決戦(ティサ・ユージュ)2
「……って、普通に置いてけぼりか……! あいつら、状況分かってんのかああああああああああああああ!」
「おい、うるせえぞクソガキャアアアアアアアアア!」
「あっすみません……」
――そして。
結局本を売り損ねたぼくは、一階に降りて――そこには店員たちも警備員も戻ってきていて、代わりにセレオルタとタミハがいない、ぼくに声すらかけず外に出ていったらしき現場に出くわす。
『へへ、旦那~お嬢は空腹とのことで向かいのフララーガ牛丼を食べにいったそうですよ』
『ありがとうございます!』
――そう教えられたので牛丼店に向かうと、そこに彼女たちは当然の様にいなかった。食べるのが早いとか以前に、そもそもこの店に来ていないそう。
完全にふざけている。
いくらぼくが気配――いや、かなり距離が近い。これなら何とか鼻で追えるか――感覚でセレオルタを追跡できるとはいえ、その精度はまだ安定しているとは言い難いのだから、勝手な真似は控えてほしい。
「…………」
冷静に考えなくとも、実にやばい状況ではあるのだ。
ぼくは、セレオルタの力が回復するまでの間、彼女を守らなくては――でないと、人間に戻れないという、そんな笑える事態なのだから。
一塊に行動する事と、報告連絡相談は頼む、と呟きつつ、ぼくは彼女たちを追って、未だ空高きに太陽が居座るミッターフォルン市街地を疾走する。
遠くで呪言を遣ったものだろうか――色とりどりに不規則な動きをする光弾、昼花火が見えた。あちらの方で何か催しごとをやっているらしい。そういえば今日は夕方から二番通りでパレードがあるとかなんとか……
(これは、上から行った方が早いか……!)
と、直線でこれ以上セレオルタを追えなくなった。
ぼくの目のまえには路地の行き止まり、そして建ち並ぶ大規模居住棟……セレオルタはそこをさらに超えたところで立ち止まっているようだった。こんなところには何もない……ここらへんは一般住人しかいないのになにを、と思ったが細かいことはもう気にしない。どうせ行けば分かる。
それには、この居住棟を上から行った方が早い――つまり、大ジャンプしたほうが早いと思った。
「よし……」
かといって目立つのは、誰かに見られるのは面倒なので、ぼくは路地裏に入り思い切り足元に力を込めて――
「…………っ」
跳んだ。最初はなれなかったけど、ようやく――姿勢を安定させたまま、行きたい方向に過不足なく跳べるようになってきた。
それは人間離れしていて――だから、あんまり歓迎するべきことではなかったけど――こういうのは便利だな、と。
「…………え」
と、着地するまで考えつつ。
時間にして五秒もなかっただろう、一旦居住棟――高さでいえば六階建てくらいか。その屋上を中継地にしようと着地したところで、
「な、ん…………」
ぼくの、
ぼくの目の前には、それは完全に不意打ちでしかなく――、
「よーし、かかってくださいねえ」
視界一杯を埋め尽くす黒ずくめの――黒装束の男たち、あえて言うまでもないくらい分かりやすい恰好をした魔女教の刺客たちが襲い掛かってくるところだった。
大小さまざまな凶器を以て。
――ぼくを殺すために。
「う、おおおおおおおおおおおおお」
「お、あれを避けますかー」
「あ、っぶ、ないだろ、があああああああああああああああ」
「そんで、なるほど。この威力、恐れ入りますねえ」
「ッ…………」
――そして避け際、ぼくが放ったパンチが、がむしゃらに振った腕が魔女教の一人を捉えた。それはかすっただけという感触だったけど――
どぼん、というまるで水面に何かが落ちたみたいな音がして、その一人に巻き込まれた数人の魔女教徒も吹っ飛ばして――何人かは向かいの棟の壁にめりこんで、はたまた何人かはそのまま窓をぶちやぶって住人の部屋に突っ込んでいった。
「やっば……」
死んで――死んでないよな? やりすぎた、か――
「……ダメですね、はいはいみなさん代わってくださーい、おれがやりまーす。この魔女様もどきはおれが粛正しまーす」
「――」
――そして、パンパンと手を叩いて。わざとらしく、もったいぶったという感じで……さっきの攻防の最中から茶々を、セリフを差し込んできていた声の主――が、他の魔女教徒をかき分けて姿を現す。
今、ぼくは四棟――同じような高さの集合住宅が並ぶ一帯の一番、セレオルタたちとは反対側の棟屋上で、十数人の魔女教徒と、そしてこの――男。
黒装束を着こなしてはいるが、フードを被ってはおらず顔を出している……そしてその顔には奇妙な、入れ墨――
「どうぞよろしくお願いしますねえ。魔女もどき、今どんな気分ですかあ?」
