今は守るものがあるでしょう?」

 おめでとう、と朗らかに彼女は笑う。

 影のように佇む男はただ見守っている。

 ふわり、と彼女の髪が風にたなびく。

「さ、付き合ってくれてありがとう。行きましょ」

 ふたりが、こちらに背を向けて歩きはじめる。少しずつ、背中が遠ざかっていく。

 引き止められない。もう手が届かないとわかった。それでも。

 詰まる喉を引き絞るようにして。

「――ッ どうか、何処にいても何をしていても、笑っていてくれ」

 願うぐらいのエゴは、許して欲しい。

 答える声はなかった。足音だけが遠ざかっていく。

 うつむきそうな自分を叱咤して後ろ姿を見送る。

 瞼に焼き付けるように、またたきすらも惜しんで。

 ずいぶんと遠ざかった赤と黒の影は、寄り添うように見えた。

 さようなら、澪。

 どうか、旅立つ彼女にしあわせがありますように。

 ただ静かに、静かに二人は遠ざかっていった。

 姿が見えなくなって。人の賑やかさが戻ってきても、しばらく立ち尽くしていた。

 我にかえって、握りしめていたロケットをまじまじと見る。

 白昼夢のようでいて、でも確かに言葉を交わせた。俺は覚えている。

 何年越しの言葉だっただろうか。

 来た道を歩いていく。月を背にして。

 遠くから、家族の呼ぶ声がする。そうだ、戻らなければいけない。

 帰る場所があるのだから。

 それでも。名残惜しくて、桜並木を振り返る。

 道端の照明がまぶしくて、目にしみる。

 ひときわ強く吹いた夜風につられて、月を仰ぐ。

 舞い上がる花びらが月に重なって、紅く――滲んで見えた。



 


 

 


















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