第4話 シノワズリの茶器


 馬車が停まる気配でエマが目を覚ますと、シエンタのホテルに横付けされたところだった。馬車は正面玄関の車止めにつけられ、後続の馬車から侍女らが降りて、荷物を運び入れるている。

 ホテルの支配人が外から馬車の戸を開けると、涼しい風が車室に舞い込んだ。


 シエンタには大小100を超える宿泊施設があるが、中でも上位貴族向け最大のホテルは、ドポム家が出資したグラン・ホテル・シエンタだ。

 今回の賓客の過半数はこのホテルで収容できる上、式典後の夜会もホテル内の迎賓館を使う。ギヨームがホストとして立ち回るための拠点でもあるため、ドポム家は本棟の隣の別館が割り当てられた。




「兄様、私とエマは部屋で少し休んだら、夕食の前に庭園を散歩するわ。後ほど、夕食の時間は伝えるから、お仕事なさって!」


 馬車を降りる前に、ジェニーが段取りを決めてゆく。いつものジェニーなら、兄や妹が決めた予定に喜んで従っているというのに。


「ジェニーが仕切るなんて珍しい!」


 エマとギヨームは顔を見合わせる。


「お兄様、私も、明日のウェルカムパーティーの最終確認にお付き合いするつもりだったのだけれど。」

「大丈夫。僕たちよりも一週間も早く到着している事務方は優秀なのだから。」


 ギヨームは恭しく腕を差し出し、エスコートしながら戯けた口調で続ける。


「シエンタでのエマの仕事は、ジェニーの相手をすること。淑女諸君の社交が必要な場面だけ助けてくれたら、後は観光でも、買い物でも、淑女らしく好きに過ごしたらいいよ。」


「まるで、私たちが淑女ではないみたい!」

「道中のかしましさで、君たちがお転婆娘だったことを思い出したのさ!」

 優しく陽気なギヨームは、二人の妹にいたずらな笑みを投げかけた。




 ギヨームの言うように、今回の一連の式典のために、ガルデニア領の精鋭が長い期間、準備に当たっている。領主とその家族など、この期に及んでは、要所要所で挨拶するだけでよい。嫁いで以来、二年ぶりとなる姉妹の再会は、二人にとってご褒美以外の何ものでもない。




 エマが客室の前でギヨームと別れると、ジェニーがお茶の準備をしているところだった。



「エマ、今年の王都はね、シノワズリ一色よ。どのお茶会でも、シノワズリの茶器にリネン。紅茶ではなく、緑茶や青茶なのよ。急拵えの知識じゃ、緑茶や青茶の良し悪しなんてわからないから、どのお茶を頂いても、『爽やかな香りですこと』、『香ばしい香りですこと』、『雑味がなくて、飲みやすいですわ』の三種類の使い回しよ。」


「お姉様ですらその調子なら、他の方々も味なんて気にしてらっしゃらないのではない?」

「どうかしらね? みな、知ったかぶりをしているのは間違いないわね。」

 ジェニーの連れてきた侍女が、紅茶をポットに入れ、熱い湯をポットに注ぐ。



「茶器やリネンは素敵よね。お姉様も茶器は集めてるの?」


 いつもなら、間髪入れずに返ってくる返事がなく、エマがジェニーを見やると、木箱を手にしている。


「…と、言われると思って、持ってきたのよ。あなたへのお土産よ。開けてみて。」


「ありがとう!お姉様!」


 箱を開けると、椿と鳥の絵の描かれた碗とポット。箱の蓋についていたのか、はらりと一枚の紙が木箱から落ちた。


「これは?」

「この茶器を焼いた陶作家が、どの箱にも同じカードを入れているの。かの国の古い詩なんですって。」


 エマには読めないが、美しい書体で文字が書かれている。



「この作家、プレミアがつくほど、売れているのだけど、陶芸は仕事ではなくて、趣味なんだそうよ。本来の仕事は、、なんて言ったかしら… 無職… 朝から夜遅くまで官僚登用のための試験勉強をしているんだって。」


 侍女の入れた紅茶に口をつけながら、ジェニーが答える。



「それ、仕事じゃないじゃない? 焼き物が仕事?」

「仕事は、勉強なの。とにかく。あちらでは。 それでね、夜遅く、本来なら、勉強をすべきなんだけど、娯楽として焼いてるのがこの茶器。だから、焼いた数も多くなくて、出回る数もうんと少ないわけ。この国まで流れてきたのも、偶然みたいなもの、らしいわ」


 シノワズリの茶器は、かの国の焼き物から着想を得て、近隣国で焼かれたものを指すのだが、これはまさに本物というわけだ。

「へえ、本当の渡来品なのね。この絵は、繊細なタッチね… では、このカードは作家の署名みたいな意味かしら」


 



背燭共憐深夜月

踏花同惜少年春




「そうね。詩の意味は、、


学ぶための灯りを遠ざけ、友と夜月を愛で

庭に散った花弁を踏み、散りゆく花を惜しむ春


みたいなことなの。 貿易商が嗜みのある人で、美しく訳してくれたんだけど、あなたみたいに、一語一句暗唱できないから、私の意訳で許してね。作家の境遇がその詩と同じなの。」


「へえ、それなら、きっと散りゆく花に、勉強漬けで終わってしまいそうな自分の青春を重ねているのでしょうね。素敵な詩ね。」

 エマは、カードと茶器を見比べながら言う。



「まあ、あなたも、よ! 隠居老人みたいなこと言ってないで、あなたの人生の春を楽しむわよ。さあ、飲み終わったら、花を踏みに行きましょ。」

 ジェニーは、耳飾りをつけ直すと、立ち上がる。


「ちょっと、お姉様、それじゃあ、やっぱり私の春は終わってゆくじゃない!」


 二人は、紅茶を飲み終え、笑いながら部屋を後にした。


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