第三部 辺幽の魔女
人子
イントロダクション
魔女(まじょ)
1 魔物の女王。現在確認されている十一体の魔物の総称。
2 悪事を犯した女性や性悪な女性。特に、
【オグルド市国文化庁編纂 世界単語大辞典】
「ようやーく慣れてきたかしら!」
うーん、と伸びをする。
今日の予定は小さな畑で農耕開拓。三週間前に植えたビンジンとライコンの種がようやく発芽してきたみたい……なので、今日の気分はウキウキよ!
「天気もいいし!」
近くに川がないから水を汲んでくるのは大変だけど……
毎朝頑張った甲斐があったわ。このまま元気に育ってくれたら……ごはんにおかずが加わるわ! そこらへんの雑草で飢えをしのぐ生活とはおさらばよ!
この勢いにのって、もうちょっと贅沢したいわね……ということで、この畑の横あたりを耕してー……森で拾ってきたこのよくわからない果物の種を植えるのが今日やることかしら。
「うんうん!」
わたしが振り返ると、そこは広大な草原と遠くに森と川。目の前には大草原の小さな家と、今わたしが立っているこの小さな畑……
最初はどうなることかと思ったけれど。
村から出なきゃいけなくなった時は正直、不安しかなかったけれど……、これはようやく生活基盤が整ってきたんじゃないかしら!
どうにかなりそう。晴耕雨読できそう……。
「それにしても、一人で生きる大変さよねえ」
ほっと、ようやく一息つけそうなところで、改めてわたしは今更なことを一人ごちる。
今までお母さんとお父さんと……家族と村の人たち……みんなに支えられて生きてきたけれど、それを普通のこととして受け入れてきたけれど。
生きるって、ごはんを作って食べて一人で寝て起きるって……一人で生活するってこんなに大変なことだったんだ、ってひしひしと感じるわ。
「すごいわね、人間って……」
人間が生きていくには衣食住が必要といわれているけれど。今わたしが着ている服も、住んでいる家もわたしが作ったものじゃない。道端に引っかかっていたボロ布を裁縫したものと、今は使われていない……正直、毎晩家鳴りがすごくて、寝ている間に崩れ落ちちゃわないかしらー……って不安になる、誰かさんが放置した丸太小屋。
そんなお家に勝手に住まわせてもらってるだけだから、わたしが頑張ってるのって実質、食べ物まわりだけじゃないかしら。
「ふうむ……未熟……って、あ、あれ? ちょ、ちょっと曇ってきたわね……」
腰に手を当ててしたり顔。
ふと上を向いたところで、さっきまではなかった黒い雲がじわじわと空に拡がっていくのを目撃。
「す、すごく晴れてたのに……今このタイミングで台風なんてきたら、ちょ、ちょっと困るわよー」
誰もいないのに誰かに話しかけるわたし。
長引く予定の一人暮らしでわたしが身に着けたスキルその2。滅茶苦茶多い独り言よ。
答えはもちろん返ってこないんだけど、口に出すとなんか頭がすっきりするし、ちょっと安心するわ。一人暮らしに独り言は必須よね?
「と、ともあれ、シートを畑にかぶせようかしら? 芽が出てきたところなのにあんまり降られすぎちゃうと……育たないかも、しれないし……?」
農耕をしていて発見したことは、水のやりすぎはお野菜にはよくないってこと。わたし、植物って水が大好きだと思っていたんだけど、過ぎたるはダメっていうことを知って、深いなあ、って思っちゃった。
人もそうかもって。
満ち足りすぎると何かを見失いそうになるのが人間かもって……だって、そう思わないと、わたし辛いわ。やってられないってなっちゃいそうだから、とりあえず今はそう思っておくことにしたの。
「あ、焦って自分でも何考えてるか分からなくなってきちゃった!」
そう言って。また独り言で心を落ち着かせつつ、あたしは小走りでシートを取りに小屋の方に向かって――
「…………?」
ひゅるるる、と。
その時だったわ、何か風を切るような音と一緒に、女の子の声が……わたしじゃないわよ? わたしの独り言じゃなくて、初めて聞いた女の子の声が、空の方向から聞こえてきたのは――
「気のせいかしら」
ロマンチックね、ってお友達によくからかわれるわたしでも知ってるわ。
この世に天使なんていやしないって。いたとしても、こんな草原でひいひい言ってるみすぼらしい小娘のわたしの相手をしている暇なんて、天使にはないって。
「あいたああああっ!」
そう考えた時、見えないくらい小さな小石につまずいて、わたしは思いっきり滑り込むみたいに地面に顔を打ち付けちゃった。
「いったああい…………」
はな、鼻血が出てきたわ……ま、なんにしても、もし空から聞こえてきたのが天使の声だっていうのなら、もうちょっと気を使ってほしいものね。おかげで転んじゃったじゃないの……
「…………」
いや、ええ……もちろん分かってるけどね? わたしが転んだのは天使のせいでも、ましてやわたしがドジをしたからでもなくて――
なんなら、今急にものすごく大きい黒い雲が広がってきたのも、きっと――この呪いのせいだってこと、分かってるんだけどね?
