第3話 兄と姉の思惑



 街道開通式典の一週間前、護衛を引き連れたガルデニア伯爵家の馬車は、田園地帯をゆっくりと進んでいる。


 車室では、若き当主、ガルデニア伯爵ギヨーム・ドポムが妹のユージェニーと末妹エマニュエルをぼんやり見つめている。夏の車内は暑く、妹たちの他愛もないおしゃべりは、耳を素通りしていく。

 ユージェニーはガルデニア領から離れ、王都に嫁いで2年。仲のよい妹であるエマニュエルとの久々の再会に興奮し、王都で流行している楽団、芝居、オペラ、ドレス、雑貨の話を聞かせている。




 よく似たブロンドの髪に、グレーの瞳。二人の妹たちは、亡くなった母とよく似ている。



 姉妹は、その容姿と饒舌であることを除けば、あまり似ていない。


 姉の方は、いつでも誰とでも会話の中心にいる。彼女が聞きたいと望む情報は何でも、彼女の巧みな話術で相手から引き出してしまう。相手の懐に入ることでは彼女の右に出るものはいないから、幼い頃から、屋敷内のことで彼女の知らないことはなかった。

 成長し、社交に出るようになり、圧倒的に交友関係が広がっても、それは変わらず、なぜか彼女は家族の誰も知らない王都の情報さえ手にしていた。


 一方、妹の方は、幼い頃から一人の時間は父の書斎の片隅で本を読んでいた。物語や詩を好んでいるが、父の書斎の領地経営や歴史に関する書籍は読み尽くしているし、法学、農学、土木、必要と感じた分野は王都から取り寄せもしている。

 その知識量もさることながら、学び蓄えた知識や情報を加工し、着想すること、行動に移す段取りを組み立てることに長けている。

 屋敷の庭に根腐れした花があれば、土壌と排水の仕組みを調べさせ、適した新たな土を手配し、排水勾配を直させる。

 父や兄を真似て、領地の大小の問題を処理し始めたことは、彼女にとってはとても自然なことだった。




「ジェニー姉様の旦那様は、毎晩のように楽団の演奏を聴けるレストランに妻を連れていくことになるなんて、想像もしていなかったでしょうね。伯爵家とは言え、領地暮らしが長く慎ましい生活をする田舎娘を娶ったおつもりでしたでしょうに。」


 末妹のエマは、王都の華やかな話を楽しんで聞いている。

エマは、事情により18歳になる今まで嫁かず、領地の屋敷で気ままに過ごしている。若き伯爵の目下の悩みは、この妹の気ままな事情だ。


「まあ、エマ。田舎育ちだからこそ、芸術や流行に飢えているの。理解ある旦那様に恵まれたこと、本当に幸せよ。」


「全くよ。結婚からニ年、子を授かれないことで離縁を言い渡されてもおかしくないぐらいなのに。」


 ジェニーは、エマを肘で小突きながら、真面目な表情で答えた。

「言うわね! あなたこそ、18歳を迎えたのよ。本気でお相手を探しなさい。もう、4年よ。」




 エマの事情、それは14歳の春に、婚約者が海難事故で亡くなって以来、喪に服していることだ。13歳で婚約して半年足らず、年上の婚約者はたったの一度もエマに会うことなく、事故に遭い、帰らぬ人となった。

 手紙や贈り物のやりとりはあったが、会うことも叶わなかった。そんな婚約者の死を悼むには、慣習上も一年で充分すぎるほどだった。



「姉様、最初の一年は良かったのよ。今はまだその気になれません、で。だけれど、時機を逸してしまったとしか言いようがないわ。今では、貴族でも商家でも、後家か第二夫人のお誘いしかないのだもの。それに我が領地は温暖で、半日馬車に乗れば、それなりに楽しめるシエンタのような街がある。離れがたいのよ。お兄様だって私の手伝いなしに領地経営するのは大変ではなくて?」


「え? なんだい?」

 突然姉妹の会話に引っ張り出されたギヨームは、呆れたように、答えた。



「お前の進退こそが、ドポム家の喫緊の課題だよ。」



 エマは肩をすくめると、姉と顔を見合わせた。気まずそうにしていたのは、僅かな間でその後、姉妹たちの話題は、最近エマに届けられた釣書談義へと移っていった。





 変わり映えしない、田園風景を眺めながらギヨームは思う。


 ジェニーの輿入れ準備に奔走する中、父が倒れ、ギヨームが新米当主となったあの年、ギヨームとジェニーを支えたのは、紛れもなくエマだった。家令から末端の使用人に至るまで、力を合わせて乗り切ったのだが、全てを把握し、ギヨームの手の回らない案件に必要な指示を出し続けたのは末妹だった。


 それは、当事者ではなかったから?


