第28話 Day7 H.I.D



 翌朝、エマは赤、緑、白の薔薇に囲まれた部屋でぼんやりしていた。昨夜は、聴取が長引き、ジェニーやギヨームとは話せなかった。


 トゥルバドゥールが、来れないだろうと言っていた食事の約束は昨晩だった。夜遅くまで、対策本部の小部屋にいたから、当然、何の連絡も受け取れなかったし、エマには連絡する術もなかった。



 ー 私からは、手紙を送ることも、会いに行くこともできない。全ては、トゥルバドゥール次第。



 エマは、贈られた首飾りを小箱から取り出す。気持ちの整理ができず、まだ一度も手に取っていなかった。恋する気持ちと向き合うには、今の状況は複雑すぎる。

 トゥルバドゥールは無事でいるのか、それを思うと、何も手につかない。



 イエローダイヤモンドは、エマの髪の色。その周りに散りばめられた灰色を帯びた茶の石は、トゥルバドゥールの瞳の色。

 姉が精巧だと褒めていた白金細工を眺め、ふと、裏返してみる。中央のダイヤモンドの台座の縁に、小さな文字が刻まれていた。明るさを求め、エマは窓際に寄る。



 ーー 愛をこめて H.I.D



「なまえ!!」


 エマは、ハッとした。


 ー なぜ、私は、探さなかった? なぜ、私から動かない? 私らしくない! 待つだけは違う。 愛を受け取るだけは性に合わないのよ!






 エマは、ギヨームの執務室に駆け込んだ。


 誰もが忙しそうに立ち働いている。書棚にあるシェラシアの貴族年鑑を手に取る。




 ー Dから始まる貴族、少なくとも伯爵位以上。


 震える指で、一つずつ、名を確認する。





「あった… アンリ・イザク・ドランジュ」


 ー 昨日、会ったダニエル・ドランジュ、アデニシャン伯爵の家族… 煙水晶の瞳… 琥珀色の髪…


 鼓動が速くなり、次の言葉がうまく読めない。




 ーー ドランジュ家当主 ダニエルの弟 シェラシア王国近衛第三隊所属




 ー どういうこと? 近衛はこの式典に派兵されていない。トゥルバドゥールは、何をしてるの?





 わずかな記載を反芻し、エマは執務室を後にした。





 式典まであと三時間。

 部屋に戻ると、ジェニーが式典の支度のために部屋を訪れていた。


「エマ、支度の前に、少しいい?」

 正装の支度のときはいつも上機嫌な姉が、神妙な顔で長椅子に腰を下ろし、隣に座るよう勧めてきた。


「うん。」

「いくつか、話さないといけない。」

「妨害計画は、無事阻止できたの?」


 ジェニーは、息を整え、話し始める。

「そうね。その話から。三か所のうち二つは制圧された。残る一つは、進行中だけど、問題ないと聞いた。だから、式典も、その後の夜会も予定通り開催することになったわ。」

「良かった…」


 ジェニーは、エマの手を握る。

「そう、これはこれでいいの。これだけの軍人がこの街に大挙していて、解決できないわけないの。 もう一つ、話したいことがある。エマは昨夜から、兄様に会った?」


「え?昨日から会ってないわ。忙しかったでしょ?私たちも対策本部に詰めていたし…」

「はっきり聞くわ。あなた、婚約した?」


 エマは目を白黒させる。

「だ、誰とよ!? お姉様が知らないなら、してるわけないじゃない。」

「相手は、ジャック・マーロウ。貴族たちの間は、この話で持ちきりよ。」

「ジャック・マーロウ? あの? 辺境騎士のジャック?まさか!」

「あなたに、花を贈ってるのは、誰なの? ジャック・マーロウじゃないのね?」

「違うわ。」

「どうしてこんな話になってるの…」


 ジェニーはため息をついた。



 エマも、深呼吸して話し始めた。

「お姉様、私もわかったことがある。花の送り主は、多分、アンリ・イザク・ドランジュ。」

「ドランジュ?!」

 ジェニーは、エマに飛びつく。


「話したの? 手紙? 名乗った?」

「ううん。 首飾りの裏にイニシャルが刻まれてた。」

「で、調べたわけ?」

「そう。調べちゃった…」


 ジェニーは、はっとする。

「待って。 アンリ・イザクは銀髪よ!しかも、私たち、子どもの頃に顔を合わせてるわ。あなたは覚えてないと思うけど。」


 エマが反応できずにいると、二人の間に沈黙が流れた。





「アンリ・イザクは、生きてる?」

「どんな質問よ。亡くなったとは聞いていない。」

「アンリ・イザクは、近衛騎士で間違いない?」

「そのはずよ。確か、13歳頃にシェラシアの王都の寄宿学校に入って、そのまま近衛勤務。それきり家には帰っていないって。ダニエル様の話をギヨームがよくしていたから、その話は間違いない。」


「本当に、アンリ・イザクかまだわからない。髪色も違うのね…当てにならない調べだわ。ごめんなさい。」




 

 お互いの話をしばらく考えてみたが、答えは出ない。


「まずは、着替えよ。それで、お兄様に会ってジャック・マーロウの話を聞く。次にダニエル様に会ってアンリ・イザクの話を聞く。ジャック・マーロウには、絶対近づかない。どう?」



 エマは頷いた。

 

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