第7話 Day1 琥珀の首飾り
まだ朝靄が出ている静かな朝だ。エマは客室のバルコニーのベンチから、裏庭を眺めている。小鳥たちのさえずりが心地いい。
宿泊している貴族たちは毎晩遅くまでラウンジで酒やカードに高じているからか、朝は遅い。宿泊客らしい姿はなく、通いでやってくる使用人が建物に入ってくるのが見える。
朝食の準備を始めたのか、厨房から金属の調理具がぶつかり合う音や戸を開け閉めする音が聞こえる。
昨夜は、寝付けなかった。気持ちを切り替えようとするたびに、あの瞳を思い出す。向けられた笑みを思い出す。
眠りたいのに眠れない苛立ちは、心をかき乱す存在への苛立ちにすり替わっていた。
ー よく知りもしない、この先に関わりがあるとも思えない人のことで時間を潰すなんて、無駄。
手元の本に目をやるが、文字を追っても、何一つ頭に入ってこない。
パタンと本を閉じ、目を瞑る。
ー 何が気になってる? 落ち着いて、思い出そう。この地域に多い琥珀の髪、すっきりした鼻筋、顔は細面、背は高そう。鍛えていそうな肩と胸。長い指。瞳の色は…
昨晩、断片的に蘇ってきた彼の顔は、一眠りしたら、吹き飛んだようだ。
ー 顔がわからない。私、顔を覚えてすらいないんじゃない?
はたと気づくと、無性におかしさが込み上げてきた。
ー 顔も覚えていない相手に悩んで、一晩眠れなかったなんて!馬鹿馬鹿しい! ジェニーの雰囲気に呑まれて、お相手を探そうなんて考えていたから、意識してしまっただけじゃないの!
ー 構わない。私は。今の暮らしに満足している。領地の仕事はやりがいがあるし、街道が賑わえば、もっと仕事も増える。家も領も豊かで憂いはない。好きな本だって、手に入るし、楽しむ時間もある。年末には生まれてくる甥か姪の世話をしていたら、日々の楽しみは増えるだろう。それに、ジェニーだって、ほどなく子をもうけるだろうから、王都へジェニーを訪ねる機会も増えるはず。
エマは、心の中で言い訳を並べ、いつもの自分を取り戻したように思い、気が晴れた。
ー 姉が起きてくる前に、庭園を散歩しよう。
昨日は、庭園の奥まで行けなかった。式典で使われるステージができているか、確認したかったのだった。本来の仕事を思い出し、エマは支度をして部屋を出た。
庭園を歩いていると、使用人たちが昨夜の片付けをしている。みな、エマを見ると一礼してゆく。
昨日、ミュゲヴァリ伯爵と会ったガセポの広場に近づいた。白と黒のお仕着せの使用人たちが立ち働く中、探し物をしているのか、濃紺のローブを着た男がテーブルや椅子の下を覗きこんでいる。
ー 濃紺のローブ、シェラシアの王国軍かしら。失くし物なら、使用人に探させたらよいのに。
遠くから、ぼんやり眺めていると、ローブの男がエマに気がついたようで、立ち上がり、こちらをちらりと振り返った。背が高く、ローブから銀髪が煌いて見える。
その後、男はローブを翻し、立ち去って行った。
エマは、そのまま広場を通り過ぎ、ステージの確認に向かった。
一週間後に使うそのステージはもう出来上がっており、仕上がりはエマが依頼した通りだった。
来賓の立つ場所、椅子を置く場所、ステージからの眺め、ステージ下からの眺めを確認し、来た道を戻る。
先ほど、王国軍らしい人影があったガセポの広場にも、使用人が何人かやってきて、テーブルや椅子を整えている。
昨日、エマが座っていたテーブルの近くで使用人が屈んでいるのが見える。やはり、何か失くし物を探すよう言われたのだろう。
「どうかしたの?」
エマが使用人に声を掛ける。
「おはようございます。カフリンクスを落とされたお客様がおられまして探しております。」
エマも共に屈もうとする。