 領地の問題は尽きることはない。領主になって三年経った今は、先送りにできる問題があることがわかる。中央政府、ドポムの縁戚、領民、屋敷の使用人、全ての信頼を勝ち取るべく性急に事を進め続けたあの時、自分が犠牲にしてしまったものは、エマの未来ではなかったか?


 良い相手を選べば、彼女の望むような裁量を持って、邸宅や領地を管理する充実した日々を送れていたのではないか?


 多少の無理や強引さを持ってでも、彼女の幸せのために送り出すべきだったのではないか?



 少なくとも、ギヨームはそう後悔している。



 このシエンタへの旅は、エマの人生の変化の始まりにしたい。おそらく、ジェニーも同じ気持ちで、王都からやって来たに違いない。




 ∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵


 


 田園地帯を過ぎ、馬車はシエンタ近郊の集落を抜けていく。


 しばらく前から、エマは眠っている。

 昼間は兄と領地のことで頭を悩ませ、夜は遅くまで本を読む生活は、二年前と変わらないようだ。兄夫婦とは別棟に暮らすものの、妊婦の兄嫁に代わり、担っている仕事も少なくないだろう。疲れていないわけがない。


 ギヨームは、エマの将来について悩んでいる。昨日今日に始まった話ではない。エマの言うように、気乗りしないものを先延ばししている内に、望むような縁談が尽きてしまった。ドポム家が喜んで末妹を嫁がせる相手を国内で探すことは難しいだろう。

 王都では、エマを『喪服の乙女』と揶揄する貴族がいることもジェニーの耳に入っている。良い縁談が来るはずもない。




 そこへ、シエンタでの街道開通式典の話が上がった。


 ジェニーの目論見では、式典には国内だけでなく隣国からも、多くの貴族や警備のための騎士団が訪れる予定だ。運が良ければ、隣国政権の要職に就く貴族とも接触ができる。

 これまで路面の悪い山岳地帯を経由しなければならなかった隣国の都市とシエンタが街道によって繋がることで、両国の交流も一層活発になる。エマが幸せになれるのなら、国外に縁を求めてもいい。



 ジェニーは王都で仕入れた情報を反芻する。


 シエンタの南の国境に隣接するのは、ミュゲヴァリ伯爵領。歳の近い次期伯爵が未婚だ。

 伯爵領には、隣国軍の駐留地があり、騎士爵を叙爵している武官もいるだろう。

 政権の要職に就く者は年齢が釣り合わない? 帯同している文官あたりなら、条件に合うだろうか。

 この街道に投資した事業家? シエンタに販路を求める商家?


 爵位が全てではない。お金が全てではない。しかし、貴族の娘が平民に嫁ぎ、生活を変えることは並大抵の苦労ではない。妹の持つ知識、思考力、行動力は、彼女の自信の源であるし、それを使えない人生に彼女自身が価値を見出せるのか。


 彼女が自分の幸せを見つけるためのきっかけを、どう紡ぎだせばよいか。


 姉として、今できることは何か。





 ジェニーが目をやると、兄は、エマと同じく目を閉じているが、眠ってはいない。



 兄が今回のシエンタ訪問にエマを連れ出したのは、同じ考えだからだろう。今回の式典のホストでもある兄は、会期中忙しさを極めるだろう。

 わざわざ、夫の同伴を断り、ジェニー自身が兄妹と共にシエンタ入りする目的は、兄の作った機会を最大限に活かすこと。




 滞在期間中の算段をこっそり話しておきたいところだが、馬車は速度を落とし、シエンタ中心のホテルに間もなく到着する。


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