決戦(ティサ・ユージュ)3
片足が――落ちる、としか言いようがない。
ぼくはなにも変わらず、さっきから突っ立っているつもりだったのに――今のぼくは片足でその場に立っている。
突然のことなのにバランスを崩さなかったのは、今が非常事態だから……たまたまに過ぎない。
「なっい………………」
痛い。
鈍痛のような、それもとてつもなく規格外の鈍痛がぼくの落ちた左足……もはや何もない部分を襲った。これは、幻肢痛というやつか……というか、なんでぼくの足が、なにもされていないのに切断? されているんだ――
「…………!」
――そして。さらに信じがたい光景が続く。
ぼくの目の前でぼくの足が、ぐずぐずと……今まさに目の前で、音を立てて溶けていく様に――これは、腐っているのか? 腐っていくのか、ぼくの足が。
「次も足ですかねえ、機動力を頂きましょうか」
「う、わ、あ…………」
そしてぼくは、思わず、その場で飛び上がる――これは、完全に悪手だった。足なのに、悪手だ――だって、逃げるためでもなく、ただ緊急避難のようにその場で飛び上がっただけで高度も大してない――つまり、飛び道具相手には、いい的でしかない。
「よっと……」
「か、が…………!」
――そうして。
ぼくの……これは、ぼくが体をひねったからか、それとも相手が嘘をついたのか――今度はぼくの右手が、右手にその銃の――銃弾が着弾して、
「があああああああああああ」
片腕が落ちた。一瞬で落ちた。もう見るまでもない――落下しながらぼくの腕はどんどん腐っていって……そして、あまりにも腐り過ぎて、地面に落ちる前に朽ちて、消えていった。
「なっ、ん…………」
なんだ、その銃は!
と。地面に……なんとか、ザオがいる棟から一番近い棟に降り立って……疑問を投げかける。
だって、ありえないだろ、そんな……ものを、腐らせる……ふざけた武器。なんだ、なんらかの呪言を密かに使っている……銃の攻撃はおとり、とかそういうことか……
「……っ」
やばい。
……やばい、片足片腕を持ってかれて、ぼくの重心は無茶苦茶だ。これではもう、超速タックルは使えない……使っても当てることはできないだろう。
激痛は引いてきた――それは多分魔女の回復力のおかげだったけど……傷口はふさがっていない。それどころか、再生が遅い。ぜんぜんぼくの手足がもとに……一瞬で再生していくはずが、その気配がまったくない。
腐らせる攻撃、だから……通常の攻撃とは違うのか。
「まあ――見たまんまの銃ですわな。種も仕掛けもありません。しかし驚いた、かすれば勝てる武器なんですけどねえ」
「…………」
……いや、見ても分からない。
少なくとも見た目は普通の銃に見えるんだが……言いぶりからして、やはりこの銃が……今の現象を引き起こしたのか。
最初にぼくがこいつに突っ込んだ時は少なくとも撃たれていない……しかし、よくよくザオが持っている銃……その銃床を凝視してみれば。わずかに擦れたような跡がある……あの一瞬であそこがぼくの足に当たった、当てられたか……。このザオ、やはり普通の人間とは一線を画した――それなりの、かなりの遣い手であることに相違はなさそうだ。
しかし――、なるほど、銃弾だと腐るのにほとんど時間はかからないが、それ以外の箇所ならば、攻撃されても当たっても、腐り落ちるまでに時間がかかる……それが先ほどのタイムラグ、奴が時間稼ぎのような真似をした理由。
銃弾に当たらなければ、即死はない……もっと言えば、当てられてもぼくがその箇所をすぐに自分で切り落とせば、回復は支障なく……
「おお、すごいですねえ、もう治ってきてますねえ、さすが辺幽……セレオルタ様のお力」
「…………!」
言われて、自身の足……はまだ治っていない、左手を見ると徐々に……通常の再生とは違う感じだけど、根元から徐々にぼくの腕が生えつつあった。今は六分目といったところ。よし、ようやくか……!
