第24話 舞うごとく

 引き戸を開けて小屋の中に入ると俺は、自分自身が昨日「子供が使うような弱弓よわゆみだ」と言った弓を手に取った。

 軽く弓弦ゆづるを引いてみると、やはりこちらはずっと張りが弱い。

 俺はそれを持って、少年が待っている野原へ向かって走った。

 確かに、少年は小柄で力もそれほどなさそうではあったが、まさかここまで非力ひりきとは思わなかった。俺だったら、持っていった強弓つよゆみより、さらにもう少し張りが強くてちょうどいいぐらいだが。

 元々は、力仕事をしなくて済むような暮らしをしていたんだろうか。


 野原に戻ると、鹿が「待たせるな」とばかりに、ぴぃと鳴いた。

 少年が持ってる強弓とこちらの弱弓を交換し、

「そっちで射てみろ」

 と俺が言うと、少年は再び弓を構えた。

 思った通り、今度はちゃんと弓がしなり、弓弦が引かれていく。

 的代わりのむしろに向けて、矢を放つと――。

 予想通り、矢は力なく飛び、筵からはそれてしまった。

 最初はこんなものだし、下手な者が射ればもっと大きくそれるから、充分な出来だった。

 ただ――そんなことより何より。

「もう一度、射てくれんか?」

 と俺が頼むと、少年はうなずいて、また弓を構えた。

 引いて――放つと、今度も矢は狙いをそれた。

 しかし。


 何なんだろう、これは。

 これほど美しい所作しょさで弓を引く者を、初めて見た。

 動きに少しも無駄がない。余分な力が入っていない。

 流れるような、見事な動きだ。それが目に焼き付いて、なかなか消えない。

 まるで草原を吹き渡る風か、よどみなく下流に向かう川水のようだった。

 武芸に熟達した者でも、なかなかこんな引き方は出来ないだろう。

 初心の者はたいがい、ぎこちない手つきで、力まかせに引いてしまうものだが。


 俺が少年に、

「そなたは本当に、弓を習うのは初めてなのか?」

 と確かめると、彼は不思議そうにしつつも、うなずいた。

「はい」

「弓以外の武芸はどうなんだ? 剣術とか、柔術とか、何か、やったことがあるものはないのか?」

「ありません。私はこれまで、武芸とはまったく縁がありませんでしたから。体を使うことで心得があるのは、舞ぐらいです」

「舞?」

 少年が戸惑いながら出してきた「舞」という言葉に、「いや、そんな風雅ふうがなものではなくて」と思いかけたが――彼の弓の所作は、あたかも舞の一部のようだった。

 俺は舞のことはよく分からんが、身につけていたら、弓もあんな風に引けるんだろうか。それとも、もっと別の何かが関わっているのか――と、考えにふけっていると。

「次はどうすればよろしいですか?」

 と、少年がたずねる声がして、はっと我に返った。

 そうだった。弓の指南のために来たのだ。引き方を教えないと――と思うのだが。

 俺は言葉に詰まった。

 あの美しい所作を、俺の引き方に変えてしまっていいんだろうか?

 それは何かを正す代わりに、何かを殺してしまうことにならないか?

 俺はこちらを見上げて返事を待っている少年に視線をやり、思案した。

 どう教えればいいんだろう――。

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