【王妃になった姉妹の結末】廃妃は二度目の恋を知る
越智屋ノマ@魔狼騎士2重版
王妃になった姉妹の結末
結婚式の3日前。デメトリアス王太子殿下は、冷たい声で私に言った。
「ハーミア。僕は君を愛していない。僕を満たしてくれるのは、ヘレナだけだ」
私の妹ヘレナは、殿下の胸に抱かれて意地悪く笑っていた。
「ごめんなさいねぇ、お姉様。殿下はお姉様よりも、私のほうが好きなんですって!」
「あぁ。僕はヘレナを妻にする」
この2人の関係を、私はとっくに知っている。
華やかな美貌を持つ妹は、私を「つまらない女」呼ばわりしていつも全てを奪おうとする。不誠実なデメトリアス殿下もいじわるな妹も、どちらも大嫌い。
でも……
私は淑女らしくふるまいながら、冷静に問いかけた。
「私との婚約を破棄なさるおつもりですか? しかし殿下と私の婚姻は、幼少時から決められていたものです。国王陛下は、なんと仰せですか?」
「うふふ。国王陛下もお父様も、問題ないって言ってたわ! ね~、殿下?」
「あぁ。君を正妃に娶るのならば、ヘレナを側妃にしてよいと父上は仰せだ。もちろん君たちの父親、カロキア伯爵も大喜びさ。姉妹そろって王家に嫁ぐなど、これ以上ない栄誉だからな」
私を正妃に? 妹を……側妃に?
「ひどいわよねぇ、陛下ったら! 私だって王妃のお役目くらいできるのに! お姉さまなんか要らないわ!」
と頬を膨らませてワガママを言っているヘレナに、殿下は甘く囁いた。
「仕方ないよ、ヘレナ。王妃教育を受けていたのはハーミアだったんだから。だが、彼女はただのお飾りさ。僕が愛するのは君だけだ」
「えー、でもぉ!」
妹は不満そうだ。……どうしてあなたが、不満を言うの?
夫から愛されず、お飾りの「国の母」として生きなければならない私の気持ちを、誰も考えてくれない。
それでも私は、淑女の笑みを貼り付けて礼をした。
「かしこまりました、殿下。カロキア家の私と妹を、王家にお迎えくださり光栄です」
泣いてはいけない。
怒ってはいけない。
『国の母にふさわしい女性になれ』、『感情を他人に見せるな』――幼い頃から、そう教育されてきた。だから私は……泣いたり怒ったりする方法なんて、忘れてしまった。
*
私はデメトリアス王太子の正妃となった。
その数週間後には、妹と王太子との結婚式が盛大に執り行われた。
姉は正妃、妹は側妃。なんていびつな関係なんだろう。
王太子の愛が私に注がれることはなく、彼は妹のヘレナだけを溺愛した。
(……別に愛されなくていいわ。私も彼を愛していないもの)
幼いころから、正妃になるための教育を受けてきた。心を削られ、感情を殺されて、国政を支えるのにふさわしい知性と教養を。ずっと昔から、あやつり人形だった。
幼いころの私は勝ち気で、自由奔放な子だった気がする。……遠い昔のことだ。
「――ハーミア妃殿下。お顔の色が優れぬようです」
宮廷医師のシェイクスピア卿にそう言われ、私は我に返った。
「……いいえ、何でもありませんわ」
毎朝の診察は、王家の日課。私は自室でいつものように、宮廷医師の診察を受けていた。
(物思いにふけるなんて、私らしくない。どんなときも、心を殺して生きてきたのに)
子供時代を思い出してしまったのはきっと、……
「妃殿下はご心労の色が濃いようです。……ねぇ、ハーミア。僕の前では、取り繕わなくて良いんだよ?」
いきなり口調を変えられて、私は少しだけ戸惑った。宮廷医師は眼鏡の奥の誠実な瞳で、私を見つめ続けている。
「――僕のことを忘れたのかい? ハーミア」
声を潜めてささやく彼は――実は、私の
「…………覚えていますよ。ライサンダー。子供の頃、よく一緒に遊んでいましたね。まさか宮廷であなたと再会するなんて、思いませんでした」
無感情な声で私がそう言うと、ライサンダーはとろけるような笑みを浮かべた。
「良かった! 覚えててくれたんだね。これまで毎朝診察に来ても、君はまったく僕を見ていないようだったから――とっくに忘れられているのかと思った。意を決して話かけてみて、よかったよ」
