9話 「それ、大人の思春期というヤツかい?」
「そうか……ロンジ君は故郷で待つ妹の為にこの地へ……熱い男だな。確かにそれは無職ではない、立派な行商人だ」
「はは、ですかね?」
「ですだとも。売れるといいな、その数冊の希少本――うち一冊『英雄ラログリッドのぼうけん』だったかい? ……この国では法に触れるそうだが、しかし魑魅魍魎はびこる商いの街ミッターフォルン。さらには大祭期間中となれば、そんなものを売れる場所も――あるいはあるかもしれない」
「まあ、多少買い叩かれてもいいんですけどね。売買が成立さえすれば。最初はチンピラに盗られかけましたから、それに比べたら――」
「どうせなら一獲千金を狙うべきだよ! 私もこの国の人間ではないから案内は出来ないが……いい店を見つけるまで付き合おう!」
「そりゃあ悪いですよ」
「遠慮するな若者が! おばさんにお節介させておくれ! あはははは!」
「……まだ酔ってんのかなこの人……」
――そうして一夜明け。
快活なユクシーさんの笑い声が青空に響き渡る。
ぼくたち一行は今日――空はいよいよ高くなる大祭三日目も懲りることなく、街の中心街、大通りを大手を振って歩いていた。
こういう目抜き通りとなると、魔物や呪い持ち――セレオルタと「不幸の呪い」を持つタミハには都合の悪い宗教的商品が、それを取り扱う店がちらほらと出てきて、教会なんかが建っていることもあり、はっきり言ってまともに歩くことも本来は憚れるはずではあったが。
かういうぼくも、半分魔物なんだから……と最初はビクビクしていたんだけど、今となってはそれは杞憂だということがよく分かった。
例えば今すれ違った銅製の鎖を首にかけた老人……あれはレサニア教徒で、鎖は宗教的なものにも関わらず、それを直視したぼくに体の異常はない。それは前を歩く少女――タミハも同様である。
おそらく、これは魔女の影響……あまりにも規格外の存在である魔物の女王が近くにいて、その影響下にあるからこそ、ぼくたちは宗教の影響を受けずに辺りを闊歩することが出来る……なんとも、自分がこんな騒動と無関係の一般人だったなら顔をしかめるような、ぞっとしない話だ。
そんな力の渦の出どころが今はあんなに無力そうな……まあ、見た目はいいとこのお嬢さんにしか見えない存在になっているなんて……この世の誰が思うだろうか。
……これもまた、自分が無関係ならば苦笑するしかない話と言うか――
「しかし……最初は君の妹とはタミハちゃんのことかと思ったぞ」
「……え?」
ふっ、と鼻を鳴らしてユクシーさんは自分の髪と目を指さして、
「髪色と瞳の色。君たちは同じじゃないか」
「…………」
――確かに、ユクシーさんの言う通り、ぼくは……ぼくも、黒髪と黒目。どうも、世界においては黒髪黒目というのは中々珍しい存在らしい。
だから、ぼくとタミハは、多少年齢が離れているとはいえ、一緒に歩いていれば親子……には見られない、どちらかといえば兄妹に見られることもあるかもしれない程度には、ぱっと見の雰囲気は似ていた。
「そういえばそうですね。合縁奇縁というか、奇遇と言うか偶然の一致というか……」
「はは、まるで今気づいたような口ぶりだな。それか、あえて気にしなかったというか」
「や、そもそもあの子たちとの出会いが衝撃的だったので、それどころではなかったんですよ」
言って前を見やる。
十歩ほど先をセレオルタとタミハが楽しそうにしている。タミハがからかって、セレオルタがくすぐり返している。この距離から見ると、精神年齢は全く同じだな……彼女たちの方こそ、姉妹に見えなくもない。
「――私も妹がいるんだよ。義理だが五歳年下でね。とっても優秀なんだが礼儀正しすぎるのが玉に瑕……よそよそしいというか、どうも私は距離を置かれている気がする」
「それは……」
分かる気はするな。
ぼく的にはユクシーさんは絡みやすい方だけど、正直この人、キャラが立ちすぎているというか、クセが強い。あとグイグイ来る……例えばダウナーな人や内向きなタイプは、この手の人は苦手かもしれない。
ユクシーさんの妹がどんな人かにもよる……というか、
「そういえばユクシーさんって何歳なんですか?」
「私か? 28歳だが」
「…………」
なんだ、この人。
