第36話 Day7 パーティーの余韻 J&E
「エマ〜!!」
部屋に入るなり、ジェニーがエマに飛び付いてくる。侍女らは、驚いているが、微笑ましく見つめている。
メイドや侍女らの情報網では、夜会のトップニュースはもう届いているようだ。
「お姉様… どうしよう!」
ジェニーの抱擁で、張り詰めていた気持ちがほぐれたのか、エマはその場に座りこんだ。
「…とりあえず、着替えながらね。」
ジェニーと侍女らがエマを支えて、長椅子まで連れてゆく。
侍女に宝飾品を外され、あっという間にドレスを脱がされ、ガウンを羽織る。
「おめでとう! 何がどうなってこうなったかよくわからないけど、エマ、良かったんでしょ?」
エマは隣に座るジェニーにしがみついて答える。
「嬉しいのと、変わることへの不安と… 混じってる。」
「変わることは、怖いわ。私もそうだったから。でも、エマ、あなた、自分でそれを選んで、変化させたんではなくて?」
ジェニーは、侍女らにお茶を用意するよう目配すする。
「うん。変えたかった。待てなかった。待って失敗したくないって思うぐらい… そばに居て欲しい人だと思った。」
「幸せなことよ。自分で選んだのだもの。それに、まあ、なんていうか、あんなに美形で?あんなにあなたにベタ惚れで?家族の誰も反対しない相手? もう最高じゃないの!」
「最高過ぎて、こわい…」
エマは両手で顔を覆う。
「一緒にいて、安心する。私の話をきちんと、受け止めてくれる。不安なことを取り除いてくれる。たくさん気持ちを表してくれる。」
ぽろりとエマの目から、涙が溢れると、ジェニーがそれを拭った。
「私も、もっと気持ちを伝えたい… 辛いことや悲しいことも一緒に感じてあげたい… だけど、私、それと引き換えにできるものないのよ? 欲張りなの。何も失いたくないのに、まだ彼が欲しいのよ。」
ジェニーが差し出したハンカチで、エマはぽろぽろ溢れる涙を押さえる。
「欲張りでいいじゃない。このユージェニーお姉さま、結婚して、何か我慢してるように見える?」
「… 私との時間?」
「それだって、これから、どうにだってできるわ。こうして、たまに二人で過ごす時間も持てるじゃない?」
侍女がエマに紅茶を渡す。
「うん。」
「離れて暮らすのは寂しいけど、一緒にいたいと思う旦那さまがいるんだもの。楽しみも増えるわよ。」
「お姉様も最初は不安だった?」
ジェニーは、ティーカップを置いた。
「そうね。私は、16歳から年に3か月は王都の侯爵家に行っていたから、知らない家じゃなかった。だけど、2年前に、ドポムを出るときは、王都まで馬車の中でずっと泣いたわ。その時の私とステファンは充分に愛し合っていたけど、それでも寂しかったの。ステファンは、道中ずっと私の背中をさすったり、慰めたり、大変だったって今では笑い話になってるけれどね。それも大切なことだったと思う。一人で馬車に乗っていたら、きっと途中で引き返してたわ。」
「そうだったのね。あの日のお姉様、私たちには笑顔しか見せなかったのに…」
「まあね。この先嫁ぐ妹に、泣きながら嫁ぐ姉の姿なんて見せられないわよ。」
「泣いても良かったのに!私だって寂しかったんだもの。」
「いいえ!あの日のエマは、準備に忙しくて、倒れる寸前だったわ。寂しがる余裕があって? 知ってるのよ、私の荷物を目録と照合するのに、ほとんど徹夜だったでしょ。」
「お姉様だって、迎えに来たステファン義兄様に渡すはずの刺繍が終わらなくて、夜中までかかったくせに!」
二人は顔を見合わせると、声を上げて笑った。
「やだ、また、あの大騒ぎをやるのね。ちゃんとあなたが旅立つ時はガルデニアに戻ってきて見送るわ。」
「うん。そうして。じゃなきゃ、泣いてしまって一人で準備できない。」
ジェニーは、オットマンに足を上げ、侍女に足湯を用意させる。
「それにしても!あのアンリがね… へぇ〜、よ。」