「辺幽は面白い力ですよねえ。あ、失敬、魔女様の力を面白がるなど不敬でしたねえ、ですが、素晴らしいものは面白いものだとおれは思っておりまして」
「…………」
「いかに強力な魔物といえど、この銃の攻撃を受けたらそうそう回復なんて出来ないはずなんですが。いやはや創造……何をも作り出す力の辺幽。肉体の再生にも、たとえ魔女様もどきであってもそこは受け継いでいるという」
「…………」
「あ~……と、まあ、そう隠すものでもないのでねえ、申し上げますと、おれの銃は呪い持ちなんですわ」
「…………?」
まだか。まだ治らないのか――、と、気色ばむぼくに言葉を投げかけてくるザオ。や、ぼくの足がまだ再生していないから、会話の続行はこちらとしてもありがたいけれど――
「呪い持ちの、銃?」
気になることをこの男は言った。当然、呪い持ちのことは知識として知っている。実際会ったのは、タミハが初めてだったけれど――、それも、魔女セレオルタの力の強大さのせいで、その呪いは弱まって本来の効力を発揮できないという。だから、その深刻さがいまいちよく分からなかったぼくだったけれど――
「珍しいでしょ? これね、呪いに罹った銃と言うわけですよ。『腐食の呪い』……って呼んでますがねぇ」
「腐食……」
呪い、というものは。
悪意を内包しているという。
悪意とは危害――害意こそがその存在意義である、と。どこかの哲学者が自伝に書いていたっけ――
「呪いは人ではなくモノにもかかる。とはいえ、それは人間よりもさらに低い低いレアケース中のレアケースですが……なんなら、これは勝手な憶測ですが、この銃の制作者はなにかの思いを、悪意をこの銃に込めていたのかもしれませんなあ。それがこの呪いを引き寄せたと。なんて――」
まあ、おれの妄想ですけれども。呪いに人の意思の介在する余地なんてないでしょうし、と。
何がおかしいのか知らないが、かかかかっと目を細めて笑う男――
「…………」
妄想なら最初から言うな、と言いたいところだが。
さて、まだぼくの足は回復していない、もう少しこの話題に乗っかるか――
「へえ、銃。なんとも眉唾ですけど、実際そのような事が起こるなんて……体験させて頂いて信じる気満々になりましたよ」
「でしょう? この銃はね、触れた物撃った物、みな腐らせてしまう。知ってますか? 呪いを解く方法というのは実はとっても限られているんですよお、簡単な方法と難しい方法。ちなみに簡単な方法は、この銃を破壊する事」
人間なら殺す事。と不愉快な笑い方をするザオ。
「もうひとつ――これがとてつもなく難しい。おれはこの銃を愛用しているんで壊すわけにはいかないし……そもそも銃自体に愛着などないから、呪いを解くつもりなんてないんですが。ともあれ、もう一つの方法は――『呪いが求めている何か』を達成する事。呪いを凌駕する、という言い方もしますが。この腐食の呪いが満足する……あるいは、もっとも恐れている何かをしてみせて、呪いを超えてしまえば、その呪いはすっかり消えて溶けてしまうそうです」
「へえ、それは……」
……興味深い。
もしそんな方法があるのなら、タミハの……不幸の呪い。魔女の威容をもってしてさえ根絶には至らない、あの少女にかかった雑音のような呪いも、すっかり消してしまえるかもしれない。
この話を続けるつもりなら……もう少し、聞く価値はある。
「……なんだろうなあ~て、おれ、たまに考えるんですよ。この銃……呪銃(じゅじゅう)とでも名付けますかね」
「うわあセンスない」
「だまらっしゃい」
言って指を振って、
「この呪銃は何を求めているのか。腐食の呪い……なにものをも腐らせる力。代わりに、まともには扱えない、武器としては相当やりづらい道具……と化してまで、こいつは何がしたいのか。なにを求めているのか恐れているのか」
「………………」
「それはね――」
そう――ザオが溜めたと同時、ぼくの足はようやく全快した――また、これでフォーゼンのような最速の――灰色の世界にこれで、入門でき……
「この世の全てを腐したい」
――くさしたい、腐死体、とかですかねえ。と。
なんだかよくわからない、うまくもないことをザオは言って――次の瞬間、
「っな…………!」
「はい、キメますねえ」
ぼくが動くより。ザオのほうが一手早かった――そして、その一手は……
「ま、じ、か…………!」
ずずずず、と。地響きが響き渡る。ぼくがいる建物が……いや違う、この団地全体が……いや、もっと下の地盤まで。
それは腐って腐って、いつの間にか――ぼくとザオが会話しているわずかの時間でそれは完了してしまって――いたようで。
ぼくの視界すべてが崩落する。
すべてが腐って壊れる。
「……ちっ、全然住人いねえじゃねえですか」
「…………!」
たしかに――見渡す限り、居住棟に人影はない。大祭期間だからこその僥倖というか、死者は……少なくともぼくの感覚で探った中においても、ありえないほどの幸運と言えるくらいの奇跡だけれど出ていない――が、
その幸福の反動がまるまるぼくのところに来ているような。
「うっ……」