「…………」
11本。11本の縦線の入れ墨が顔を、上から下へと並んでいる……あとは短い緑髪に青い瞳……とくに珍しくもない、この国ではよく見かけるような平均的な容姿の、そんな壮年の男が微笑みながらこちらを見ていた。
男はくすんだ革手袋をはめ、そしてその右手には……ずいぶん古い型の銃が握られている。二連射……いや、だが飛び道具……それも銃。まずいな……
「ぼくと戦わないほうがいい。痛い目を見る事になる……」
「ほーう。どっちがですかあ」
……間を持たせる……というかぼくが時間稼ぎするための言葉にけらけらと笑って。
そのディテールから、いかにも……おそらく魔女教の幹部なのだろうと推定される男は、
「おれはファイク・ザオ。魔女様もどきは名乗らなくいいですよお」
「ロンジ・ヨワタリ……ってごめん名乗りましたね」
「ほほほう……で、ま……分かってると思いますが――」
「…………」
男はゆっくりと首を後ろに振り、
「今ロンジ氏のお仲間をおれのお仲間が追ってるわけですわ。なかなかの逃げ足だが、まあ、こっちはプロなので――熱心な信者ですんで、そんなに捕まえるのに時間はかからないで、しょう」
「……………………」
「セレオルタ様は丁重にお迎えします。トルレラ様の名に懸けて――他の二人は粛正します。おれ個人の名に懸けて――」
「…………っ」
こ、いつ……いや、分かっている。これは挑発……ぼくの頭に血を上らせるための。腕力で遥かに勝るぼくにこの男……ザオが必勝するための、口術。
「…………」
正直、焦ってはいるが、相手は銃を持っている。あれで頭を撃ち抜かれたら、おそらくぼくは死ぬ――だから、あれよりも早く、速く疾く、圧倒的な――
「女二人ですからなあ。おれの部下が妙なことをするかもしれませんが――許してくださいね? なんつってですねえ」
「……」
分かってはいた。恐れてはいた。
ぼくが最初に倒した魔女狩りは、あくまで、まともな――どちらかといえば、公正な見方をすれば、光の側の人間だということ。
彼らの標的は魔女であって、そして憎しむ対象は魔女である。
世界の敵である魔女。
本来的に、ゆえに魔女狩りが人間に危害を加える事は――ない。なぜなら魔女の敵は人の味方だから。
だから、こんな卑劣なやり方をすることは――魔女狩りに限ってはない。魔女狩りはそもそも正義の組織なのだ。
――しかし、魔女教は、違う。
魔女教は、世界の敵の味方。ゆえにほとんどの人間の敵と言って差し支えない。こいつらは、闇……闇側、言うなれば、ぼくと同じ――
「ところで、ロンジ氏。これは興味本位の質問なんですが……」
「!」
ザオがそう言って、ぼくの方に向けていた銃口を逸らし――わずかに逸らし、口角を上げた。それは、ほんのわずかなものだったけど――十分だ、奴がわずかに腕を傾けるよりも、速く……今、渾身の力で地面を、足の力を溜めているぼくの方が、奴に接近するのが早い。
――不意打ちでないなら、早々負けない。いまやぼくの身体能力は、感覚はそれほどに魔女化しつつあった、そんな自覚と共に、ぼくとザオの距離は、おおよそ15メートル。
「---」
――瞬間、世界の色が変わる。
色を失うのではなく、色が切り替わる。
「ッッッ…………」
――ところで、これは余談だが。
『老雷のフォーゼン』の出身国は確かここ、このレドワナ共和国、だったっけ。
かの英雄『蒼き雲海のボンボルト』の師としても知られ、自身は前時代最高峰の呪言遣いの一人と謳われた、大戦において盲魔をも打倒した――人の身にして、規格外の伝説を持つに至ってしまった、そんな老人。
――彼が最も得意とした呪言、それは天候現象……雷、風のようなものを利用して超速の移動を可能にする、そんな代物だったことはあまりに有名だが、実のところ、それが体感としてどんなものだったかは世間にはまったく知られていない。
つまり、そんな並外れた速度の中を人間が動くという事、その意味。
ぼくだって、たまたま歴史研究の本で紹介されていた彼の言葉――その一説がふと目に留まっただけで、それが印象に残っていただけだったが……とにかく、人はとんでもない速度の中に突入すると。
体感として、〝すべてが灰色〟に視えるらしい。
あらゆる色が混ざり合うと黒でも白でもなく、世界は灰色に染まるそうだ――
それが、光速とは言わないまでも、一線を越えた速度に突入した、そんな人間の目に見える景色。
「う、お…………」
それが、見えた。
それはとても短い時間だったけど、確かにぼくの視界は、すべての景色が一瞬掻き消えて、何も見えない――辺り、視界一面が、灰色に染まるのを知覚して――
