第30話  Day7 自分で駒を動かす




 エマは、トゥルバドゥールを呼び止めたかったが、急に突き飛ばされ転んだせいで、声がうまく出ない。


「すぐにジャックに部屋へ運ばせるから、ここに。」

 トゥルバドゥールは、騎士と引っ立てられた男と共に去ろうとする。


「待って…」

 やっと絞り出した声は、騒動に気づいた人たちの声にかき消された。





 ほどなく、ジャック・マーロウが現れ、呆然としたエマを抱えて歩き出そうとする。


「歩けます。降ろしなさい。」


 思った以上に、厳しい言葉が出てしまった。ジャックも、エマ自身も驚いた。


「失礼しました。マイ・レディ。」

 ジャックは、そっとエマを下ろすと、人目につきにくい生垣の裏の道に誘導し、一歩下がって歩き始める。


「あなた、謹慎中では?」

「申し訳ございません。今回の警備、私の指揮官のアンリ様の命に従っております。」



「アンリ・イザク・ドランジュ様?先ほどの?」

「左様です。」

「あなたは、彼の何を知っている?」

「… おそらくは、エマニュエル嬢のお知りになりたいことはほとんど。」


 エマは目眩がしそうだった。こんなに近くに、全てを知っている人がいたとは。


「彼は、私とあなたが婚約したという噂を信じている?」

「可能性はあります。私から、その件は事実ではないと伝える時間もなく、申し訳ございません。」


 エマは思わず、ジャックに厳しい視線を向ける。

「言い訳でしかありませんが、アンリ様は、最終作戦のため、昨晩から連絡が取れておらず、先ほど、エマニュエル嬢の保護の命令を受けた時には、かような話はできなかったのです。」

 ジャックの恐縮した声が後ろから聞こえる。

「ごめんなさい。八つ当たりね。」


 ジャックは、返答に困っている。


「彼のことで、私に話せることはある?」

「… 話したい気持ちはありますが、私の役割ではありません。」

「それは、部下として?」

 エマが振り返ると、ジャックは微笑み答える。


「いえ、彼の親しい友人として。それは、エマニュエル嬢とアンリ様の問題です。私を介すべきではないでしょう。」

「その通りね。この後、私が、彼と話す時間は取れそう?」

「事後処理で、夜までは無理かと。」

「ありがとう。」





 エマが部屋に戻ると、すぐにジェニーがやってきた。


「エマ! 巻き込まれたって聞いたけど、怪我は?」

「大丈夫よ。少し服が汚れたのと、足を擦りむいたぐらい。式典は滞りなく?」

 ジェニーは、エマの膝小僧を見て、侍女に手当を指示する。

「えぇ、少し騒然としたけど、すぐに元通り。これで、全て解決。夜会も予定通りよ。いろいろ、話したいことがあるけど、着替えが先!夜会、出られる?夜会は私たちの一番大事な仕事よ。」

「そのつもり。」



 ー さあ、どうする私! 待つだけが私じゃない。自分で動く。ふわふわしてる場合じゃない。



 エマは、白地に銀糸の刺繍の入ったドレスと、アンリから贈られた首飾りをまとう。結った髪には、白い薔薇を一輪刺した。




 夜会の会場へ行く前に、エマは対策本部に向かう。


 部屋は閑散としていた。大臣や高位貴族は夜会に参加するため出払っているし、残務処理をする者は、別室にいるのだろう。

 他の部屋の出入りも見えるよう、廊下の長椅子に腰掛ける。護衛が離れたところに控えているものの、正装したエマは場違いだ。時折、廊下を行く者たちが、チラチラと様子をうかがうような視線を寄越す。




 時間切れだと諦め、エマが立ち上がったとき、近くの部屋の扉が開き、銀髪の青年が出てきた。シェラシアの騎士服は、ところどころ汚れ、破れている。髪もきれいに梳かれていない。無精髭も伸びているし、顔に擦り傷もある。本当に昨晩から、エマには想像もつかない任務をこなしてきたのだろう。



「アンリ・イザク・ドランジュ様」

 エマは口を開く。

 トゥルバドゥール、ではなく、名を呼ぶのは初めてだ。まだ、本人から明かされていない名だ。


 アンリは、驚きを見せたが、目を逸らし、近くの部屋の扉を開ける。

 中に誰もいないことを確認し、エマを部屋に誘った。



「あなたに…」

 アンリが口を開く前に、エマが口火を切る。

「あなたに、この薔薇を。」

 手に持っていた一輪の白い薔薇を差し出す。

「… これは、どういう意味? 僕はきみに相応しくないから、返す、と?」

「よく、お考えになって。」




「私は、あなたと話をするのが好きと、伝えたわ。だけど、やっぱりふわふわした気持ちは落ち着かない。それは、あなたのことを考えると、いつも私が好んで、楽しんでいたことが、霞んで見えてしまう。それに、あなたのことを一番に考えてしまって、自分の責任を果たすことがどうでもよくなってしまう。」

 アンリの顔色が曇る。


「あなたと過ごす人生で、私が幸せになれる、と」

 エマは一度、言葉を区切る。

「私と過ごす人生で、あなたが幸せになれる、と、確かめるには、7日間では足りない。お互いが、互いの一部だと感じられるか、時間が欲しい。」



 アンリは、エマの眼差しから、エマの言葉を理解した。エマが身につけているアンリが贈った首飾り、髪に飾られた白い薔薇の意味も。




「一緒に、確かめよう。 今は、きみはきみのすべきことを、僕は僕のすべきことを。」



 アンリは、エマの手を取る。そして、跪き、その手に口付けを落とす。


 唇が離れたとき、書庫でのことを思い出した。エマは、口づけを受けたその手をゆっくりとアンリの頬に寄せる。


 ー 私も、触れたい。もっと…


 アンリは、跪いたまま顔を上げ、エマを見つめる。その頬に触れたままの手でアンリの顔の輪郭をなぞる。



 エマは、彼を抱きしめたい気持ちを堪えて、その場を立ち去った。

 





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