「ジャンプの次はダイブかあ……魔女様もどきも大変だあ」
ぼくは……ぼくは、落ちている。
高さ六階程度から、今まさに自由落下していた。いくら魔女化が進んでいるとはいえ、紛い物――セレオルタいわく、下の中のぼくだ。空気を殴って移動なんて芸当はできるわけもなく。また、いい的になる――そして、ザオと言えば、他の魔女教徒たちの中にそれを遣えるものがいたのだろう、おそらく風系統の魔法で空にゆっくりと滞空し、その銃口を、今度はぼくの額にぴたりと向けて――
「長話に付き合ってくれてありがとうございましたねえ、そしてさよならですねえ」
「う、あああ…………」
考えろ、考えろ、ここから勝つ方法――とりあえず、手があるんだから、次の一撃、急所の一撃は確実に防ぐとして――
「っ…………!」
そう考えるつかの間、一発目がぼくの――クロスでガードした左腕に命中した。ついさっき回復したばかりなのに、また、こそぎおとされ不能になるぼくの腕――
「う、ううううううううううっ」
さい、あくだ……右腕も、腐食が遷るかのように一緒に腐り落ちていく。直接弾を受けるよりかは緩慢だが、もう、激痛でその直後には感覚がまったくなくなっていて、まったく、本当にまったく動かず――
「ほい、もう一発」
次弾。もう一発が、ガードを下ろされたぼくの額に打ち込まれ――
「あ、がああああああああああ…………」
なかった。
念には念を――魔女を追う者としての心得か。次の、二連装填の弾丸が撃ち抜いたのは、ぼくの両足である。
ぼくは――ぼくの四肢は、途切れた。完全に、形の悪いボールの様に、胴体と頭だけある状態にされて、ぼくは――
「………………!」
腐葉土のようになった地面に、ぽたりと落下した。そして、寸分かからず、ぼくを囲むように魔女教徒と――、ザオが、装填を終えたザオが、ぼくに銃口を向けて――
「なにか、今際の際の言葉があれば。聞きますがあ」
「………………」
圧倒的。圧倒的勝利を収めた男の、ゆがんだ余裕。既視感のある光景だが――かといって、もう、ぼくに、逆転の目は…………
「…………」
「黙っておいでです? ならもう殺すだけですが……」
――そして、引き金を振り絞る音がする。ぼくは、ぼくは、ぼくは、この状況で――
「……思ったんだ」
「……はいい?」
まだ。
「……なんで、呪銃……なんでも、腐らせる銃なんだよな、それって」
「……ええはい、そうですがあ?」
……まだ。
「そう。実際ぼくの手足はこんなふうに腐って、どころか建物も地盤も腐らせて、今やここは立派な空き地だ。荒野だ。そんな風にするくらい強力な呪いなのに……腐らせる呪いなのに……」
「……なのにい?」
あくびをこらえるような口調で続きを促すザオ。あと少しだけ、ぼくの時間稼ぎに――準備に、付き合って欲しいところだ。
「……どうして、」
「…………」
「…………どうして……お前は銃を持てているんだ? なんでお前の手は腐っていかないんだ?」
「…………ほお……」
そう――最初から、違和感があった。
なんでも腐らせる銃。男の恰好。腐食の呪い……最初はそれがなんなのか言語化できなかったけど。
これだけ撃たれて、これだけ腐らしてくれれば、さすがに――その、一つの違和感に行きつく。もっとも、それくらいは――この男にだって予想されたことだっただろうけど。
「それの、おかげだろ?」
男の手にはめられた、その手袋。その手袋は、なぜか腐らない。とてつもなく危険な銃を持っているのに、男の手が腐らないのは――その手袋が、絶縁体の役割をしているからに違いない。
腐食の呪いを防ぐ、絶縁体――
「……例えば、だけど。これはもはや、賭けに近いんだけど……」
「なんですかあ?」
ザオが引き金を振り絞る。もうあと一言しかいう時間はない――、それで、この勝負にはケリがつく――
「すでに腐っているものは、腐らせることが出来ないんじゃないか?」
「せいかいでえす」
ドウン、と火薬の音が鳴った。
――そうか。やっぱり……皮手袋、その手袋は腐っている……なめされてもいない、乾かされてもいない、ゆえに……だったら。
「ほふのはひは!」
「…………!」
銃弾の発射に合わせて、四肢がないぼくが行った攻撃は――土。
腐葉土を口にたっぷりと含んで、それを口内で力を込めて可能な限り凝縮して固めた――そう、それは言うならば土の弾丸だった。
腐葉土の、弾丸。
――たとえば、腐っていないものならば。この銃の弾丸は、あまりに全ての者を腐らせるこの弾丸は、下手をすれば遮蔽物を腐らせながら直進しぼくの頭蓋を貫通していたのかもしれないけれど。
腐っている、この土の弾丸ならば、それは十分、遮蔽物の域を超え、敵を、ザオを殺傷するに足る、魔物における銀の弾丸のような――そんな脅威に、成り果ててくれる。
そのはずだ。
そして――弾けるような音と共に。
互いの弾丸が――もちろん、ぼくが狙いを付けて口内から発射した土の弾丸が、ザオの腐り弾と正面衝突する音と共に。
決着はついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます