第16話 聖女は樹里だから ※樹里

 私――樹里は、『華原樹里』という自分の名前を気に入っている。

 この可愛い容姿に合う「華」という字があるし、樹里と言う名前も大好きなママがつけてくれたからだ。


 樹里の美貌はママ譲りだ。

 元モデルのママは、キリッとした美人でプロポーションも抜群!

 美しいだけではなく、聡明で優しい。


 そんな素晴らしいママだが、時折機嫌が悪くなる時があった。

 それは決まって、一色葉月という母の友人に会ったあとで……。


 その友人は近所に住んでいるので、ママはよく会っていた。

 彼女には娘――波花がいて、樹里も含めて四人で遊ぶことも多かった。

 遊んでいる時のママは楽しそうなのだが、別れて家に帰ると不機嫌になる。

 そして、いつもこう言うのだ。


『樹里、葉月の娘に負けちゃだめだからね』


 負けてはいけない?

 どういうことだろう……。


『昔からそう……。気にしていない素ぶりで、なんでも手に入れていくのが腹立たしい。葉月はずるいの』


 戸惑う樹里をママが見据える。


『樹里、いい? あなたが欲しいものは、すべてあなたのものなのよ。だから、葉月の子に何も奪われてはだめよ?』

『う、うん……』


 どういうことか、ちゃんと理解はできなかったが頷いた。

 ずるいってどういうことだろう。

 樹里は波花に何か奪われてしまうのだろうか。

 そんな不安が胸に残った。




 そして数年後、ママが言った言葉を理解することになる出来事が起きた。


 それは、小学生になったばかりのバレンタインでのこと――。


『ねえ、波花は誰にバレンタインのチョコをあげるの?』

『私はお父さんくらいかな』

『えー、好きな男の子はいないの?』

『私はレッドサムライダーが一番好き! でも、近くにいないから自分で食べるの』

『そ、そうなんだ……』


 何を言っているのか分からないけれど、とにかく誰にもチョコは渡さないということは分かった。


 一方樹里には、チョコを渡したい初恋の人がいた。

 小学校の隣にある高校に通っているお兄さんで、彼は近所でもイケメンだと有名だった。

 そんな人に受け取って貰えるか不安だったが、樹里は勇気を出して手作りのチョコレートを渡した。

 すると、お兄さんは笑顔で受け取ってくれたけれど……ホワイトデーにお返しはくれなかった。


 樹里はそれが悲しかった。

 でも、貰えないことが恥ずかしかったから、誰にも言えずにつらい時間を過ごした。


 その数日後、最近元気がない樹里を見て、波花は公園で遊ぼうと誘ってくれた。

 一緒に遊んでいると楽しくて、悲しさも薄れてきたと思っていた、その時……。

 波花のつけているヘアピンに目が留まった。

 イルカの飾りがついた可愛いヘアピンだ。


『それ、可愛いね! ママに買って貰ったの?』

『あ、これ? バレンタインのお返しに、お城のお兄ちゃんがくれたの』

『え』


『お城のお兄ちゃん』とは、樹里がチョコをあげた人だ。

 お城のような綺麗なおうちに住んでいるので、この辺りの子どもは彼をそう呼ぶのだ。


『……波花、お城のおにいちゃんにチョコをあげたの?』

『うん。この前、自転車の鍵をなくしちゃったときに一緒に探してくれたの。だからバレンタインっていうか、そのお礼に』

『それで……ホワイトデーにヘアピンをくれたの?』

『そうみたい。お城のお兄ちゃんがお返しくれたよー、ってお母さんが渡してくれたから』


 樹里は貰えなかったのに、波花は貰えた。

 それがとてもショックだった。

 そして、その時にママの言葉を思い出した。


『気にしていない素ぶりで、なんでも手に入れていくのが腹立たしい』


 ……こういうことなのか、と思った。


『チョコはお父さんだけ』と言っていたのに、『お礼』なんて理由をつけて樹里の好きな人に渡して、『樹里が貰うはずのお返し』を貰った。


 ……ずるい。


 波花のことは放っておいて家に帰り、ママにこのことを報告した。

 すると、ママは呆れたように笑った。


