1話 「ぜえっぜえっ……」





 レドワナ共和国――

 世界二位の商業都市『ミッターフォルン』を有するこの国では、年に一度『大祭』が開かれ、世界中から多様な背景を持つ商人たちが集まってくる。


 食物、絵画、建築技術、物珍しい武具、あるいは呪言のろこと………それが実体あるものであれ情報であれ、大祭期間中に取引される金額は小国の国家予算にも匹敵すると言われ――


 この世のありとあらゆるものをごった返した大市場は絢爛華麗混沌を極め。

 連日連夜開かれる催し物の数々は、人類繁栄の象徴ともいえるほどの賑わいを見せる。


 正直なところ、本書ではその魅力の一分一厘ほども伝えきれていないと著者の私は思っているが……

 ほんの少しでもあの場所の空気を感じてもらえれば、期待を募らせてもらえればそれに勝る喜びはない。



                  『レドワナ大祭滞在記』 序文より抜粋――





















「――ってオオオオオオオイイイイイ!」

「あっちに行ったぞ!」

「ぜってえに逃がすな! 地の果てまで追いつめて殺せええええええ!」

「ってオイイ…………」


 ――いや、なんでこんなことになったんだろう。

 ぼくはただ、安酒があるよって言われて着いていっただけなのに――なにをどうしたらこんなことになるんだろう。


 ぼくは。

 疾走する。

 ってオイイ、と誰に向けたかも分からない独り言――をつぶやきながらぼくは疾走する。


「ぜえっぜえっ……」


 いや、疾走というには足がもつれて息も絶え絶えで、あまりにも情けない走り方だったけど――ともあれ、ぼくは全力で疾走する

 だって、捕まったら痛い目に合わされる。


「もう許さねえ……さっきのガキ、見つけたら沈める」

「どうやって死なせてやろうかなあ……今から楽しみだぞ~」

「…………」


 あ、これ痛い目どころじゃないな。

 ぼくは――ぼくは、走って転がり込んだ路地裏の隅、その勢いのままゴミ箱に全力で突っ込んだ。なんとか息を鎮めるために腹式呼吸を――音を立てない様に何度か死ぬ気で繰り返し、心も落ち着かせる。


(落ち着け……落ち着け、とりあえずここでやり過ごして……そしたら、もう帰ろう。急いでこの国出ていこう。もうこれダメだ明らかに……!)


 昨日だ。昨日の深夜にここ――レドワナ共和国でもトップクラスに賑わうヴョール三番街通りに到着して安宿を取ろうと思ったら一番グレードの低い宿でも半端でなく高いことが判明して野宿でもしようと辺りをウロウロしようとした――くらいまでは良かった。

 長旅でへろへろに疲れていたけど、なんたって明日からはレドワナ大祭が始まる。

 この大陸全土で知らない者はいないだろう、あの大祭。


 なんでも帝国の王族がお忍びで来た時に、遊び心で金銀財宝をどこかの建物の下に埋めて隠した――とか、

 ある無名の画家が自分の作品がまったく売れなくて苛立っていたところ、そこらへんの老人を暇つぶしに描いてみたらその老人がいたくその絵を気に入って何世代も遊んで暮らせる値で買い取った――、その老人の正体は世界五位の総資産を誇る『レライル商会』の会頭だった――とか、

 この街――ミッターフォルンの最奥にある聖大樹の下には沢山の死体が埋まっているとか、

 大祭の目玉、街の中央闘技場で行われる武術大会とそのフィナーレで行われる御前試合――今年は剣境が招聘されているらしい、とか。


 とにかく明らかに楽しそうじゃんそれ、っていうラインナップが揃い過ぎているのがこの世にも稀な馬鹿騒ぎ、レドワナ大祭なわけだけれど……

 ぼくはウキウキだった。最初はそりゃ楽しかった。

 というか、ついさっきまではそんなテンションで街を練り歩いて、今ぼくが抱えているこの『何冊かの本』も、然るべき場で売ればかなりのお金になるだろうから――そんなあぶく銭で適当に遊んだら、あとは故郷に帰ってまたその日暮らしでもしようか、なんて。そんな夢想を描いていたのに、あそこで立ち止まったのが運の尽きだった。