優しくて、気弱なライサンダー。私の大事な幼なじみ……そして初恋の人だった。
「……オニロ男爵家のあなたが、医家の名門シェイクスピア侯爵家の姓を名乗っているのは、どういうことですか?」
「能力を評価されて、シェイクスピア家の養子に迎えられたんだ。王立医学院を卒業して、宮廷医師と法医学医の資格を取った。君が王家に嫁ぐ数年前から、僕は宮廷医師をしている」
「そうですか。……おめでとう、破格の出世ですね」
「すべては君のために。君の近くに居たくて、必死にここまで昇り詰めた」
唐突にそう言われて、私は耳を疑った。
「王妃となる君を陰で支えられるのなら、僕はそれで良いと思っていた。だが――今の惨状は、何だ? 君の妹が側妃になって、やりたい放題……こんな横暴が許されるのか?」
「やめて」
私はとっさに、ライサンダーを遮った。
「余計なことを言わないでください。あなたの立場が危うくなります。……診察が長引くのも不自然ですから、そろそろ出て行ってください」
私が彼を追い出そうとしても、彼は立ち去ろうとはしなかった。
「僕の話を聞いてくれ、ハーミア。ヘレナ妃殿下は君を殺そうとしている……だがこれは、逆にチャンスといえる状況だ」
ライサンダーは懐から丸薬を取り出して、私に見せた。
「それは?」
「君を殺すための毒だ。ヘレナ妃殿下に命じられて、僕が作った」
――お姉様に毒を飲ませて殺しなさい! 私が側妃だなんて、気に入らないわ!
――お姉様がいなくなれば、私が名実ともに王太子妃になれる。私の価値を、国王陛下にみせつけてやるんだから!
ヘレナが、そう言ったのだという。
「僕は君を救いたい。だから宮廷医師として、ヘレナ妃殿下の企みを国王陛下に報告するつもりだ。ハーミア、君はこの毒薬を国王陛下に見せてくれ。証拠があれば、妹を廃妃に追い込める。そうすれば、デメトリアス殿下もきっと君を愛するように――」
「私、その毒を飲みたいわ」
私が言うと、ライサンダーは整った顔をこわばらせた。
「……正気かい? 妹の思惑通りに、死んでやるつもりなのか?」
「いいえ、これは報復よ。私が死ねば、妹達への一番の復讐になるもの」
私がいなければ、この国は立ち行かない。私は未来の王妃として厳しい教育に耐え続け、国王陛下からも能力を高く評価されている。すでに国事行為のいくつかは、私にゆだねられていた。
他人に媚びるしかできない妹では、私の代わりは務まらない。もし他家の令嬢を新たな妃に迎えたとしても、今さら代わりは利かない。
「彼らが困り果てる姿を、私は地獄の底から眺めていたいの」
冷たい声でそう言うと、ライサンダーはとても悲しそうな顔になった。
「幼いころの君は、自由な鳥のようだったのに。……色々な物に苦しめられてきたんだね」
無念そうに呟くと、ライサンダーは私に毒薬をそっと手渡した。
「飲めば半日で意識を失う。さらに数時間経てば、誰の目にも死が明らかとなるだろう。苦しみはない……眠るように息を引き取る毒薬だ」
「すてきね。ありがとう、ライサンダー」
私は淑女の笑みを浮かべた。ライサンダーが、ますます悲しそうな顔になる。
……ごめんなさい、ライサンダー。私はもう、無垢な子供の頃の私ではないの。
心も感情も枯れてしまった。
あなたへの恋心も……遠い昔に乾いてしまった。
私は躊躇なく毒を飲み込んだ。
「君が地獄を望むなら、僕も地獄の果てまで君の
ライサンダーはそう呟くと、私の部屋から出て行った。
*
絶対に目覚めるはずのない暗闇の中。
私は、目を覚ました。
「ハーミア。お目覚めかい?」
やわらかい声。ライサンダーの声だった。
体が重くて、身じろぎできない。
うめくように、私はつぶやいた。
「ここは……?」
「地下墓地だよ。君は、ここに葬られたんだ」
いきなり体を抱き上げられた。ライサンダーが私を抱いて、優しく微笑みかけている。
「逃げるよ。ハーミア」
……どういうこと?