『忠告してあげたのに。馬鹿ね。これからも気をつけることね』

『これからも? こんなことが続くの?』

『続くわよ。あの葉月の子どもだもの』

『そんな……樹里はどうしたらいいの?』

『あなたには、わたしにはない愛嬌があるわ。それを使って上手くやりなさい』

『愛嬌?』

『そう。構いたくなる愛らしさよ。今までのように笑顔でいなさい。ありがたくなくても、ありがとうと感謝しなさい。失敗をしている人がいたら、呆れても可哀想だと肩を抱いてやりなさい。そうやって、あなたに賛同するものを増やして……奪われる前にあなたが奪うの』


 ……なんてママは言っていた。

 樹里は理解できなかったけれど、とにかく、ママが言うように愛嬌を振りまいて、味方を増やすことにした。




 それからしばらくして、またママの言葉を実感する出来事があった。


 その日は、いつも髪を下ろしている波花が、編み込みアレンジをした髪型で学校に来た。


「波花ちゃん、今日の髪型すごく可愛いね!」


 友達に言われ、ニコニコしている波花が気に入らない。

 髪型は可愛いけれど、樹里の方が似合うのに……あ。

 そう思った時に閃いた。

 ニコニコと笑顔を浮かべて波花に話しかける。


「それ、前に樹里がしていた髪型だよね、真似してくれて嬉しい! 言ってくれたら、また樹里もしてきてお揃いにしたのに〜」


 その髪型は樹里の方が似合う、とみんなに思わせたい。

 そして、波花が樹里の真似をしたことにすれば、樹里が上に立てる!


「え? 樹里、こんな髪型していたっけ?」

「先週してたよ? ねえ、綾乃ちゃん?」


 特に樹里のことを気に入ってくれている友達に聞く。


「あー……そういえばしてたね!」


 似たような髪型はしていたし、同意してくれると分かっていた。


「でも……真似じゃない……」


 しょんぼりとする波花を見ると、気分がよくなった。

 ホワイトデーのお返しを奪われた仕返しができたと思った。

 でも、まだ足りない。


「あ、波花、真似なんて言ってごめんね! 樹里、お揃いにしてくれたのかなと思って……嬉しくて……」


 樹里が悲しい顔をすると周囲の友達が焦り出し、波花を責めた。


「波花ちゃん、真似なんでしょ? 別に悪いことじゃないんだから、正直に言えばいいのに」

「樹里ちゃんはお洒落だから、真似したくなる気持ち分かるよ。樹里ちゃん、私も真似していい?」

「……うん! 嬉しい! みんなでお揃いにしよう?」


 周囲にいた子達にも声をかけ、クラス全体を巻き込む。


「賛成! 明日はみんなでツインテールね! 男子もだよー」

「おれらも? OK!」

「OKなのかよ!」

「あはは!」


 みんながわいわいと騒ぐ中、一人静かな波花を見ると胸がスッとした。


 そして、ママが言っていたことを実感した。

 今、樹里は、波花が「可愛い」と言われる機会を奪った。

 周囲を味方につけ、奪われる前に奪うってこういうことなのか!


 それから樹里は、周囲には分からない様に波花を下げ、波花の評価を奪い続けた。

 波花も、「真似した」と言われたくないのか、どんどん地味になっていったし、性格も大人しくなっていった。

 高校生になった頃にはもう、バレンタインのことなどどうでもよくなっていたけれど、「波花より樹里の方が上」だと実感できると気持ちよくなれるから、何かと理由をつけてそばに置いた。


 許してやろうかなと思ったこともあったが、そういう時に限って、樹里が気になっているクラスメイトのイケメンに近づいたり、樹里が仲良くして欲しいなと思った女子の先輩に構って貰ったり、樹里のお気に入りの先生に褒めて貰ったり……。


 やっぱり波花の「ずるい」は変わらないようなので、樹里も変わらず奪われる前に奪うと決めた。


 でも、最近は大人し過ぎてつまらないなと思っていたところに、波花が光輝――コウを推していることを知った。


「樹里が仲を取り持ってあげる!」

「そんなことしなくていいよ、目の保養で見てただけだから!」


 波花は止めてきたが、樹里にコウを取られたくないから必死なんだと思うと楽しくて……!