ジェニーは、昔の記憶を辿る。
「お姉様の知ってるアンリはどんな人なの?」
「私が知ってるのは、10年前。私が10歳、アンリが12歳。その時は、背はそこまで大きくなかった。顔も幼かった。今のね、精悍な感じは想像できないわ。繊細そうな、頭でっかちな感じに見えた。」
仕立てのいいシャツに、タイを結び、お行儀のよいアンリ少年をジェニーは思い出す。兄のギヨームもそういうタイプだが、よそ行きでないときの彼は、幼い妹二人と一緒に泥んこになって遊んでくれもした。アンリは、そういった隙は全く見せなかった。
「確かに賢そうだけど、自分でも賢いってわかってるな、って知ってる感じ。私は、賢いのに我が道を行くあなたを見てたからね、彼は大人にチヤホヤされて天狗になってる子どもに見えたかな。大人ぶってるな、とか、ね。」
当時のジェニーはアンリに対してあまりいい印象を持っていなかった。
「今は、全然そんなところない!」
エマは、勢いよく否定する。
「わかってるわよ。騎士になったのが良かったんじゃない?頭でっかちじゃ、できない仕事だしね。 」
ジェニーとしても、当時のアンリと今の彼があまり結びつかない、というのが本音だ。
「それで… 聞かせて。アンリとあなた、オープニングパーティーで会った後、今日まで会ってなかったわけはないでしょう?」
ジェニーとしては、ここからが本題である。
「あ…」
エマは、答えの準備なしに、ジェニーの尋問に挑まねばならぬと思い、狼狽える。
「やっぱり!」
「まあ…」
エマの歯切れは悪い。深いたらいに香油と薔薇の花びらを浮かべ、足を浸す。
「怒らないから、ね?」
ジェニーは引かない。
「夜、会いにきて話をしたり、街で食事や買い物をしたり、市庁舎の書庫で会ったり、した。」
ちゃぽん、とジェニーのたらいの湯が跳ねる。
「待って。一つずつ! 夜、っていつの?この部屋で?」
ジェニーが前のめりになる。
「最初に薔薇が届いた日。このバルコニーで…」
「どうやって??」
エマは、バルコニーをちらりと見遣る。
「外から登ってきた。」
「防犯… 諜報員なら、なんてことないわけなの?」
ジェニーは呆れている。
「じゃあ、街で食事は?」
「その次の日。」
「あなた、商工会に行くと言った日?」
「うん。」
ちゃぽん。
「はーん。私に内緒だったわけね!私もあなたと市場に行きたかったのに… それで、藍色のストールを買って貰ったわけか。」
「うん。」
察しのいい姉は、お見通しだ。
「で?それだけ?」
「実は、その晩、領館への護衛をしてくれたジャンも、アンリだった。」
ジェニーは、紅茶のカップを掴み損ねてカチャリと音を立てた。
「え?」
「知らなかった。別人と思ってて。さっき聞いてびっくりしたの。」
「それ、アンリはわかってて護衛しにきたってこと?」
「そうみたい。」
「まあ、愛されてるわね…」
ジェニーは、少し考えたあと呟く。
「もしかして、市場でストールと同じ色のシャツをアンリは買ったの?」
「何で…わかる?」
「次の朝、領館から帰ってきたあなたを抱えてきた騎士よ。外套の中に青いシャツが見えたの。騎士の制服にしてはおかしいな、と思って覚えてたのよね。」
「え… 私、全然気がつかなかった。」
「ふふ… お揃いを着て、一緒に馬に乗って、守ってもらって、って、流行りの恋物語に出てきそう!」
侍女たちも、にやにやと目配せする。これは、明日には、ホテル中の貴族の知るところになりそうだ。
ジェニーは、ビスケットを口に頬張りながら続ける。
「で、書庫って、領館から戻った次の日よね?」
「うん。」
「偶然?約束?」
「偶然。」
「あのとき、護衛が三人ついてなかった?」
「そうなんだけどね…」
「護衛のあり方、警備のあり方は、問題じゃない?」
「まあ…」
何とも、言いづらい話である。
「で?一日空いて、今日?」
「うん。」