『ねえーんそこのイケメンのお兄さあん』

『……イケメンってぼくのことですか?』


 すべて、あそこで振り向いたぼくが悪い。めちゃくちゃ怪しかったのに。あのお姉さんは明らかに怪しすぎたのに、なんというか、その、服装が……はだけた服からちらっと見える、その肌色の部分が……そのふくよかさが、ちょっとばかり……ぼくには反則すぎたかから。ふらふらと付いていってしまったのだ。

 ああ、もう有り体にいえばぼくに女性経験がなさすぎたのが悪い!

 明らかにカタギじゃなさそうなお姉さんだったのに、胸の部分はふくよかだし、後ろを歩いている時もずっといい匂いがしていたし……

 それで、あれよあれよと裏道の酒場なのか何なのか、狭苦しい店でフララーガ酒……という度数の低いお酒を飲まされたところで。

 お酒は美味しかったけど、たった一杯だ。それを飲んだところで彼らの態度が豹変した。そして、現在に至る。


 つまり、あまりのボッタクリ価格に、ぼくが即座にノドに突っ込んで吐しゃ物を店内にまき散らしたところで――(もちろん、それで酒を返したなんて言うつもりはない。あくまで相手にげろをかけて逃げようとしただけだ)それがさらに彼らの逆上を誘い、追いかけられて……今、まさに殺されそうな事態に至る。


「はあ……はあ、どっちに行きやがったあのゴミガキ」

「あのゲロガキは絶対に殺せ!」

「……」


 うん、ぼくのすぐ近くで男たちの荒い声音が聞こえる。

 しかし、さすがにぼくがこんな汚いゴミ溜めに身を隠しているとは思わないだろう……なんとしてもこのままやり過ごす。

「……」

 しかし、ガキといってもぼくは立派に成人しているいい大人なんだけど、さっきからゲロガキだのクソガキだの酷い言いようだ。まあ、精神は数年前から成長していない気もするけれど……

「身ぐるみは剥げ。あいつが抱えていた袋も……」

「…………」

 ああ、もうすでにぼくを捕まえた気でいるようだ。気が早いというか、ずいぶん自信があるというか。

 しかし、ここら辺は彼らの本拠地たる裏道からまだそれほど離れていないから、ここから出る時はかなり気を付けていかないといけないな。辺りに気を配りつつ……ちょっと、変装でも出来るならした方がいいかもしれない。

 どうしようか……と思ったところで、ごみの中にちょうどいいモップを見つけたのでそれを被ってみる。


「……おぐっ」


 なんだこのモップ、めちゃくちゃ臭くて思わず呻いてしまった。なんだ、何を拭いたモップなんだこれは――


「!」


 そんなことを思ったところで。その瞬間、辺りが少しだけ明るくなった気がした。今の時間は午後に差し掛かるところだから、この路地裏にも太陽光が入ってきたかな――とふと上を見たところで。


「……久しぶり」

「……ちわ~」


 いかつい入れ墨を顔いっぱいにした男と目が合う。うん、どう見てもさっき店内で用心棒的な仕事をしていた人だ。

 何やってんだこの人、こんなゴミ箱なんか開けて。

 ……本当になにしてくれたんだ。


「ちがっ……ちがうんです、人違いです。マジで……たす、たす……」

「まだ何もいってねえだろうが。とりあえず、さっさと出ろ」

 そのままぼくは物凄い力で引っ張り上げられ、そして路上に転がされる。

「おーいお前ら見つけたぞお! さーて、とりあえずぴくりとでも動いたら適当に骨折るからな?」

「…………っ」

 え、やばい、これはまずい。どたどたと幾つかの足音がこっちに近づいてくる。これ、何気に死ぬ奴じゃないか? 男は腰の後ろから無骨な短刀を取り出していて、ちょっとリンチをして済まされるような空気じゃない……気のせいじゃなければ、このままここで解体が行われる雰囲気だ。


