第21話 追憶

 長く続いた晴天が途切れ、今日は朝から雨となった。

 昨日の夕刻には、空の様子や風に、何となく水の気配を感じていたが。

 こうなってしまうと、することが本当にない。

 俺は、昼なお薄暗い小屋の中でむしろの上に座り、雨が屋根板を叩く音を聞くともなしに聞きながら、弓を手に取って眺めていた。元から小屋に置いてあった物だが、じっくり見るのはこれが初めてだ。

 弓弦ゆづるを指でつまんで、軽く引っ張ってみたりしていると、

「弓はどの程度、たしなまれるのですか?」

 と、たずねる声がした。

 声がしたほうを見ると、少年が俺のかたわらまで来て、ゆっくりと座るところだった。


 彼が楽器を奏で、謎の少女が現れたのは、つい数日前のことだが――結局、俺たちは何事もなかったかのように、一連の出来事を話題にもせず過ごしていた。

 化鳥けちょうのことも、話す機会をいつしてしまった感じで、彼には伝えられていない。

 少女も化鳥も、あの後はまったく見かけていないし、取り立てて何か悪いことが起きたわけでもないから、ずるずると放置してしまったが――これでいいのかどうか、自信はない。

 少年はと言えば、翌日にはすっかり普段の調子に戻っていた。それこそ、何事もなかったかのように。

 だから余計に、あの時はなぜ様子が……とも、あの少女はいったい……とも、聞けずにいた――。


 俺は手の中の弓を軽くかかげつつ、

「実のところ、俺は刀よりも弓のほうが得手えてでな。今は亡き祖父に、幼い頃からずっと教わっていた。よく祖父と山に狩りに行ったりもしたんだ。だから、それなりに腕に覚えはある」

「父君ではなく、おじい様からですか? 武芸は親が子に教えるものかと思ってましたが」

「一般的にはそうだな。ただ、俺は祖父のほうになついていて、たびたびいおりに通ってたから。自然とそうなった」

「おじい様は出家しゅっけされたのですか?」

 俺は思わず苦笑した。「庵」と聞いて、「出家した者が閑居かんきょのために住まう質素しっそな建物」を発想するのは、当然と言えば当然だが。

「そうではない。俗人のままだ。祖父は、何というか……俗世で人に交わって暮らすのが、合わないというか、向かない人でな」

 そう説明すると、少年はやや困惑した様子で、

「あなたのおじい様であれば、元々は五百瀬家の当主を務めておられたはずではないのですか? そのような立場の方が、人に交わって暮らすのが向かないというのは……」

「まあな。それでは普通は、武家の当主など務まらんはずなんだが。そもそも本人も、長男だったが五百瀬家の跡など継ぎたくなかったらしい。だが、弟がみんな病で亡くなってしまったから、仕方なく継いだようだ」

「兄が亡くなったのでやむを得ず弟が、という話は時々耳にしますが」

 俺はますます、苦笑いするしかなかった。弟に跡目あとめを押し付ける兄など、なかなかいるまい。


 俺は軽く目を伏せ、槻伏つきぶせにいた頃を思い出しながら、

「継いだ後も、祖父は人との関わりを避けていた。遊興ゆうきょう遊山ゆさんに誘われてもすべて断るとか、会話では相槌あいづちすら打たないとか、祖父に関して聞こえてくるのはそんな話ばかりだ。俺も、祖父が笑っているところを見たことがない」

「それでは、新柄家の家臣団の中で軋轢あつれきが起きてしまいませんか?」

「おそらく、祖父をけむたがっておられた方もいただろう。尚時様のさらに先代の尚泰なおやす様が、武人としての資質を見込んで登用し、うまく取り計らってくださってなかったら、はたしてどうなっていたか」

 閑職に追いやられたり、それこそ放逐ほうちくされていてもおかしくなかったのだろう。扱いにくい人間の末路まつろなど、そんなものだ。


 雨音がいくらか小さくなったようだ。

 俺は弓を脇に置き、

「父と母が縁組して俺が生まれると、祖父は『責任は果たした』とばかりに、さっさと家督かとくを譲って隠居いんきょしてしまった。父はまだ若武者に過ぎなかったし、尚泰さまには散々さんざん引き留められたらしいが」

「それで庵に……ですか?」

「ああ。五百瀬家の領内にある山のふもとに、一人で移り住んだ。父は身の回りの世話をする雑色ぞうしきを何人か付けようとしたが、祖父は「いらん」の一言だったそうだ。それでもどうにか、三日に一度、雑色を一人通わせることで話がまとまったが」

「そして、あなたがそこに……」

「俺が通っても、祖父は何も言わなかったし、俺にとっても、庵は学問とかの面倒なことから逃げられる場所になってた。父も、祖父の身を案じていたから、俺を止めようとはしなかった」


 そこまで聞くと、少年は少し考え込んでから、かすかに微笑み、

「あなたは……おじい様に気に入られていたのですね」

「え?」

「そうでなければ、おじい様は早い段階であなたを拒否しておられただろうと思います」

 そうなんだろうか。

 爺様が俺をどう思っておられたかなど、考えたこともなかったが。

 俺はぽつりと、

「そうだといいが」

 とだけ答えた。


 会話が途切れると、少年は姿勢を正し、

「折り入って、あなたにお願いしたいことがあります」

「ん?」

「おじい様から教わったという弓を、私に教えていただきたいのです」

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