第6夜 約束の夜

学校を休んでいる翌日。

朝の時間に兄を見送ってからは、部屋の中をうろうろしていた。

自分から休んでおきながら、普段授業の時間に家にいると落ち着かない。

もちろん理由はそれだけではないのだけれど……

あまりにも気持ちがそわそわして、部屋の中を片付けてみたり。

いつまで私が此処にいるかわからないけれど、散らかっているよりはいいものだし。


写真立てにいつのまにか積もった埃などを掃除用具で綺麗にする。

あまり普段使わないテーブルの引き出しを開けると、懐かしいものが入っていた。

金色のチェーンがついた、ロケット。写真は入っていない。


「これは確か……お母さんがしていたもの、だったような」


母の遺品のロケット。

たぶん、遺品整理をしてくれた祖母が私の荷物にいれてくれたのだろう。

以前はどんな写真が入っていたのだろうか……いまとなっては、知ることもない。

在ることすら忘れていたのに、その引き出しだけ無意識にほとんど開けなかったからだろうか。

ロケットは綺麗なままだった。


『いつか澪が大きくなったら、あなたにあげるわ』


そんな言葉を、もらったような記憶もうっすらとある。

けれども、普段身につけないしどうしようか……と考えて、はたと思いついた。


以前兄と取った写真を、丸く切り抜く。

本当に、私と兄さんとが、ぎりぎり写っているぐらいのサイズになってしまうけれど。

ロケットの中に、切り抜いた写真を収めてそっと蓋を閉じた。

わたしがいなくなるときに、これだけは持っていこうと思った。

未練がましくも思えるが、そうしたいと感じたからしかたがない。


一作業をしてから、部屋の片付けを再開した。

不要なものは捨てて、本棚の並びも乱れているところは直した。

久しぶりに洋服ダンスの整理もしてみたが、もっている服のバリエーションの少なさに気が沈んだ。


適当な所で片付けをやめて、一人分の昼食を用意して流し込んだ。

ある程度すっきりとした部屋に戻り、考える。

私が選ぶ、選択肢。狭い世界しか知らない頭で、色々考えた。

実際にはどうなるのか。なんにもなく、ただ犬死したら。

わたしがいなくなった後、兄さんはどうするんだろう。

それは、心配なことのひとつだったのだけれど。

昨晩の兄の話を聞いていて、兄さんならひとりにはならないから、大丈夫。

私がいない場所で。兄さんには、幸せになってほしい。そう思うのはわがままだろうか。

気にはかかるものの、それでも私はこの機会に選んで決断をする。

ここからいなくなるのだ、と考えた途端に思考が楽になる。

彼がくるのは今夜だろうか。彼は連れて行ってくれるだろうか――なんて。

子守が嫌だといっていたから、しっかりしなければ。

あの人と一緒ならば、なんでもしよう。

それが誰かの灯火を消すことに繋がっても、ためらわない。

覚悟を持つことは、約束だから。


昔に。不慮の事故で、両親に置いて行かれた私が。

今は、お世話になっている兄さんを置いていくなんて。

でも、誰もが、誰かに置いて行かれて……誰かを置き去りにしていっているのかもしれない。

永遠……なんて、人にはない。それは、人ではないものにもひとしいのだろうか。


つらつらと考えながら、宵をまつ。


兄さんが帰ってきて、食事をして。身支度を済ませて。

いつもどうりのことをこなしていれば夜が来た。


その晩は静かな夜だった。

本も読まずに、明かりもつけずに、ただ闇の中で来訪者を待っていた。

ベランダの方にずっと意識を向けていたつもりだったのだけれど。

気づけば、するりといつのまにか私の部屋の中へと彼は訪れていた。

ベッドサイドの明かりをつけると、少し眩しそうな仕草をする彼。

紅の瞳は夜によく映える。人の目じゃ、あんなに綺麗に見えない。

生きた宝石だったら、あんなにも煌めくのだろうか。


「さて、今宵の用はただひとつ。お前はどうする?」

「この前と同じ。わたしを連れて行ってください。どうなっても構わないから」

「人を捨てる覚悟は?」

「あなたと一緒なら」


ひとつ、ふたつ、瞬きをして彼が話しだす。


「随分とあっさりと。もう少し悩むかと思ったが。なにせ」

この間の件もあろう、と呟いた。

人ではないものの性。そう、あれをみてなお私は惹かれるのだ。

むしろ、よけいに想いが強くなったかもしれない。

同類になるとしても、答えは変わらない。

わたしに、人はあやめられるの?