ちゃぽん。
「ほとんど毎日じゃない! しかも、その間、彼の任務が何だったか聞いた?」
「調査とか?捜索の指揮とか?」
ジェニーは呆れ顔だ。
「キャスティアを探してシエンタに連れ戻したり、カイルを助け出したり、最後の爆弾を除去したり、よ!」
エマは思わず、足元のたらいにじゃぼんと足を落とした。
「… 寝ないで領館に行ったりしたのに?」
「信じられないわ。エマの話からすると、あなたと一緒にいるとき以外は、最重要任務ばかりよ。今頃、休めてるのかしらね…」
「今は、多分、報告書を書いてる。」
姉妹は、揃ってため息をついた。
「まあ… 恋する男って、体力あるのね、としか言いようがない。」
エマも何と答えてよいかわからない。確かにトゥルバドゥールは、日に日に疲れが溜まっているように見えた。それがまた、男性的な色気にも見えたわけだが、そんなに危険な任務をしていたと聞くと、自分が不埒だったと思わざるを得ない。
「あ、お兄様からも言われてると思うけど、結婚するまでは、触れさせないこと。シェラシア人は、婚前でも遠慮がないからね。」
「ふ、触れさせない?!」
エマは動揺し、足をオイルでマッサージされているのも忘れ、またたらいに足を落とす。
「ダンスとか、手の甲への口づけはともかく、二人のときにやり過ぎないで、ということ。侍女や護衛はいるだろうけど、彼らでは止められないから、あなたがしっかりしてね。」
「はい。」
エマは
「ねえ、お姉様、それ、建前?」
今度はジェニーが足をたらいに落とす。ジェニーが、というより、オイルを塗りこんでいた古参の侍女が落としたようにも見える。
「常識の範囲で…」
ジェニーは、ニヤりとした。
「そうそう、これはシェラシアの大臣から聞いたのだけれど、今回の功績でアンリの叙爵は間違いないって。さらに、ラトゥリア王家も、シエンタの治安維持の功績に対する恩賞を出すつもりらしいわ。」
「すごいわね。」
エマの知らないところで、大活躍だったアンリは、何だか遠い存在に思えてくる。
「ここからは、私の読みだけど、ミュゲヴァリが空くだろうから、新ミュゲヴァリ伯爵なら、最高ね。ふふ。」
「へぇ。そうなったら、素敵…」
尋問が緩んで、エマにも笑顔が戻る。
「あとは、シエンタ市からも恩賞を、って話があったんだけど、兄様が、妹を嫁に出す以上の恩賞があるのか?ってぶつぶつ言ってた。結局、ドランジュ家が辞退したんだけど。」
「恩賞が私って…それはちょっと…」
「半分冗談よ。あ、あと、ラトゥリア王家から、あなたと私にも恩賞が出るわ。」
「え… アンリの功績に比べたら… 申し訳ない…」
ジェニーは、長椅子に横になると、侍女に顔にオイルを塗り込まれ、化粧を落としていく。
「シェラシア貴族にだけ恩賞じゃ、かっこつかないからよ。私は、シエンタ周辺の教会に寄付するつもり。あなたは、結婚の支度にしたらいいわ。」
「ねえ、まだ、その、具体的な話は何もアンリとしてないんだけど…」
「いずれ、ダニエル様と兄様を含めて話し合うだろうけど、心の準備はしてね?」
エマは、黙って頷く。もう、そういう段階なのだ。
「あと、ニーレイや他の商人たちからの面会の依頼がいくつか来てる。多分、婚約とか、結婚とか、屋敷の準備とか、物入りになるから、その売り込みよ。」
「それって、順番としておかしくない?」
今度はエマがジェニーに食い付く。
「今すぐ注文ください、って話じゃないわよ。顔を売りに来てるだけ。とりあえず、会っておきなさい。貴族の務めよ。」
「お金、かかるわね…」
「いいじゃない。二人で今回荒稼ぎしたんだから… その分、ラトゥリアとシェラシアの商人にお金を使えばいいのよ。」
エマは、ふうと息を吐くと、少し冷めた紅茶に口をつけた。
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