「…………あっぶねえですねえ、おいおい」
「…………か、うわ!」
ぎゅきい、と。信じられない音が直後鳴る。ぼくが慌ててブレーキを踏んだ音……
ぼくの攻撃は外れた……外された。どちらか判然としないが、ぼくの超速タックルはザオにあたることなく、ぼくは一気に、一足跳びに、一瞬以下の時間で移動して、落ちそうになるのを慌てて反射的に足を地面に突き刺すような勢いで削って、なんとか落下を防いだ。
「…………」
攻撃を外した上に、自分だけ落ちるなんて相当間抜けな絵面だ。というのもあったけど――思わず、人間としての本能……反射で、こんな高いところから落ちようとすると、体が膠着、踏ん張ってしまう。
やはり、まだ魔女化……肉体は相当それに適応してきていても、精神は、メンタルの部分は馴染んでいくのに時間がかかるようだった。
自分の身体能力を完全に使いこなせていない。もっとも、馴染んでも困るんだけど――なれるのが、一番怖い。
「おいおいロンジ氏、ふざけんなよお……。今ので終わってたらどうするつもりだったんですかあ」
「く……」
――そして当然と言うべきか。今度はもう、ザオに隙はなくなってしまっている。その銃口は、引き金はぎりぎりまで絞られていてぼくの方を向いている。まずいな。弾丸……弾丸を見てから避ける……そんな、自分の時間間隔に介入するほどには、たぶんぼくは研ぎ澄まされていない――
「――さっき聞こうと思った事なんですけどねえ、どんな気分です?」
「…………?」
「その魔女様のお力が宿った体……やっぱりいい気分なんですかねぇ」
「……別に」
いい気分では、ない。
どちらかといえば、この力を手に入れてから爽快なことより嫌なことが多い。そんな嫌なことを今まさに味合わされているわけで――
「まあ、魔女様の力なんて恐れ多くておれはいらないんですけどねえ。ただ、魔女教徒でもない不届きものにそんな力が渡るのは、それは良くない……トルレラ様もお喜びにはならないでしょう……」
「正直、欲しいならあげたいです。それが出来ないから困ってるんですが……あ、こういう考え方がもう不届きものっていう……」
「はっ」
ぼくの返答に男は銃を向けたまま失笑して、
「そいつは――そう、その通り。じゃあ、もういいですかねえ……」
「……! な……」
――すると、信じられないことを。
ザオは、これ見よがしに銃を――自身の銃を下に向けて、肩の力を緩めた。それは、まるで戦闘解除の仕草のように――
「な、にを……」
――正直、動揺する。今、一刻も早く攻撃しなくてはならないのに――ぼくの中で、その意図を……本当に戦いを止めるつもりか、それとも……何か意図があるのか。この男が次に何を言おうとしてるのか。それが気になって、一瞬せめぎ合う。
どちらを優先したほうが賢いか――当然、即打倒。
「っ…………」
ぼくがそう決断したのに、それでも、一秒はかからなかったと思う。ただ、その時間は、ぼくにとって、どうしようもなく致命的で――失策だったことに、気づく。
「…………」
――『老雷のフォーゼン』。
彼は……魔物ではない人間の彼が、その灰色の景色の中で、あまりにも速く動いて、数々の魔物を打ち倒すに至った――その逸話剛話はあまりにも有名なところではあるが。
実際、超速で動き回る彼は、どうやって相手の姿を――この、速すぎて敵の姿どころか、建造物造形物……天と地すらあやふやな光景の中でいかに的確に動き、相手を倒したのか。
それは――おそらく、それに際して、光に干渉する魔法を使用していたのだろう、と刹那の時にぼくは思う。
光系統の呪言を使いこなすことにより、その景色の中に正しい映像を映し出し、それこそが、彼の速さと正確さ、その攻撃力を成立させた――それに対して。
ぼくには、今のぼくにはそれすらも必要なかった。
なにせ――魔女の目が、あるから。
この灰色の景色の中で集中すれば、景色は徐々に曖昧ではなく確かな実像を取り、その動体視力は、きちんとした修練を積めば、疑似的に――呪言を遣えないぼくでも、似たような動きを可能にするだろう。
ただその身体能力と視力のみで。
かのフォーゼンに匹敵……それに近い世界に入門すると言うのは、まったく、魔女と言うのは……
魔女教や魔女狩りも含めて、どれほど業が深いのだ、と。
「--」
その事態が起こるまでに。ぼくの悪癖で、出発点も終着地もない思考を瞬刻展開してしまう程度の時間を経て。
「いっ…………」
「はい、おしまいです」
――ぼくの、足が落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます