第18話 化鳥

 翼を完全に広げたら、二じょうほどもあるのではないか。

 鋭いくちばし鉤爪かぎづめが夏の日差しを受け、きらりと輝いている。

 いや、そんなことより何より。

 うろこが、ある。

 翼や背中は褐色かっしょくの羽で覆われているのに、頭や腹の部分だけ、へび蜥蜴とかげのような鱗で埋め尽くされているのだ。

 鳥と思ったが――本当に鳥なのか?

 化鳥けちょう、という言葉が浮かんだ。あやしく不気味な姿をした鳥をそう呼ぶのだと、聞いたことがある。


 化鳥は、稲妻いなずまのごとき速さで飛来したかと思うと――俺がいる場所より一ちょうほど上流で急降下し、地上にいる何かに嘴を突き立てた。

 それは一瞬のことで、まばたきする間もなく、化鳥は上空へ飛翔した。

 その嘴には、きつねらしき獣が深々と突き刺さっている。

 獲物えものを得た化鳥は、疾風しっぷうのごとく飛び去っていった。どこへ向かったのかすら見失うような速さで。


 俺は我が目を疑った。

 俺が釣り竿をしっかり握ったままでいるのは、奇跡なのか。それとも、取り落とすほどの余裕すらなかったと見るべきなのか。

 何もかもがほんのつかの出来事で、夢や幻だったのだと言われたら、そのまま納得してしまうだろう。

 きっと見間違いだ――自分でも、そう思わずにいられなかった。


 俺はぐるりと、辺りを見回した。

 化鳥が来る前と何ら変わらない風景が広がっているばかりだ。本当に、何もなかったかのように。

 俺は釣りに意識を戻した。

 何が出来るでもない。真相など、調べようもない。

 今できるのは――釣りしかなかった。

 もしかすると、精神的な疲れとかが、あんなものを見せたのかもしれない。確かに化鳥がいたと断言できるだけの自信は、持てなかった。

 それに、少年は俺よりずっと長くここにいる。化鳥が本当にいるのなら、彼が何も言わず、平然とここに住んでいるのはおかしいだろう。

 仮にあれが現実だとしても、俺自身が襲われたわけでもない。鳥が獲物を捕っていただけだ。人を食うような奴なら、狐なんかではなく、俺を狙ったはず。

 俺ももっと大物の魚を釣り上げて、小屋に戻らないと。少年のためにも――そこまで考えて、はっとした。

 少年に、伝えるべきだろうか。俺が見た一部始終を。


 しばし考え――やめておこう、という結論しか出てこなかった。

 はたしてこんなこと、信じてもらえるかどうか。俺ですら、信じかねているのに。この人は暑さのせいで幻が見えるようになったのだ、などとは思われたくない。

 もし信じてもらえたら、それはそれで――おびえさせてしまうだけではないのか。

 気をつけろと注意を促したところで、気をつけようがないだろう。あんな、あやかしのような鳥なんて。ましてや、俺の勘違いなら、いらぬ心労を負わせることになる。

 それに、今朝のあの少年を思い返すと――やめておいたほうがいい、少なくとも今は。そう考えざるを得なかった。

 もう少し様子を見て、本当に化鳥がいるのを確認したら、その時こそ伝えよう。対処法など、何もなくても。


 俺は昼近くまで釣りを続けた。

 その結果、魚籠びくの中では十一匹の魚がひしめき合っていた。大きめのあまごかじかも釣れたから、二人で食うには充分だ。

「よし」

 俺は立ち上がり、来た時よりずっと重くなった魚籠を手に、小屋へ戻った。

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