「エマニュエル様、朝露でお召し物が汚れます。私どもにお任せください。」
「えぇ、でも、見つけたわ… 」
エマは、テーブルの脚の陰に落ちていたカフリンクスを拾い上げた。
「… シェラシアの… 王国軍?か何かの紋章かしら…」
銀細工の真ん中にオニキスがはまっており、銀細工にシェラシア王家の紋に似た図が刻まれている。
「これ、お届け先はわかる?」
「はい。ホテルにご滞在中のアデニシャン伯爵に、と。」
使用人はエマからカフリンクスを受け取ると、ハンカチにくるみ、胸ポケットに入れた。
「良かった。これは、紛失したことがわかると処罰されかねない代物よ。こっそりお返ししてね。」
エマはそう言うと、自室のある別棟へと足を向けた。
「エマ、もう行ける?」
「もう少し! 首飾りが決まらないの。」
エマとジェニーは、夕方から始まるウェルカムパーティーの支度をしている。ウェルカムパーティーは、シエンタ中心から少し離れた丘陵にあるレストランで行われる。レストランと言っても、かつて貴族の屋敷だった建物を最近改築したもので、広いバルコニーからシエンタが一望できる。
この場所が会場に選ばれた理由の一つは、ウェルカムパーティーのクライマックスに上がる花火を見るのに適しているから、もう一つは、この屋敷がシノワズリをテーマにした内装と調度品であるからだ。
ラトゥリアは、シェラシアよりも芸術、文化の振興に力を入れており、貴族社会の流行や文化そのものがラトゥリアの輸出物のようなもので、シェラシア貴族は、ラトゥリアの流行を追っていると言っても過言ではない。
ジェニーの言うように、ラトゥリアで人気のあるものを紹介することが、他国へのおもてなしとなる。
「今日の夜は、バルコニーにいる時間が長いわよね。ねえ、小粒真珠のビブネックレスと、ガラス細工?」
エマの選んだ二択を見て、ジェニーは首を傾げる。
「複雑なカットの大きめの石はないの? 暗いはずよ。キャンドルの灯りに煌めくものにしたら?」
ジェニーは二つの首飾りを角度を変えながら煌めきを確認している。
「うん。そう思って、ガラス細工を持ってきたの。ガルデニア領の特産だし。でも、ガラス細工は多いわよね、今日身につける人…」
「それはそうよ。商家はみな、売り込みのためにガラスよ。貴族の娘なんだから、石にしなさいな。」
真珠とガラスを諦めたジェニーは、それを侍女に手渡す。
「真珠はダメ? あ、お姉様とかぶるわね。お姉様のそれ、また、ずいぶん大玉! お義兄様も頑張るわねぇ。」
「ちょっと?大粒真珠は、既婚者の特権!あなたにはまだ早い。」
エマがジェニーの真珠に触ろうとしたところ、ペシリと手をはたかれた。
ジェニーは、エマのジュエリーボックスを物色している。
「エマがしっかり者なのはわかっているけど、これだけしか石持ってきてないの?!」
「貴金属を大量に持って移動なんて、物騒でしょ。だから、色もドレスとの相性を気にしなくていいように、真珠とガラスを多めにした…石ほど高価じゃないし。」
姉が呆れている。
「合理的過ぎ。 あ、この琥珀のビブは? 真ん中にこれだけ大きいのがあれば、これでもいいかもね。今日のドレスにも合うわ。琥珀は、最近つけている人をあまり見ないし、逆に新鮮かも!」
「… 琥珀ね。」
やっと忘れた琥珀の髪を思い浮かべる。
- まあ、いいか。今晩、会うわけはない。それに、瞳の色でもない。 顔も覚えてない相手の色を身につけるなんて馬鹿な真似をしてるなんて、誰も気づかないわね。
姉に琥珀のネックレスをつけてもらい、二人は部屋を後にした。
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