第33話 Day7 花火の余韻



 花火が終わると、後ろから声を掛けられた。


「エマニュエル嬢」


 振り返ると、アデニシャン伯爵ダニエル・ドランジュだった。エマが寄りかかっていたバルコニーの手すりから立ち上がろうとすると、ダニエルとアンリの両方から手を差し出される。

 躊躇った瞬間に、アンリの手がエマの手を攫い、腰を支える。


「うちの愚弟が世話になり…」

 隣にいたアンリは、驚く様子もなく、兄ダニエルを睨んでいる。


「久しぶり。兄さん。」

「本当に久しぶりだよ? 丸2年? 王都で会って以来だからね。」


 エマは兄弟の会話に入るべきか… ダニエルはエマに声を掛けてきたが、むしろアンリと話したい素ぶりに見える。


「だいたいお前は、アデニシャンに何年帰ってない? 貴族のはしくれだぞ。結婚は、家と家の話なんだから、私とギヨームに筋を通してくれよな。」


 ギヨームの名が出て、エマニュエルも慌てる。


「ガルデニア伯爵には、先ほど、それを前提に親交を深めたい旨、申し入れをした。兄さんには、事後報告で申し訳ないが…」

「え?! お兄様と話したの?」

 エマにとっても初耳だ。


「兄さん、まだこちらの話が途中なんだから、横槍はやめてくれないか?」

 今までのアンリとは違う、遠慮のない家族への言い草は新鮮だ。

 


「おぉ、近衛に入ってからのお前は怖いよ… エマニュエル嬢、私は全く反対する気はないから、安心してくれ。愚弟でよければ、君の幸せの踏み台にしてもらって構わない。また、ゆっくり話そう。」


 エマが返事をする間もなく、ダニエルは去っていく。

 入れ替わりにギヨームとジェニーが近づいてくる。


「アンリ・イザク卿、大変ご無沙汰ね。10年お会いしていないと、全くどなたかわかりませんでしたわ。」

 ジェニーが突っ込んでくる。

「本当だよ。記憶の中の少年が、こんなに立派な青年ななっているとは、僕も驚いた。」

「そうよ、私と背丈の変わらないちんちくりんでしたわよね?」

 ドポム家の面々は、アンリの返事を待たずに矢継ぎ早に喋りかける。ダニエルの弟という立場は、兄姉にとって、随分と親しい距離感になるようだ。


「ユージェニー嬢、大変ご無沙汰しています。ご挨拶が遅れたこと、お詫び申し上げる。ギヨーム卿も、先ほどは急ぐ余り、失礼した。」


 エマは、兄姉に何をどう話していいやらわからない。


「エマ、大方、アンリ殿から聞いている。エマは、その、何というか、でいるわけなんだろう?」

 兄は、周囲の人々が耳をそば立てているのを気にして、婉曲的に言っているが、これで会話が噛み合うのかエマには自信がない。


「ゆっくりね… お姉様が心配するような、火遊びじゃないから…」


「「?!」」


 アンリとギヨームが、声を揃える。

 周囲の人々が一斉に振り返る。


「… あ、ごめんなさい… そういう意味では…」

 たじろぐエマの隣で、ジェニーは、笑いを噛み殺している。


「まあ、いいわ。この火遊びは、アンリ卿が燃えさからせたんだから、責任もって始末してくださいませね。」

「うん、まあ、火の始末はしっかりな。」

 アンリは二人の言葉を受けて、エマに微笑みかける。



「アンリ殿、そろそろ時間だよ。君はまだ仕事が残っているからな。僕とジェニーは先に戻るから、エマと暫しの別れを惜しんでくれ。」

 ギヨームは、アンリと握手を交わし、ジェニーを連れて室内に戻って行く。バルコニーの客も、大方室内に戻ろうとしている。



 ダニエルが来てから、ずっとアンリの手はエマの腰に回っており、エマのドレスの背中の開いた部分から、少しだけ素肌に触れている。アンリは気づいていないかもしれないが、気づいてしまったエマは、そこに意識がいってしまう。



「さて、エマ、どうする?」

 アンリがいたずらめいた視線を送ってくる。

「どうするって?」

「きみが思っているほど、のんびりとはしていられないかもよ?」

「うん。お互いの家が出てきたら、後はもう…よね… 」

 エマも、ゆっくり、なんて言うのは詭弁でしかなくなっていると気づいている。


 ー 気持ちがふわついてるのは、始めからだった。結局、この7日間で、ふわつくのを止めようともがけばもがくほど、気持ちを確かめあって余計にふわふわしただけだった。アンリに恋をした、と、今ははっきりそう言える。私が望んだのは、アンリに恋していい、と大切な人に認めてもらいたかったということなのか。二人だけの世界じゃなく、家族も、仲間もいる私の世界で。



「後はもう?」

「婚約して、結婚して…」

 言葉にすると、突然現実的なことのように思えるし、これ以上、何を確かめたらよいのかわからない気もしてきた。


「ま、とりあえず、僕は近衛の最後の仕事を片付けないとね。一か月できみの元に戻りたい。それから、将来のことを話そう。その時には、こんな人生はどう?ってきみにいくつか選択肢を伝えられるはず。」


「うん… 」

「心配しないで。今の僕がどこの領地も持っていないこと、これが切り札になるから。」


「どういうこと?」

「選べる、ってこと。」


 アンリは得意げに微笑む。


「じゃあ、室内に戻ろう。そろそろゲストの見送りの時間だ。ドポムのご令嬢はお仕事しないと。」

「うん… 待って。」


 エマは、自分の気持ちをアンリに伝える方法を急いで考える。男性は、手の甲に口づける、など人前でも親愛の情を示す方法があるが、貴族の女性にはそれに当たるものはない。


 ドレスの腰紐に付けていた小さな扇子を外すと、広げる。

 アンリは、何をするのかとしげしげと見つめている。


 エマは、つま先で立つが少し足りず、そっとアンリの首を引き寄せ、扇子で隠しながら、その頬にキスをした。

 温かい。エマの知らない香りがした。ウッディな香水の香りだけでなく、男性らしいけれど、ほのかに甘い香りがして、いつまでもそれをかいでいたい気持ちになる。


 離し難いけれど、ゆっくり唇を離す。かすかに紅が移ってしまったところを指で拭った。



「…」

 アンリは、突然のことに茫然としている。


「やり過ぎ?」

 エマは恐る恐る尋ねる。


「…いや… 僕が先にしたかった…」

 エマが先ほど拭った左頬に触れながら、アンリは視線をそらす。

「順番の問題?」

「そう。これは順番の問題!」

 アンリは気を取り直し、エマを捕まえようと腕を伸ばす。


「さ、戻りましょう、ジャン。」

 エマは照れ隠しに、アンリに背中を見せ、歩き始める。

「何で、ここで、ジャンなのさ!」


 二人は笑いながら、バルコニーを足早に歩いて行った。






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