第20話 旋律

 楕円だえんに近い形のどうさおが付いていて、そこにげんが張られている。

 琵琶びわに似ているが、琵琶とはどうも違うような……。確か、琵琶はもっと棹が細かったはずだ。

 それ以外も何か違う気がしたが、俺は楽器にはうといから、よく分からなかった。

 俺は少年がいるほうを振り返り、楽器を持ち上げながら、

「これが何か、分かるか?」

 とたずねた。

 作業の手を止めて顔を上げた少年は、楽器を見るとはっとした顔をし、あわてた様子で立ち上がった。

 彼はこちらへ来て、

「あの、それは……」

 と言いかけたものの、言葉が続かない。


 どうしたんだろう、と俺は首をかしげたが――ふと、楽器が入っていた袋は、この小屋には不釣り合いでも、彼が着ている萌黄もえぎ色の水干すいかんとなら釣り合うことに気づいた。

 どちらも同じぐらい上質な生地で出来ている。

「もしや……これはそなたがここに持ってきたのか?」

 そう聞いてみると、彼は戸惑とまどいつつも、何か覚悟でも決めたようにうなずいた。

「……はい」

「そうか。着替え以外にも持ってきていた物があったんだな。わざわざ持ってくるぐらいだから、そなたもこれが弾けるのだろう?」

 俺が何のなしに問うと、彼はしばし口ごもっていたが、これもやはり肯定した。

「……はい」

「これは何という楽器なんだ? 琵琶とは違うようだが、俺はこういうのはよく知らなくてな」

「……私も存じません」

「え?」

 どういうことだ?

「弾けるのに、どういう楽器なのか知らないのか? いったいどうやって手に入れて、どうやって弾けるようになったんだ?」

 俺が疑問をぶつけても、彼は黙り込んだままだった。

 いかん。あれこれ一度に聞き過ぎたか。

 何か、言いたくない事情があるのかもしれない。


 俺は少し話題を変え、

「せっかく持ってきたのだから、弾けばいいのに。たまには、うつつさを脇にやって、好きなことにきょうじたほうが、気も晴れる。俺も、久しぶりに釣りに没頭したら、先のことをあれこれ悩む気持ちが失せた」

 と勧めてみた。

 彼は何も答えなかった。

 結局そのまま、魚をさばく作業に戻ってしまったので、俺は楽器を袋の中に入れて元の場所に置き、干す道具の用意に再び取り掛かった。



 少年がさばいた魚を、俺が見つけておいたざるに干し終わり、小屋の中に戻った時。

 少年はふらりと、楽器が置いてあるほうへ歩み寄った。

 どうしたのかと俺が見守っていると、彼は袋ごと楽器を持って小屋の端のほうへ行き、むしろの上に腰を下ろした。

 膝の上に楽器を構えた彼は、ばちも爪も使わず、指先で弦を弾いた。

 深くて澄んだ音色が、辺りに広がった。

 琵琶とは異なる音色だ。それ以外の楽器とも違う。

 俺が思わず立ち尽くしていると、彼は本格的に弦をつま弾き始めた。

 流麗な旋律が、次から次へとり出される。そのどこか寂しいような、切ないような曲調に、俺はいつしか聴き入っていた。

 楽器は何一つ扱えず、音曲の良し悪しなどよく分からない俺でも、彼の腕が相当巧みなのはおのずと感じ取れた。

 いや、単に「うまく弾ける」というのとは、何かが違う。聴く者の内側に入り込んで、芯の部分を揺さぶるような――そんな、確固かっこたる力を持っているのだ。


 少年は一心に、ただひたすら弾き続けた。俺の存在など、とうに忘れているかのように。

 そして折しも、演奏が最高潮を迎えようとしていた時。

 突然、少年が目を見開き、弦を弾く手を止めた。

 おびえの色の混じった、驚愕きょうがくの表情を浮かべている。

 俺は何事かといぶり、彼の視線の先に目をやった。そこには――。


 一人の少女が、立っていた。


 小屋の出入り口の所だ。そこにあかね色の華やかな衣をまとった、長い黒髪の少女が、静かにたたずんでいる。

 どう考えてもこの山中には不釣り合いなその姿に、俺が困惑していると――。


 ふつりと、少女は消えてしまった。


 俺は目を疑った。

 ほんの一瞬のうちに、いたはずの人間がいなくなってしまった。

 何が起きたんだ? そもそも何者なんだ? あるいは化鳥けちょうと同じで、少女も幻か何かだったのか?

 いや、少年も驚いているのだから、俺だけが見たわけではない。そうだ、彼は――と少年に目を戻すと。

 強張こわばった顔で、小刻みに震えていた。

 俺が駆け寄って、

「おい。大丈夫か?」

 と声をかけると、彼はようやく少し落ち着きを取り戻し、

「……はい。大丈夫です」

 と答えた。だが、その表情には動揺と苦悩がにじみ、大丈夫とは思えなかった。

「今、あそこにいたのは……」

 と、俺がたずねかけると、彼は小さく首を横に振った。質問そのものを拒絶するように。

 俺はそれ以上、何も問うことが出来なかった。ただ、彼がぼそりと、

「……あかね」

 とつぶやくのを、耳がとらえた。

 人の名前だろうか、と思ったが、真相は分からないままだった。

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