第19話 変調

 俺は小屋の入り口をくぐりながら、

「今日だけでは食い切れんほど釣れたぞ。夕餉の分以外は干物ひものにでもしよう」

 と、声をかけた。

「はい」

 と、力のない返事が聞こえたので、少年の姿を求めてそちらに目をやると――彼はゆっくりと床から立ち上がるところだった。

 俺は魚籠びくの中を見せながら、

「取りあえず、今日は鮎を食べてしまうか」

 と言ってみたのだが――。

 俺のそばまで来た少年は、ぼんやりと魚籠の中の魚を眺めるだけだった。

 のみならず、彼は元々感情が顔に出ないほうだが、常日頃にも増してうつろな面持おももちをしている。目の前の現実ではない、別のどこかを見ているような。

 動作全般が緩慢かんまんで、覇気はきがない。決して寡黙かもくではなかったはずなのに、口数も明らかに減っている。

「どこか具合が悪いのか?」とたずねても、「いいえ」という答えが返ってくるばかりだった。

 食事とかの日常生活は問題なく行なっているものの、何かがおかしい――とは思うのだが、どうすればいいのか、皆目かいもく見当がつかなかった。


 少年は、おもむろに俺の手から魚籠びくを取ると、いつも包丁仕事をしている場所へ持っていった。

 何をする気かと思えば、魚をさばいている。

 俺の言うことはちゃんと聞こえて、伝わっているのだ。ただ、あまりに反応がとぼしい。

 俺は向こうに気づかれぬよう、そっとため息をついた。

 魚をさばくのは彼に任せよう。俺も魚ぐらいはさばけるが、包丁などの道具が、二人同時に使えるほどの数はないし。


 しかし、そうなると、何もせずにいるのも手持ち無沙汰ぶさただな。

 干物を作るとなると、さばいた魚を干す道具が必要だ。それを用意しておくか。

 俺は小屋の中をぐるりと見回した。何か使えそうな道具は……と探したのだが。

 今朝は無かったはずの、それでいて見慣れた竹かごの存在に気づいた。

 壁際に置かれているかごの近くまで行き、中を見ると、立派な百合根ゆりねがごろごろと入っている。

 角の一対多い鹿の姿が、浮かんだ。


 なるほど。見上げた鹿だ。今日もこうやって、せっせと食料を届けに来たのか。俺の所へ来たのは、その帰りだったのだろう。

 犬でもなかなか、ここまで献身的な奴はいない。ただ――。


 米などと贅沢ぜいたくは言わん。麦でもあわでもいい。飯が食いたい。


 芋だの栗だの木の実だの果物だのが、まずいわけではない。最初のうちは、美味うまいとすら感じた。だがそればかりでは、何かが足りない。

 魚が釣れても、その隣に飯がない――そこに一抹いちまつのわびしさを覚えずにはいられなかった。


 川へ行く途中の道で、山百合やまゆりがたくさん咲いているを見かけた。

 あの根元を掘り起こせば、きっとこのかごにあるような百合根が出てくるのだろう。山百合のものなら、灰汁あくもない。

 少年と小屋の近辺に足を延ばし、たわわに実る山桃を採ってきたこともある。この山は、そういった物なら割とふんだんに手に入るようだ。

 それでも、田も畑もないから、米や野菜はどうにもならない。

 飢えずに済むだけありがたく思わねばならんのは、重々承知しているが……。


 俺は気を取り直し、干物用の道具を探した。

 ざるか網でもないか、と小屋を見回していると、おけや木づちの陰に、なわの束が置いてあるのが目に留まった。

 縄なら使えるかもしれないな、と思いつつそばまで行き、桶をどけると――。

「ん?」

 縄のさらに奥に、あわ浅葱あさぎ色の布の袋が置かれている。それも、ずいぶん上等な生地で出来た袋だ。この小屋には不釣り合いなぐらいに。

 結構大きく、幼子おさなごの背丈ほどもある。口の部分はひもで閉じられていた。

 いったい何が入っているのだろう、と紐をゆるめると――。

「これは……」

 木製の……楽器のようだった。

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