言ってみた……じゃなくて、思ってみただけよ。なんでも呪いのせいにするのも気が引けるけど――
どおうん、と。
「きゃっ……」
そう、まーたとりとめもないことを考えたところで、ものすごく近く……わたしがさっきまでいた畑の方から地震みたいな音が響いてきたわ。
「な、なに、なに……」
ものすごい音だったけれど。
初めて聞いたような音だったけれど。さっきの女の子の声といい、この草原で今何が起こってるのかしら。天変地異の前触れかしら……
そう首をかしげながら……鼻をさすりながら立ち上がったところで。
「あ、がああああああ………………! ああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「………………っ⁉」
ものすごい大声が聞こえてきた。ううん、それは吠え声って言った方がいいかもしれない。重く響くような……お腹の奥底がきゅっとなるような、一度聞いたら決して忘れられない声……
「ん、でも…………」
この吠え声、よくよく耳を澄ませてみると、さっきの、空から聞こえてきた女の子の声とすごく似てるような――
そう思って、今度こそ畑の方に近づく。そろりそろりというより、どたばたと言う感じだったけど、わたしがそこに近づくと――
「るるあああああああああ……われは強いのだ! 誰にも負けん……くそ、あの人間ども……!!!」
「! わあ……」
「ゆるさん……ゆるさんぞ! 名前を覚えたぞ……! ボンボルト! ベイジャル! リフエルタ! ぐっ……下賤があああああああああ……ッ」
「…………」
なんて……いうのかしら。そこにはものすごい光景が広がっていたわ。
ええ……えっと、本当になんて言い表せばいいのかしら。
あ、一応言っておくけど、この吠え声は私の独り言じゃないわよ! こわいでしょう、こんな七変化みたいなテンションでわたしが叫んだり落ち着いたりしたら!
うん、だから、これは――わたしじゃない、もう一人の……この女の子の声。女の子……というか、そもそも『一人』と言っていいのかも分からないけれど。
「まもの、かしら……」
「! なんだあ、おぬし………………!」
わたしが呟いたその声に耳ざとく反応してくる彼女……魔物の少女。
その姿は、ぱっと見普通の女の子に見えなくもないけれど――よくよく見れば、彼女が着ている服は真っ黒で上物の装い……なんだけど、形が定まらないみたいにゆらゆらしているし、彼女の周りには小さな……塊? 本当に塊としか言いようがないわ……そんなよく分からないものがうねうねと動いて、そして彼女の守るように灰色の塵みたいなものが辺りには渦巻いていて……
女の子の見た目は、わたしと同い年……いや、ちょっと年下くらいかしら。八、九歳になったばかりくらいに見えるわね。黒いお服に白いのか灰なのか、微妙な色合いの髪色と、そして何よりすべてを射抜くような玉虫色の眼光がものすごく映える……かわいらしい女の子がそこには這っていて。
「……ってあああ……っ」
「……おい、小娘。人間の小娘。われは今、動くのがおっくうだ……われがわれの意思で動くのを面倒くさがっているのだ。……だから、お前の親でも飼っとる犬でもなんでもいいから、ここに連れてこい。それが出来たら、おぬしを生かして遣わしてもいい」
「あああ……」
「……おい、聞いとるのか、なぜ怯えとる。怯えようが、われの声は聞こえ取るだろーが……」
「……っ」
「おい……この……この、われが、魔女が……魔物の女王が……お前にやれと命令してやっとるのだぞ。こんなに下手に出て……低、姿勢で……それを……ぼけっと突っ立ってやり過ごすつもりじゃあ、あるまいな……」
じくじく、と。
ずず……と彼女の周りの空気が揺らめく。それは実際に揺らめいているのか、わたしがそう感じているのかそれは曖昧だったけど……そんなことは、今のわたしにはどうでもよかったわ。だって、だって……
「ああ、小娘……人間の、全然似とらんおぬしの姿を見ているだけでイラついてくる、あの人間ども。このわれを……『消失線』に追放しようとしやがった……」
「…………」
「だがども、われは、こうして生きとる。そらそうよ、やつらが追放したと思い込んだのは、われが生み出したわれそっくりの人形なのだ! あははははは、ざまあみろ、ざまあみろ! あの戦で人間どもを万は殺してやったが……奴らは、われのみを殺せなかった。そして、今度こそひねりつぶしてやるぞ。あの三人、を…………」
「……あ、」
「……『あ』じゃない。震え恐れとる場合か。われはな、言っての通り、これから体を万全にして奴らを殺しにいかんとならん。はよ治したいのだ。だから肉を食う――とっとと……」
「――あなたすっごい怪我じゃない!」
「……あ?」
わたしは思わず叫んでしまったの!
