第23話 指南

 昨日とは打って変わって、空には雲一つない。抜けるような青空だった。

 俺と少年は弓の稽古けいこのために、小屋から少し離れた所にある、やや開けた野原まで来ていた。

 小屋の近辺でも出来なくはないだろうけれど、木や岩、小屋そのものが邪魔になり、危なそうだった。少なくとも初心のうちは、こういう広い場所のほうがいい。

 少年の隣には、なぜか鹿までいるが、呼んだわけではない。いつの間にか勝手について来ていただけだ。

 少年は山吹色の水干を身にまとい、腰に矢の入った空穂うつぼをつけ、手には弓を握っている。

 彼の美々びびしい容貌ようぼうあいまって、なかなかさまになっていた。清々すがすがしい少年武者、といったところか。

 本当は、手をいためないように弓掛ゆがけもつけたほうがいいんだが。小屋になかったから、仕方ない。

 的の代わりとして、巻いて筒状にしたむしろを木に立てかけておいた。あれぐらい大きくても、最初はなかなか当たらないだろうけれど。


 俺は弓の引き方を指南しなんする前に、真面目まじめな顔で、これだけはと思っていたことを少年に伝えた。

「弓はむやみに人や獣に向けるな。本当にここぞという時にだけ引け。それが守れないようなら、俺はそなたに弓を教えようとは思わん」

 少年はいぶかりつつ、

「それは、私が武家の人間ではないからですか? 武家の方々は、戦ともなれば容赦ようしゃなく敵を射ておられますが」

「武士とて、軽い気持ちで射ているわけではない。それに戦そのものも、むやみに行なうようなものではない。戦など、せずに済むならそれに越したことはないんだ」

「それはよく分かります。戦には莫大ばくだいな費用や人手が必要ですから。その上、死者や負傷者が大勢出ますし、行なう場所によっては土地や建物にも多大な被害が出ます。何より、戦乱は人の心をすさませ、治安も悪くなります」

「……そうだな」

「負けた側には恨みが残りますし、それが後々の復讐ふくしゅうの芽となることもあるでしょう。勝利して新たな領地を手に入れたとしても、はたして見合うのか。出来る限り回避したほうが、実際には得策だろうと思われます」

「……そうだな」

 何者なんだろう、彼は。武家の人間でも、なかなかこんな言葉はすらすらと出てこないと思うが。


 俺は気を取り直し、

「弓も同じだ。生きているものに向けて引くのは、本当に必要な時だけでいい。それでも、戦ではちゃんと勝てる。……俺がこんなことをそなたに言うのは、獲物をいたぶって楽しむために弓を使う者も、中にはいるからだ」

「え?」

「祖父もそういう人間は嫌っていた。そなたは、そんなことはせんとは思うが、念のためこうして話した。分かってくれるか?」

「……はい。心得こころえました」

 神妙しんみょうな顔でうなずく少年に安堵あんどすると同時に、若殿とその取り巻き連中の姿が脳裏によみがえった。

 野犬や野良猫を、さしたる理由もなく面白半分で弓で射て、はしゃいでいたのを目撃したことがある。

 射る対象を完全に見下みくだしていた。猟師でも、あんな弓の使い方はするまい。

 思い出すたびに、胸の内に冷え冷えとした気持ちが広がる。


 ああ、そんなことは置いておいて、ともかく今は弓の稽古だ。

 俺は少年に、まずは正しい弓の構え方から教えていった。

 左手はこの辺りを握り、弓弦はこの辺りを引いて……と順に指南し、試しに一矢、射させてみたが――。

「ちょっと待て!」

 俺は慌てて少年を止めた。鹿は、何事かと首をかしげている。

 まさかと思いつつ、俺が、

「この弓では張りが強すぎるのか? まったく引けてないが」

 と確認すると、そのまさかのようで、

「力いっぱい引いても無理です。どう引けばよいのですか?」

「違う違う。引き方の問題ではない」

「以前に引いてみた時にもまったく引けなかったので、何か引くための技術があるのだろうと思っていたのです。それを教わるためにあなたに指南を頼んだのですが、違うのであれば、どうすればよいのでしょうか?」

「ちゃんとそなたに合った強さの弓を使う必要があるんだ。ちょっと待ってろ」

 と言い置いて、俺は小屋に駆け戻った。

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