「ってかお前くせえなオイ! 何被ってんだ!」

「すみません!」


 頭にかぶっていたモップを蹴とばされる。ちょっとつま先が頭頂部にかすったみたいで、軽く意識が飛びそうになる。やべえ、地味に痛い。


「おーおーきたねえゲロガキ発見」

「とりあえず剥くか」

「皮膚を? 服を?」

「両方」

「あららーんイケメンの坊や、よく見たらフツメンくらいだったわねえ」

「…………っ」


 瞬く間にたくさん裏道のメンバーたちが集まってきた。中にはぼくをこんな状況に引きずり込んだエッチなお姉さんも。

 彼女がぼくを見る目は哀れみ……養鶏場のニワトリを見るような目ではなく、海藻か何かを見る時みたいに……つまり、感情がない。怖い。

「たす、たす……」

 歯が鳴る。まともに喋れない。うそだろ、冗談抜きで死ぬ奴なのかこれは……ぼく、そんなに悪い事したっけ……?

「それ」

「あっ……」

 ぼくが背負っていた荷物が強引に引っ剥がされる。ぶちぶちと音を立てて肩紐がちぎれた。


「中は……金はほとんど入ってねえぞこいつ。あとは……本か」

「どれ、見せてみろ……かなり古い本だな、これは売れるかもしれねえ」

「しょっぺえな……」

「ちょ……それ、は……ぐっ」


 口を開きかけたぼくの頭に足が乗せられる。軽く乗せられた感じだったのに、ぼくは顎を思い切り地面に打ち付けて思わず悶絶する。下あごが……ひびくらいは入ったかもしれない。


「こいつの持ち物糞過ぎだろ。古本だけとか……なんでここにきてんだこいつ」

「…………っ」


 いや……何をしにきたかと言われれば。その本を売りに来たんだけど……それを、盗まれるのはダメだ。

 そんなことは想定していない。お金の問題じゃなくて……売るのじゃなくて盗まれるのは、それは捨てるのと一緒だから。

 ぼくが、ぼくの意思で誰かの手に渡さないと……


「さーて、どう責任を取ってもらおうかなあ」

「…………」


 ひゅんひゅんと。

 強烈な入れ墨の男が手のひらで短刀を器用に回転させる。どうしようと言いつつ、どうするつもりなのかはもう決まっているように見えるのだけど……さて。

 ぼくの思考は思いのほか冷えている……落ち着いていると言っていいかもしれないけど、それは多分現実逃避と言うか心の防衛機構で。

 ぼくの体の方は体温が下がって、めちゃくちゃ震えているから、もうこれは、確定的に詰んでいるようだった。

 本能が生命の危機を告げている。これはあと数分くらいで死ぬ奴だ、と。


(まいったな……)


 空が高い。

 ぽんぽんと、どこからか空砲の音が聞こえてきて、これから本格的に始まる祭り……五日間に渡って行われるレドワナ大祭を祝いまくっているというのに、ぼくはと言えば、体中汚いゴミとゲロにまみれながら、こんな路地裏の角っこに転がされて、まな板の上のお魚だ。

 これが資本主義、格差社会というやつか……、いや、それを言うならぼくを始末しようとしている彼らだって社会の犠牲者かもしれない――なんて、そんなことを思って、いよいよ口角を上げた入れ墨の男の短刀が、勢いよく振り上げられて、ぼくの足をブツ切りにようとした時だった。

 まさに、刹那という感じだ。

 もしヒーローというものが……正義の味方が、英雄というものが本当にこの世界にいてくれたとして。

 いるとするなら、まさにこのタイミングで現れるに違いない、というそんな絶妙な瞬間。

 しかし――


「うがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

「きゃあああああああああああああああああああああああああ」

「――」


 現れたのは、きっとそんな清廉なものじゃなくて。


 この世にそんな都合のいいものはそうそう現れれてくれるはずはなくて、それは清濁併せ持つ――少なくとも、ぼくの第一印象としてはそんな感じの代物だった。

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