第5話 Day0 グラン・ホテル・シエンタの庭園


 庭園に出ると、日は落ちていたが、あちこちの燭台に火が灯され、多くの宿泊客や給仕が行き交っている。


 大きく開けた芝生の広場と、それを囲むように小道が作られ、生垣で仕切られた奥にガセポや池、花壇などがある。また、芝生の広場の中にもところどころに石畳が敷かれ、人々は、小道と石畳みに沿って歩き、庭園を楽しんでいる。


 小道や石畳みには、大小の燭台が置かれ、その道を明るく照らしていて、夕闇の中に幻想的に浮かび上がる。




「ずいぶんきれいに整備されたのね。前に来たときから、すっかり変わってる! それこそ、春なら、花々が美しかったでしょうに…」


 ジェニーは喋りながら、給仕からシャンパンを受け取る。


「そうね。今回の式典のためにドポムも増資もして、整えたの。奥のガセポも、新しくしたから、寄ってみよう。あと、一番奥の通りに面したところは、来週の式典用に、ステージも作ってるはずだから、完成したか見たいわ。」


「もう、また仕事!」



 古いガセポがあった場所には、バーカウンターを中心にいくつも新設されたガセポがあり、他にもテーブルがたくさん並んで、人が賑わっている。


 ジェニーは、知り合いを探しているのか、辺りを見渡している。すると、中ほどのテーブルに一人で座っていた老紳士が手を上げ、こちらに近づいてくる。




 ー 聞いていない。もしかして、ジェニーが見合いの席を予め用意していた? また、後家の話? さすがに年齢!



「こんばんは。 セヴィー伯爵夫人。このように素敵な場所にご招待いただけるとは、感謝いたします。」

「ご機嫌よう。 ミュゲヴァリ伯爵ご無沙汰しています。昨秋、ラドゥリアの王都リールでお会いして以来ですね。」


 ジェニーはカーテシーと挨拶をし、私をミュゲヴァリ伯爵レオン・キャスティアに紹介する。促されるまま、彼のテーブルに着くと、シャンパンが運ばれてくる。


「エマニュエル嬢、今日は私の孫のセオドアを紹介するつもりだったのだが、遅れていてね…」

 老紳士は優しく微笑んだ。


 ミュゲヴァリ伯領は、シエンタと国境を挟んで隣国シェラシア側に広がる地域だ。

 姉の狙いは、キャスティア家の孫か。ジェニーをチラリと見ると、伯爵夫人用の笑顔で微笑み返された。




 ふと、ジェニーでもミュゲヴァリ伯爵でもない視線を感じ、その方向に目を向けると、ジェニーと伯爵の間、奥のテーブルの男性の視線とぶつかった。男性は、ほんの一瞬の間の後、微笑みとともに軽く視線を下げる。


 知り合いなのか、素性を探るべく、エマはさっと観察する。しかし、燭台の明るさではあまりわからない。



 赤みを帯びた茶色、琥珀のような色の髪、装飾はないが、仕立ての良さそうな白いシャツ。組んだ長い足の先には、質の良さそうな革靴。手元には、皮表紙の本。机の上には眼鏡。ティーカップ。肩幅は広く、恐らく背も平均よりかなり高いだろう。



 こういった場でも、貴族男性は殆どジャケットを着ている。


 ー 裕福な商家? 年齢は、20代? 


 シエンタの商家を思い浮かべても、思い当たらない。嫌みのない笑みと、まとっている雰囲気、仕草、品々、全てが高位貴族を表しているのに、ジャケットを着ていない違和感。眼差しは優しいのに、鋭い。




 ー 本を片手に1人でここへ? 軍人とも言えそうな体格で?



 ジェニーと伯爵に気づかれない程度に、視線を下げ、口角だけ上げておく。知り合いだとしても、そうでなかったとしても、角の立たないように。





 ジェニーと伯爵の会話に相槌を打っていると、一人の男性がテーブルに案内されてきた。


「こんばんは。遅くなって申し訳ない。」

「孫の、セオドア・キャスティアです。」


 エマよりも幼い顔の少年に挨拶される。身長も、同じぐらいか。伯爵が私たちを紹介すると、セオドアは私の手を取り、指先に触れないキスをする。続けて、姉にも。


 年増の女性を紹介され、しかも片方は、何某かのとしての紹介。貴族らしい振る舞いはしているものの、その目は困惑している。貴族たるもの、この場面で困惑の感情を表に出すことは御法度だろう。



 ー 丸わかりじゃないの。 こちらも、同じぐらい困惑してるというのに!





 ジェニーと伯爵は、どこ吹く風で、共通の話題を次々と振ってくる。セオドアの様子を見て、すっかり白けてしまったエマだったが、この微妙な雰囲気に対する一切の感情をおくびにも出さずに、会話を続ける。



 セオドア少年は、13歳。シェラシアの寄宿学校に通っていて、今日、ご学友と共にここを訪ねたという。



 ー 13歳と? 姉よ、知ってた?!



 エマはちらりと窺うが、ジェニーの顔色は変わらないように見える。セオドアの道中の話を中心に、さりげなくの話を掘り下げている。


「ええ、同じ学園の5つ上の学年に、シェラシアの第三王子殿下がいまして、開通式典に参列するんです。それで、僕を含めて3人が同行させていただきました。」


「まあ、学園生活で素晴らしい人脈を築かれて、ミュゲヴァリ伯爵も安心なさったことでしょう。」


「いえいえ! 僕は、入学したばかりで… お恥ずかしながら、里心がついてしまって… 帰郷の口実に、と殿下がお誘い下さったんです。寄宿舎が同じだったので、たまたま殿下のお耳に僕の話が入ったようで、恐縮しています。殿下の側近候補の最終学年の方々に混じっての馬車旅は、緊張してしまって…」


 ー ジェニーの意図はわからないけれど、知りたかったのは、この話よね。



 セオドアも打ち解けてきたのか、急に饒舌になって、ご学友たちのことを話し始めた。年齢、領地、家族構成、婚約者の有無、卒業後の進路。あからさまな関心を見せず、下心を悟られずに、自然と相手に語らせるジェニーの手口は巧妙だ。



「お疲れのところ、わざわざお越し下さってありがとうございます。私の配慮が足りなかったこと、お許しくださいね。私たち、ミュゲヴァリ伯爵家の皆様にご挨拶できて光栄ですわ。ドポム家とは、国境を挟んでお隣なのですもの、末永く、よいお付き合いをさせていただきたいと思います。」


聞きたい話が済むと、社交をして、幕引き。王都で磨かれた姉の話術には恐れいる。やはり、ジェニーの狙いは、同乗者の情報だ。



 

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