第22話 弓

「また唐突だな。なぜまた、弓を習いたいんだ?」

 俺が少々面食めんくらいながら少年に問うと、

「弓で狙った場所を射ることが出来るようになるには、どう引けばよいのか分からないからです」

「いや、そういうことではなくて……」

 やはり彼は、どうもどこか、ずれているところがある。

 この山にいて、弓が使えるようになりたいとなると――。

「鳥や獣を狩るのに弓を使いたいのか? 食える物が増えるから」

「いいえ。そこまでして食料を得ようとは思っていません」

 だったら、なぜまた。よく分からないが――。

「まあいい。弓を身につけたいなら教えてやる。まだしばらく、手本を示すのは無理だけどな」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 少年は、すっと頭を下げた。その姿は、爺様じじさまに弓を習い始めたばかりの頃の俺を思い起こさせた。


 俺はふと思いつき、脇に置いた弓を再び手に取って眺め、

「俺がここをつ時に、この弓を拝借して行こうかとも考えていたが、そなたが使うのならやめておこう」

「いえ、どうぞお持ちください。弓ならあちらにも一つありますから。一つ残してくだされば充分です」

 少年は小屋の壁際に置いてある、別の弓を指差した。

 俺は首を横に振り、

「あれは弱弓よわゆみだ。子供が習い始めに使うような、弓弦ゆづるの張りの弱い物だから、腕が上がったらさすがに物足りなくなる。俺は下山さえすれば、いくらでも弓を手に入れられるから、こちらの強弓つよゆみもそなたが使え」

「ですが……」

「そなたが俺から弓を習えば、それは俺の祖父の弓が受け継がれたことにもなる。そのためにも、そなたにちゃんとした弓を使ってほしい。俺の分の弓の一つや二つ、しくはない」

 いや、これは俺の弓ではなく、小屋の持ち主の弓だったな、と付け加えて笑ってみせると、ようやく少年は承諾しょうだくした。

「分かりました。かたじけなく存じます」


 俺の脳裏のうりには、爺様の姿がよみがえっていた。

 愛想あいそのあの字もない、弟は「怖い」と言って近づきたがらなかった、爺様が。

 俺に対しても、決してやさしかったわけではない。

 突き放したような態度をとられることもしばしばだったから、その意味では、父上より厳しかったかもしれない。

 それでも――なぜか分からないけれど、庵に通うのをやめようとは、まったく思わなかったな。

 とても居心地のいい――もはや二度と、行けなくなってしまった場所を、俺は頭から振り払った。

 過去にひたってはいられない。これから先のために、この山を下りねば。


 雨音が、先ほどよりさらに弱まったようだった。

 わずかだが、闇が退き、明るさが戻ってきたようにも感じる。

 俺は屋根板を見上げた。あの向こうに広がっている空も、もうそろそろ雨雲が薄れてきているだろう。

「さて……明日は弓の指南しなんだ」

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