第23話 Day5 書庫の密会
翌朝、4日目となる花束が届き、エマの部屋はますます薔薇で溢れていった。
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距離が二人を分かつとも
時が二人を分かつとも
同じ光を求め
同じ闇を打ち砕かん
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ー たった一日会っていないだけなのに、昨夜の出来事で、トゥルバドゥールと過ごした時間が遥か昔のことみたい。
カイルのことも解決していない。トゥルバドゥールのことを考えることさえ、不謹慎なことのように感じる。
同じように、この事件に巻き込まれている? あなたと私は、同じ側なのよね? 無事でいる? この詩はいつ、どこで書いているの?まるで、私の気持ちを見透かしているみたいなのに。
身体の疲れはまだ取れないものの、じっとしていられず、エマは早朝からシエンタ市庁舎の書庫を訪ねた。心配したギヨームに護衛をつけられ、エマの周りだけ物々しい。
普段は一人でふらりと入る書庫だが、先に護衛が中を確認し、やっとエマも中に入れる。書庫の外に一人、入り口に一人が控えた状態で、探し物を始めた。
シエンタは、ラトゥリアが建国する何百年も前の都市遺跡の上に作られた街だった。
上下水道や水道橋の技術は、かつてロストテクノロジーと化していたが、帝国統治時代に、シェラシアでは建築、土木の研究が進み、遺構の再利用や、新設があちこちで行われ、以前の技術を上回る進化をした。
シエンタが観光都市としても、商業都市としても発展してきたのは、古い上下水道が活用され、他の都市と比べても衛生的で生活しやすいという理由がある。
エマが探しているのは、グラン・ホテル・シエンタ周辺の地形と遺構の図面だった。聖歌隊の子どもたちの話から近隣の川を調べようと考えていたが、地下遺構を利用した水流があるのでは、と思い至る。地下遺構が使われているにせよ、いないにせよ、埋められずに会場付近に残っている限りは、警備上の盲点となりうる。
図面は、書庫の奥にある。さらにその奥には、鍵のかかった小部屋がある。鍵はエマが持っているが、今は他に利用者はいない。
書棚から図面を取り出し、机の上に広げ、椅子に腰掛けて暫くすると、奥の小部屋の扉が微かに音を立てた。
「誰!」
エマは声を上げると、咄嗟に机の下に潜り込む。
開いた扉の隙間から静かに顔を出したのは、トゥルバドゥールで、その唇に人差し指を当てている。
「あ… 何でもない。風でカーテンが揺れただけ。」
エマは机から這い出て、書棚の間を走ってくる護衛に声を掛ける。
小部屋の扉は静かに閉まり、トゥルバドゥールは身を隠した。直後、護衛がやってきてエマの周囲を検め、小部屋の扉が施錠されているのを確認した。
「窓も開いてませんし、おかしいですね。ここに控えていましょうか?」
護衛が尋ねる。
「少し、過敏になってしまっているのかも… 入り口で待っていて。」
護衛は、エマから離れてゆく。
エマは、図面を大きな音を立てて広げ直す。
その間に、小部屋からトゥルバドゥールが静かに出てきて、護衛の死角となる書棚の陰に隠れる。
トゥルバドゥールを見ると、胸ポケットから手帳を取り出して、文字を書いて、エマに向ける。
『会えたね 具合は?』
エマも手元の手帳に文字を書き、見せる。
『まあまあ 会えて嬉しい』
『何を調べてる?』
不意にギヨームの言葉が思い出される。
ーー 信用できるかわからん。
一瞬の逡巡の後、質問で返す。
『あなたは?』
『水路』
ー 信じる?
躊躇っていると、トゥルバドゥールがペンを走らせる。
『理由はきみと同じ』
エマはペンを動かせない。尋ねたいことは山のようにある。
『奥に新しい図面がある』
トゥルバドゥールは続けて書き、視線を小部屋に向ける。
『僕が行ったら、護衛と一緒に探して』
去ろうとするトゥルバドゥールに手帳を向ける。
『話したい』
『全て終わったら必ず』
ー こんなに近くにいるのに、話せない。 話したいのに。昨日のことも、今朝のことも。
エマは立ち上がり、トゥルバドゥールのいる棚に近づいた。護衛が目で追ってくるのを感じる。
トゥルバドゥールは、書庫の影で跪き隠れたまま、エマの右手を取ると口づける。
ー この温もりを信じよう。
トゥルバドゥールの唇が離れたとき、エマの右手に何か硬いものを握らせ、その手が離れようとする。エマは、離れてゆく手の温もりを求めて、一歩踏み出す。
ー 少しの不安さえ、消えてなくなるほど、私を信じさせて。
トゥルバドゥールはそれを制するように両手でエマの手を握りしめ、エマをゆっくり見つめると、もう一度口づけた。
エマがゆっくり指を開くと、石のついた白金のチェーンにだった。視線をトゥルバドゥールに戻したときには、そこにいたはずの彼の姿は、書棚の奥に去っていた。
ー トゥルバドゥールのことを考える自分と向き合いたくないわけじゃない。こんな状況だからこそ、この不安や悲しみを分かち合いたい。励ましたり、励まされたりしたい。それが何かを解決するわけではなくても、ただ隣にいて欲しい。
彼の手の温もりは、エマの心にひとときの安らぎとなった。その安らぎは、エマの心の中で芽吹いて、なくてはならないものとして広がっていくようだった。
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