やたら自分をおばさんだと言うから……なんか落ち着いているというか、一緒にいてどっしりした安心感もあるから、かなり若く見える30後半くらいかと思ったら、普通に年相応の見た目だった。ぼくとそう変わらない年齢だった。
それなら、その年でおばさんを自称するのはやめて欲しい。ぼくもおじさんに差し掛かってしまう。
「つまり、ユクシーさんの義妹は25歳ですか。難しい年齢……女性にとっては特になんとも言えない年齢なのかもしれませんね、そこらは」
「それ、大人の思春期というヤツかい?」
「その説は濃厚です」
「厄介だな、まったく――!」
なんて、適当な会話をしつつ、自称おばさんこと、まだ何とかお姉さんと言えなくもないユクシーさんとぼくはセレオルタたちを見失わない様に歩調を速める。
ちょっと、祭りではしゃぐのは分かるが、歩くのが早い。もっとそばにいるように言うか――なんて、そんな風にいつの間にか保護者みたいな思考回路をぼくが持ってしまったところで、
「わわっ!」
「おっと」
どんっ、と。
――前を走ってきた子供と勢いよくぶつかってしまった。
ぼくの胸くらいの高さもない、タミハと同じくらいの年齢の――というか、ぼくの前を歩いているタミハがぼくのほうにぶつかってきた……タミハ、分裂したのか。なんて。
「ぷ。ぷあっご、ごめんなさい!」
「あ、いや大丈夫……ってかそっちこそ怪我は……」
「ないよ! これはこれはご親切に――」
どうも、とスカートの端をつまんで、おそらく焦っている、何か用があって急いでいるらしき様子なのに丁寧にお辞儀をしてくる少女。
「…………」
そう――、一瞬ぼくが空目してしまったのも無理はない。彼女もまた、黒髪で黒目を持った少女だった。おまけに背格好もタミハと似ているから、これは普通に見間違う。
「あ、あのあの、もののついでといいますかっ」
「ん?」
――少女は焦ったまま辺りを見回して、そしてぼくの顔をじっと見て、
「おにーさんも黒髪黒目……お揃いですけども!」
「ああ、いやぼくもそう思ってたとこで――」
「同じく黒髪黒目のおじ……お兄さんを見ませんでした⁉ 店の前で待っててって言ったのに勝手にどっか行っちゃって……おにーさんより一回りくらいの年上の、ちょっと目がいい意味で濁ってる感じの!」
「…………」
いい意味で濁ってるって、どんな濁り方だろう。
「いや、ごめん見てないな……」
「そうですか……もーう! またお兄さんはふらふら自由と書いてホンポーと読む……! ううう、私に音を拡大する呪言が使えたら……『ぴんぽんぱんぽん迷子のお知らせでーす。ウェオンからお越しの~』って恥ずかしい思いをさせてあげるのに~!」
「お、おおう……」
まったくお兄さんは……と、キョロキョロ怒っているのか困っているのか、なんともいえない表情で地団太を踏む少女。
どうも、よっぽどそのお兄さんとやらに苦労しているらしい。
ぼくより一回り年上というから、けっこういい歳……というか、この少女とはだいぶ年齢が離れているのに、こんな心配をされるということは、なかなかの破天荒というか……これまたクセが強そうな人物像を勝手に想像して、ふ、と思わず口元が緩む。
しかし、傍から見る分には微笑ましいが、実際問題今のレドワナはものすごい数の人間がひしめき合っているカオス地帯だ。一度はぐれてしまうと、もう一度再会できる確率は……最初に待ち合わせ場所でも決めておかない限り、かなり厳しい気がする。
この少女の口ぶりだと、どうやらくだんのお兄さんは同じ店に戻って待つとか気の利いたことをしてくれるわけでもなさそうだし――いくら黒髪黒目が珍しいとはいえ、これだけの人口の中では――
「ってあああああああ、いたああああああああああああああああ!」
「っているんかい!」
突如明後日の方向を指さして少女が叫んだ。
ぶっちゃけ見つからないだろうな……この子をどこか案内所にでも連れていくか、と思う前に超速で見つかってしまった。
思わず突っ込んでしまった。普段全然無口なぼくなんだけど、この国に来てからはやたら大声を上げる機会に恵まれている気がする。
「あ、ありがとうございました! おにーさん! 祭り楽しもうね!」
「え? あ、うん!」
――そう言って、ぼくは何もしてないけど、またやけに丁寧なあいさつをして去っていく少女。その先には、紺色のマントを羽織った、確かにぼくより一回りくらい年上の、黒髪黒目の男が両手を合わせて立っている。