だってだって、ようく見れば彼女の腕は……ああ、骨が見えてしまっているわ、ものすごく痛そう。血は出ていないようだけど……それも、出血しすぎてもう絞りッカスになっているからかもしれない。
それってとっても危険な状態だわ。さっきからワケの分からないことを喋り続けているのも血を失っているからかしら。
「……やるべきことは一つね!」
「……ああ?」
わたしの独り言に……ううん、もはや独り言じゃないわ。わたしがこの子に向けた言葉。そんなわたしの宣言に首をかしげる魔物の少女。
わたしはずんずんと彼女に近づいて――
「ごめんなさいねっ!」
「むぐ⁉」
少女のからだをひとまずひっくり返すわ。上半身の腕の力だけで起き上がっていた状態を、ひっくり返してあおむけになってもらう。
魔物と人間……どれくらい体の構造に違いがあるのかは知らないけど、こんなに人間そっくりの彼女のことだから、きっとものすごく人間に近い魔物なんだわ。だったら、やれることははっきりしてくるわね!
「なにを……」
「あなたの下にあるお野菜を……掘り出すの!」
ざくざくと土を爪でひっかくように掘ると、すぐに小さなライコンとビンジンが出てきた。
ほとんど潰れてクレーターみたいになって全滅してしまっているけど……それだけこの子が高いところから落ちてきたってことかしら。
魔物なんだからものすごく頑丈なのかもしれないけれど、お野菜たちが下敷きになったおかげでこの子が助かったのだとしたら、それって最高ね。
不幸ばっかりの呪いにしては、すごく気の利いてる……幸福ムーブって感じだわ。
「小娘、われを、このわ、われを……わわわわわ、わ……わ?」
「ちょっと待ってね!」
なぜか自分がなにをされたか分からない、みたいな顔をして空を見上げている魔物の少女。
まるで赤ちゃんみたいね。おしめがあれば替えてあげるんだけど、ないからどうしようもないわ。
わたしに出来るのはこれだけね。
「は……は?」
「じっとしてなさいね……」
わたしはポキン、とライコンを折って、それを彼女の傷口に当てる。沁みるかもしれないけど我慢してもらうしかないわ……
「なん……は?」
「知ってる? ライコンには強い消毒効果があるのよ。まずはあなたの傷口を応急措置的にキレイにするわ」
水で洗った方が良いんだけど、汲んでくるのに時間がかかる。
「そして~……」
「まがっは⁉ ごっ……!」
少女の口にそのままビンジンを突っ込むわたし。
「ビンジンには強い滋養強壮効果があるの……大変な怪我だから、気をしっかり持って……気付薬代わりね!」
「ぶやっぱあぺやあっ」
「あっ」
私の解説を無視してビンジンを地面に吹き出す少女。
「きさ、ま…………」
「ちょい! ダメじゃないのちゃんと飲み込まないと!」
「殺す」
治るものも治らないわよ! と言い終わるか言い終わらないうちに、なぜか、怒っているような表情で彼女は――わたしの頭にその手を、残っている方の腕を伸ばしてきて。
青白く、小枝の様に細いその腕は、なんだかとってもきれいに見えて。
「……奴らを殺す門出だ、おぬしの名はなんという?」
「……わたし? わたしの名前はタミハ。タミハ・シルハナよ!」
大きな声で答えるわたしに、片眉を上げる女の子。
……それにしても。さっきから殺すとか潰すとか……まったく、この子はそういうお年頃かしら。良くない言葉を使っていると、コト婆さんがやってきて山の向こうに連れていかれる、っていうわたしの故郷の怖い話でも今度披露してあげなきゃね。
「そうかタミハ、死にながら聞け。あらゆるものが平伏し、あらゆるものが階下に列するこのわれの名は――」
「あ、」
なんだかとっても悪そうな顔をして。少女がわたしの顔に触れたかと思うと、うぞうぞと、最初からずっと彼女の周りに蠢いていた塵みたいなものがわたしの体にまとわりついてきて――
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