第32話 Day7 みんな期待してる



 ワルツを何度か踊り、二人は、バルコニーに出た。

 星の美しい晩だ。

 


「花火を一緒に見ようと言った約束は覚えている?」

 アンリは、手の上に置かれたエマの手に自分の手を重ね、エスコートする。


「覚えているわ。でも、私が今日、あの部屋でお伝えしたこと、わかっている?」



 花火を見る人でバルコニーは混み合っている。七日前もこうして、人混みに紛れて花火を眺めたが、違うのは、皆が二人に注目し、耳をそばだてているということだ。


 アンリは、エマの耳元で囁く。

「勿論。考えがある。」

「考え?」

「僕はこの夏、この任務終了をもって、近衛隊を離れる。一度シェラシアに帰るけど、また戻ってくる。きみの言うように、時間を掛けて確かめよう。」


 アンリはエマの手を握りしめる。


「私たちが一緒にいると2人とも幸せになれる、とか、私があなたを選んだって確信を持てるまで?」

「そう。きみが僕を選んで、幸せになれるって思えるまで。」

「嬉しい!ありがとう!!」

 思わず大きな声が出る。


 周囲の人が振り向く。

「小さな声でね… 僕はシエンタに屋敷を持つことになると思う。まあ、シエンタと領都は、怯える君を乗せていなければ馬で3時間だから。」


 エマは眉間に皺を寄せ、アンリを見上げる。

「追いつかないわ、話に。 怯える私?」

「そうさ、馬上であんなにガチガチになっている人は初めて見たよ。」

「待って! あなた、不憫なジャンだったの?」

 エマは思い余って、アンリの胸に両拳をつく。


って何?」

「ジャックが怖くて喋れない下士官だと思ってたわ!」

「あぁ!」

 おかしそうにアンリが笑う。

「何で教えてくれなかったの?」


「あの晩、髪を染める時間もなく、きみの出発に間に合わせたんだ。他の男と馬に乗るなんて許せないじゃないか。」

「私のために、護衛に来てくれたの?」

 エマはアンリを見上げる。


「そういうこと。赤髪のトゥルバドゥールが銀髪の騎士だとは。あの時は明かせなかった。近衛での役割は… 諜報だったからね。目立つ銀髪の僕がシエンタにいると知られるわけにいかなかったんだ。きみに名前さえ教えられなかった。」


「聞いても、きちんと秘密は守ったけど、そういう話じゃない?」

「そうだね。リスクをきみには負わせられない。」


「あなただとわかっていたら… 少し安心したかしら… そんなことないわね。あなたを危険にさらす、と考えたら、余計に取り乱したかもしれない。」

 アンリは、そっとエマの頭を撫でる。


 ー 隠していないほうが良かったなんていう理由は、一つもない。仕方のないことだったのね。



「諜報って、何をしてたの…って聞いてはダメよね…」

 エマの語尾は小さくなり、俯く。知りたいことは、山のようにある。


「簡単に言うと、不確かなものも含めて、この式典や街道関連で、いくつかの怪しい情報があって、それを確かめに来た。だから、基本的には一人の仕事。」

 アンリは俯くエマの耳元で説明を続ける。


「その内、状況もはっきりしてきて、実動部隊も必要になるとジャックの辺境騎士団を借りたり、対策本部ができてからは逆に辺境騎士団を手伝ったり。」


「やっぱり、危ない任務をたくさんしていたのね。」

 エマは、アンリの顔に触れてしまわないよう、ゆっくりとアンリを見上げる。


「そのために、日頃訓練してるから。」

 思いの外、距離が近く、今度はアンリが目を逸らして答えた。



「あなたが無事で良かった。」

 心の底からそう思う。

「多少の怪我はつきものだけど、今回は辛かったかな。」


「え?どこか怪我でも?」

「いや。きみがジャック・マーロウといい仲だと、他の騎士から聞かされた。」

 アンリの口調はいつものようにおどけているが、茶化して返せる話題ではない。


「あれは根も葉もない噂よ。」

 エマの声が大きくなり、周囲の人がちらりと振り向く。


「噂で良かった。貴族である限り、家が決めた相手は受け入れないわけにいかない。だから、何か理由があってそうなったのだと。」

 アンリは、遠くを見つめながら話を続ける。


「ただ、ジャックは僕の従兄弟で、親友だ。彼の妻としてのきみとは顔を合わせられない、と。せめて、二人の幸せのために、二人から離れるべきだ、とか、二人から嫌われるぐらいのことをするべきだ、とか、色々と考えて、苦しかった。」


「… ごめんなさい。」

「きみが謝ることじゃない。今、きみが僕の腕の中で微笑んでくれること、それだけでいいんだ。」


 二人は複雑な気持ちにけりをつけ、互いに微笑む。




「ジャン… あなた、パン屋のジャンって言っていたわね…なぜ気がつかなかったのかしら…」

「パン屋はきみ、僕は商家の小間使いね。」

 アンリは不服そうに言う。


「… もしかして、初めて庭園で会った次の朝、カフリンクスを探してたのもあなた?」

「覚えてた?」

 ニヤリと笑う。


「… 髪の色にすっかり騙されていたわ。カフリンクスの持ち主が、アデニシャン伯爵家の人だとわかっていながら、なんで、トゥルバドゥールがアデニシャン伯爵家と繋がってるともっと早く気づかなかったのかしら…」

「賢しいきみにしては、見落としてくれてありがとう…」


 アンリは、いつまでも胸についたままのエマの拳をそっと握って下ろし、手を繋ぐ。

「もう、手を繋いでも?」

 エマは俯き、頷く。



「きみは不憫なジャンのこと、結構気にしてくれてたよね?」

「あの後ね… 私の報告をもとに、危険な任務をしている騎士や兵士がたくさんいると聞いて、ジャンもその一人なのかと… だから、責任を感じて、心が痛んだわ。」

「なんだか、妬ける…」

 アンリは再び遠くを見つめて呟く。


「え? あなたがジャンじゃない!」

「きみに愛を語ったのはトゥルバドゥール。ジャンじゃない。」

「それを言うなら、私が恋したのはトゥルバドゥールで、アンリじゃないのかもよ?」

「それは、困るな… トゥルバドゥールも、不憫なジャンも、小間使いのジャンも、アンリも、きみに恋してる。」



 ー 



 エマが、頬を赤らめ、黙っていると、周囲が固唾を飲んでいる気配がする。チラチラとこちらを見ている。


 ー これは、口づけのタイミングだと?! 皆が覗き見する中で? いや…それは…


「… 」

 エマは、黙ったまま、アンリを見上げ、手を握り返し、微笑んだ。








 それから、花火が始まり、二人は約束の花火を楽しんだ。





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