すまんすまん、とあまり反省してない感じで少女に謝って、それに対し少女はぷりぷりぽすぽすと男の腹を殴っている。
「!」
――と。少女のほうがぼくの方を指さしたかと思うと、男もぼくのほうに視線を向けて、軽く会釈してきた。
なのでぼくも愛想笑いとぺこぺこ頭を下げておく。
とくに何もしてないけど、世話になった的なことを少女が言ったらしい。律儀な子だな……うちの魔女とは大違いだ。
二人は親子……という感じでもない。本当の兄妹? それとも親戚同士だろうか。でも、なんとなく安定感と言うか、互いの勝手知ったるあの雰囲気は、これまで長旅を共にしてきたかのような感じさえする。
……もしかしたら、ぼくとぼくの妹も、周りから見ればあんな感じに見えていたか。
「…………」
しかし、面白いな、レドワナ大祭。
黒髪黒目と当たり前のようにエンカウントするし、お兄さんとかいう男は少女の尻に敷かれているようだし……
「――」
と、立ち去っていく少女と男(少女は見えなくなるまでぼくに手を振っていた。ぼくも振り返しておいた)が完全に視界から消えたところで、
「どうしたんだい手なんか振って。もぐもぐ」
「ってユクシーさん……」
さっきから嫌に静かだと思ったらユクシーさんはいつの間にか脇の露店でゾルコアイス……と横断幕が出ている、この国のものではない、異国のデザートだろう。そいつを買って十段重ねにしていて食べていた。
ぼくと少女と男の黒髪黒目のちょっとほっとするような街の一幕はこの人の目にはまったく入っていなかったらしい。
「しかし、うわ、すごいな……」
と、ユクシーさんの肩越しにそのゾルコアイス……の店の方をなんとなく見やると面白そうなことをしている。
店員がアイスを客に渡すと見せかけて渡さない、無理に取ろうとしても呪言を遣って巧みにかわされてしまう……あ、今も風魔法で宙にまったアイスを後ろ手でキャッチしている――そんな、気の長い人間か赤ん坊なら喜びそうなアトラクションが展開されていた。
「大祭はいいな、ロンジ君。これが異文化交流の正しい形だな。美味しいところだけ頂く。……あ、コーンの部分食べてくれないかい?」
「アイスだけ食って下のところ渡されちゃった!」
……この人、子供か!
……ってか、食べるの早いな! 十段もあったのにもうゼロだ!
いや、確かに……アイスがメインでここはオマケだけれど。まったく、どうやらユクシーさんは飽食の国からお越しなさった人らしい。ぼくは結構ひもじい思いをしてきている人間なので、捨てるくらいなら残り物のコーンも頂くけども。
「……ん?」
「どうしました。もぐもぐ……」
と、アイスを堪能したという感じのユクシーさんが先ほどの……黒髪黒目の二人が歩いていった方向を見て、
「いや、懐かしい匂いがしたような……ま、気のせいか。世界の広さを考えたら、あの面白い彼と偶然この国この街この一画で遭遇する確率より、たまたま似た匂いが町中でしただけ……という風なほうが随分可能性は高いしね」
「…………?」
「いやはや、もし彼が来ているなら是非とも見てもらいたいものだが……」
「なにをですか? ごく……」
と、ぼくがコーンを飲み下している間よく分からない事を言っているユクシーさん。
「…………っというか」
すっかり忘れていた! 色々あって忘れていたけど、あの二人……セレオルタとタミハはどこに行った!
完全に失念していた、ぼくが自分で言ったんじゃないか、一度はぐれたら会えないって……いやでも、ぼくの感覚はかなり効くから集中すれば――
「あそこにいるじゃないか」
そう一瞬だけ焦ったところで、気の抜けたような声でユクシーさんが指さした先には、
「このっ、このっよこせ、このおおおおおおおおおおお! うわああああああああああああ」
「あはははは、セレッタ、全然取れないじゃないの! わたし、見てるだけでお腹一杯よ!」
「ぐぬうううううううううううううううう、や、あああああああ……」
――ユクシーさんの買ったゾルコアイス屋の反対側……競合するように展開しているこれまたゾルコアイス屋で、どうしてもアイスが取れず半泣きになっているセレオルタがいた。
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