「あの毒を飲むと二日間、仮死状態に陥るんだ――僕がそのように作った。君の死亡宣告を下した3人の宮廷医師は、全員まんまと騙されていたよ」
いたずらに成功した子供のように、ライサンダーはくすくすと笑っていた。
「墓地に安置される君の棺には、君によく似た顔立ちの女性の遺体を入れておいたよ……多少は細工したけれど。法医学院には毎日いろんな遺体が送られてくるから、本気を出せばこの程度のことは可能だ」
私を抱いたまま、彼は颯爽と歩き出している。自信にあふれるその態度は、幼いころの気弱な彼とはまるで別人だった。
「待って……ライサンダー。……私の死を、偽装したの?」
「その通りだ」
「どうしてそんな愚かなことを……? ばれたら、あなたも無事では済まされないわ」
「僕はすでに死んでいる」
――え?
「数時間前、王都の河川に僕の死体を投げ捨ててきた。……正確には、僕そっくりな男性の遺体をね」
「どうして……? せっかく出世したのに」
「どのみち僕は殺される運命だったんだ。ヘレナ妃殿下が、口封じのために僕を殺そうとするはずだから。それに、僕が宮廷医師を志したのは、君に仕えるためだった」
ハーミアがいない宮廷なんかに、留まる意味はないよ。と、彼は真面目な顔で言った。
ライサンダーは墓地を出た。少ない荷物だけを背負い、私を抱えたまま夜闇にまぎれて走り出す。
「僕も君も、もう死んだ。馬を用意してあるし、偽造した通行証も入手してある。一緒に国を出よう。旅の医者夫婦を装って、一介の平民として生きよう」
「あなたに……そんなことできるの?」
「できるよ。君のためならば」
かつて華奢だった彼の体は、驚くほどにたくましくなっていた。
「僕は医学院で学ぶ傍ら、平民の暮らしも十分に学んできた。平民の生き方・死に方を知るために、何年か貧民窟で暮らしたこともある。貴族の窮屈さも地獄だけれど、平民の暮らしもまた地獄だ。だが――そんな地獄でも、君の自由につながるのなら。価値ある地獄だと思うんだ」
私は、どうしてしまったんだろう。
さっきから、胸の高鳴りが止まらない。
彼に初めて恋をした、幼いころのようだった。
「僕と一緒に、地獄に堕ちよう。ハーミア、ずっと君を愛していた」
ライサンダーは街はずれに着くと、とめていた馬に私を乗せようとした。
「待ってライサンダー。私は……あなたの命を賭けるほど、価値のある女じゃないわ」
「君には価値がある。君を想えば、僕はなんでも頑張れた」
彼は私を馬に乗せ、自分も素早くまたがると馬を走らせた。
「私……何もできないの。泣き方も笑い方も、忘れてしまった」
「これから何でもできるようになる。やわらかな心も、すぐに取り戻せる」
私は夢見心地のまま、彼の体にしがみついていた。
「……もう一度、あなたに恋をしていいの?」
彼の背中の温もりが、凍えた心を溶かしていった。
「何度でも。僕は絶えず君だけを想っているよ」
夢ならば、どうか醒めないで――
私は彼の背に縋りつき、十数年ぶりの涙を流した。
*
――それから、何十年という歳月が過ぎた。
「ねぇ、おばあさま。あのお話、聞かせて! ふたりのお妃さまのお話」
「わたしも聞きたい!」
孫娘のマリアとセラにせがまれて、私は昔話を始めた。
それは、ワガママな妹にすべてを奪われた正妃のお話。
正妃は妹に毒を盛られて死に、姉を死に追いやった妹はよろこんで正妃の座についた。しかし、妹のせいで国政は立ち行かなくなり、王太子と妹は国の崩壊を招く大失態を犯してしまう。
妹は国王陛下の逆鱗に触れて処刑され、王太子は廃嫡されて、嫡流が絶えた。その国の力はすっかり衰えて、今では傍流の他家に王位が継承され、もとの王家は滅びてしまったのだという。
「毒で死んじゃった王妃様のお話も、聞かせて!」
「亡くなった王妃はね……妖精の王様に救われて自由の国に渡ったのよ。妖精の王様に愛されて、たくさんの子供や孫と一緒に、毎日笑って暮らしているの」
「おばあさま、このお話って本当のことなんでしょ? 西の果ての国で、本当に起きた話なのよね?」
「さぁ……どうかしら。お前たち、そろそろお休み」
「「はーい」」
私と夫は、小さな町で医者夫婦として暮らしている。
町の人々に慕われて、愛する家族に囲まれて、幸せな人生を送っている。
暖炉のそばで穏やかな寝息を立てている夫の隣に、私はそっと腰かけた。
初めて恋したこの人に。私は二度目の恋をした。
遠い昔の。恋物語。
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