少しの恐れは閉じ込めて。


「きっとこんなチャンス二度とないし、選ばなきゃ後悔するわ」

今ならば、と彼はいう。

まだ、すべてなかったことにして、ただ眠ればいいとも。

それでも。

すべて投げ捨ててもいいと、何故か思えるのだ。


「ねぇ、あんまり無駄な話をするタイプには見えないのだけれど」


あぁ、そうだったな……と幽かな笑みを刷いて。

静かに静かに、私の方へと近づいてきた。


「準備、みたいなものはなにもないのね」

「お前の覚悟と我が身の血、それさえあればいい」


半身を起こしていた私の背中に、彼の腕が回される形になった。

体重を、すべて預けている状態。

いったいどうなるかと、思考とは裏腹に心臓の鼓動が速くなっていく。

浅くなりそうな呼吸を抑えて、ゆっくりと息を吸っては吐く。

それでもなお、脈打つ鼓動が強く感じられた。


私を支えながら、彼が言葉を紡ぐ。

「深呼吸をして、息を吐ききったらそのまま止めろ。うっかり舌を噛むなよ――」


言われたとおりに、限界まで吐ききり、余韻を飲み込んだ刹那。

彼の空いている腕が少し後ろに引かれた直後に、胸に衝撃が響いた。


悲鳴なんて出やしない。上げる暇もない。

切れかけの電球みたいに、視界が明滅する。呼吸をできているのだろうか。

胸の中を、腕がまさぐる感触の度に熱い塊が喉元までせりあがってくる。

飲み込みきれずに、げぼっ、と外にでる。

その間何かを確かめるかのように動く腕は止まらない。

歯を食いしばりすぎて、割れた音がする。ひゅぅっと息を吸い込もうとした時。

ぐらつく視界の中で、何かが確かに潰される感触がした。

何かが詰まった袋を、握りつぶしたような。

いっきに世界がスローモーションになる。感覚そのものが遠くなる。

ゆっくりと感じられる世界の中で思考だけは、滑らかで。

今、わたしは人として生きているのか?


限界がきて、視界が急激にぼやけて黒に染め上げられそうになる。

意識が遠のきかけて、まぶたが閉じかけて。


ふいに感じた口の中の苦味、味覚で意識が引き戻される。

ぼやけた視界の中離れていくのは、夜に生きるあの人のかんばせ。

いつのまに近づいていたのかも、わからなかった。

少しだけ感覚が鮮明になって。

口の中に広がり喉を下りていった苦味は、彼の血の味だと理解した。

鮮明になったかと思えば、今度はまた視界がぼやけはじめた。

もっと、彼を見ていたいのに。

もしかしたら、これが最後に見るモノかもしれないでしょう。

霞んでいく視界の中で、どうなったのかと貫かれた胸を見る。

ただの血染めなのだろうけれども、私には赤い花が咲いたように見えた。

その色彩を、美しく感じた。

意識が体ごと落ちていくような感覚の中、もう痛みも、なにもなかった。

浮遊感に合わせて、まぶたをしっかりと閉じる。

暗闇の中へと、自ら意識を溶かしていく――

無音の世界の中に、滑り込んでいくる彼の言葉。


「明日の夜、迎えにくる。それまでに離れる支度をしておけ」


暗闇にすら染み込んでくる声音は、冷たいけれどもまるでレクイエムのように静かで。

心の片隅で、その声に、その姿に、その存在に出会えてよかった、と思った。

それきり、私の意識は深く深くおちていく。

うつらうつらと夢見るように、途切れ途切れに映像が浮かぶ。

頭の中のそれは、おとぎ話のような、誰かの物語。


月の美しい夜。秘めやかに花が咲き乱れる庭。


『私は花を手折らない。月となり、夜にだけ輝くその身を照らそう』

『なれば、私は月に寄り添う花になりましょう。私だけの、月に』


『どうか、最後の時は。他の誰でもない貴方に、お願いしたいのです』


『ですから、どうか私を――この鳥籠から連れ出してくれませんか?』

『いつか。何処かで誰かがきっと、貴方の傍に居続けてくれますわ』


『その時が訪れるよう、私は祈ります。それが、貴方に罪を負わせる私の贖い』



遠い遠い、昔々の、誰かの記憶のひとかけら。






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