 コウは見た目がいいし、人気があるし……扱いやすい。

 波花にしては良い趣味だ。


 関係を持って付き合ったあと、波花の前でコウとのイチャイチャを見せつけるのは久しぶりに楽しかった。

 それでも、少し飽きて来たなと思っていたところに、『異世界に聖女として召喚される』なんて、信じられないことが起きた。


 誰にでも愛される樹里は聖女っぽいけれど、本当にそうなのだろうか。

 波花の方が聖女、というのは考えられないけれど、もしそうなら……。


 大丈夫。いつも通り、奪われる前に奪えばいい。

 万が一、樹里が聖女じゃなくても、周囲が『樹里が聖女でなければ困る』状況になればいい。


 ひとまず、勇者と聖女として、コウと樹里が王子様について行くことになった。

 王子様に放置され、呆然としている波花を見ると面白くて……笑いを堪えるのが必死だった。


 城の地下を通って辿り着いた先は、聖域と呼ばれる場所だった。

 青みのある岩肌の洞窟でとても神秘的だ。

 ゆっくり観光したいが、騎士達の警備も厳重でピリピリとした空気が漂っている。

 王子様に続き、コウと樹里、そして数人の高官が中に入る。


 どんどん奥まで歩いて行くと、突然広い場所にでた。

 ドーム状に広がる空間の中央に、ゴツゴツとした巨大な岩のような水晶がある。

 中に青いものが見える……もしかして、あれが……。


「あれが千年竜と呼ばれている王都の守護獣だ」


 王子様がそう教えてくれた。

 この国の伝説は、ここに来るまでに聞いた。

 魔王の欠片を取りこみ、結晶化してしまった聖獣――。


「欠片を取りこんだ時に、一気に結晶化してしまったわけではないんだ。最初は五分の一程度だったそうだ。だが、長い年月をかけて結晶化は進み、今はもう頭部のみだ」

「あ、本当だ……」


 よく見ると、竜の頭部だけは結晶化せずに露になっている。

 ファンタジーな竜を想像していたけれど、胴が長い中国の竜に近く、顔には長い髭がある。


「おい! 俺が勇者だ! 聖女もいるぞ!」


 シーンとしている中に、コウが叫んだ。

 守護獣は勇者と聖女にしか反応しない。

 樹里達は本物なのか、確認のためこの場に連れて来られているので、反応して欲しいというのは分かるけれど……。

 この空気の中で大声を出せるのはすごい。


 でも、こんなことで勇者と聖女と分かるのかどうか、と思っていたら――。

 

「グオオオオオッ……」

「!!!!」


 竜が洞窟に鳴き声を響かせた。

 覇気はないように感じたが、それでもしっかりと声を聞くことができた。


「千年竜が反応した! これで間違いない……」


 王子様と高官達が興奮し、歓喜の声を上げた。


「樹里、やっぱり俺達が勇者と聖女なんだよ!」


 コウもまた、目を輝かせて興奮している。

 本当に樹里が聖女?


「勇者様! 聖女様!」


 歓声を聞きながら、樹里は夢見心地になった。


 樹里は聖女なんだ……!

 波花とは違う、世界に一人しかいない特別な女なのだ!

 世界中の人に愛され、歓声を浴びる姿を波花に見せつけてやりたい!


 そう思っていたのだが――。




 守護獣が樹里達に反応したのは、最初の一日だけだった。


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